「本番一分前でーす!」

ADがそう声をかけると途端にスタジオ内の空気がガラリと変わった。

カメラや照明、音声が完全にスタンバイされ、出演者達にも緊張が走る。
それまで、賑やかに談笑していた観覧席の奥様方でさえその雰囲気に呑まれ、別のADが場を
抑える前に口元を引き絞り黙り込んだ。

セットの中央に立つメリルは、俯いたまま瞳を閉じて小さく息をはく。そして次に顔を上げた時には、
凛とした表情に変わっていた。彼女が一瞬の間にすっかりアナウンサーの貌になったのをモニターで見て、
ヴァッシュは心の中で尊敬と感嘆の溜息をつく。


『よし、俺だって!』

掌をグッと握り締め奥歯を噛み締めて、もう一度自身の気合を入れなおす。その直後にカウントダウンが
始まった。

「5秒前、4、3、2・・・」

残りのカウントが指で出され、本番開始の合図が送られる。軽やかな音楽が流れて、メリルの姿が画面に
映し出された。

「明日はバレンタイン・デーですね。もうチョコは準備されましたか?まだ、という皆さんの為に、本日の
簡単!生料理のコーナーでは『今からでもダイジョーブ!失敗しないお菓子作り』というテーマで、チョコを
使ったバレンタイン用のお菓子を作ります。今日は何と可愛らしい出演者の皆さんが一緒に料理をして
くれるようですよ。美味しいお菓子が出来上がるといいですね。
では、キッチンスタジオのウルフウッドさーん、ヴァッシュさーん、よろしくお願いしまーす」

「はいっよろしくお願いします!」

「はぁ…よろしゅう」

元気一杯ハイテンションで返事をするヴァッシュと、比較的落ち着いたローテンションで返事をする
ウルフウッド。このコーナーのいつものオープニングだ。

こうしてヴァッシュにとって、初めての特番が始まったのだった。




当初の心配は何処へやら。番組は驚くほどスムーズに、そして和やかに進行していった。

リハーサルをしたことで、子ども達の緊張もやわらぎリラックスして本番に臨めたらしい。
小さな共演者達が一生懸命お菓子作りに没頭しているのを、ヴァッシュは微笑ましく思いながら、
ウルフウッドと共にその手助けしていた。

今回作っているチョコカップケーキのレシピは、初めて料理を作る女の子の為に、簡単・手軽に手に入る
材料ばかり使われている。そして仕上げは電子レンジを使うので調理時間も短くて済み、失敗せずに
美味しいバレンタイン用のお菓子が出来上がるというものだった。

カメラに向かって作り方を説明しながら、ヴァッシュは心の中で小さく苦笑し落胆の溜息をついていた。この
『簡単・手軽・失敗知らず』の筈のレシピで作り出された<例のもの>のことが一瞬頭に浮かんだからだ。

しかし、次々と自分が作ったお菓子が完成し、喜びの声をあげている子ども達を見るにつけ、そんなことは
ヴァッシュの頭の中から消し飛んでしまった。


「わぁ、よかった。美味しそうにできたねー」

ヴァッシュは、レンジからとても良い香りを漂わせているお菓子を取り出して笑顔を浮かべた。

「あ、トレイが熱くなっているからね。火傷しちゃいけないからもう少し冷めるまで待とうね」

嬉しそうに近寄って来た子ども達に注意を促していると、

「あーーーっ!!!」

と、一人の女の子が大きな声を上げた。ヴァッシュが驚いてそちらを見ると、スタジオで一番最初に
ヴァッシュと言葉を交わした、あの女の子であった。泣きそうな顔でヴァッシュの手元を指差している。

「ど、どうしたんだい?これが何・・・あ!」

視線を自分の持っていたトレイの上に落として、ヴァッシュはハッと気付いた。

きれいに並んでいるチョコカップケーキの中の一角に、お世辞にも美味しそうには見えないものが
数個混ざっていた。ふんわりとドーム型に盛り上がる筈のケーキがカップから大量に溢れ、トレイに零れて
しまいそうになっている。味はきっと他のものと変わらないのだろうが少女にとってみれば、その仕上がり
具合は相当ショックだったのだろう。

ヴァッシュは少女に対して、申し訳ない気持ちで一杯になった。きちんと自分が分量までチェックして
レンジに入れてあげていれば、こんなことにはならなかったのに、と。

「ごめんね、僕がちゃんと確かめなかったから。でもまだ材料が残っているし、もう一度作ってみようよ」

「もういいっ上手く作れないもん。やめる!!」

そう言って、少女はお気に入りの真っ白いエプロンを脱ぎ始める。

「今度は絶対大丈夫だよ!僕も一緒に手伝うから、ね?ねっ?」

「ヤダヤダヤダ!!」

ヴァッシュは必死で慰めようとしたが、少女は頑として聞き入れようとしない。
それどころか、今にも大声で泣き出してしまいそうだ。ヴァッシュの背筋に冷たい汗が伝い、流れ落ちる。

女の子の前に跪いて途方に暮れていると、ふっとヴァッシュの目の前に影が落ちた。


「何や、どないした」

ウルフウッドがいつの間にか近付いてきて、上から二人を見下ろしていた。

「ウ、ウルフウッドぉ〜〜〜」

小さな女の子と同じような顔で瞳を潤ませ自分を見上げるヴァッシュに驚いて、一瞬呆れたような表情を
浮かべたウルフウッドだったが、すぐにそれを引っ込めた。

「何やねん、お前までベソベソしおってアホか!」

「アイタ!」

ヴァッシュの頭をぽかりと叩いた後、レンジの横に置かれたままになっているトレイの上をちらりと見て、
男は全てを悟ったようだった。問題のカップケーキを一つ手にとって、ウルフウッドも少女の前にしゃがみ
込む。

そして、穏やかに話しかけた。


「ああ、ちーっとばっかし形が崩れてもうたなぁ」

その言葉に女の子はビクリと身体を震わせる。それを見て、慌ててヴァッシュが

「や、だからもう一回作り直せば・・・」

と口を挟もうとしたが、ウルフウッドの表情を見て言葉を止めた。

いつもよりは随分柔らかいが、ヴァッシュが惹かれる瞳がそこにあったからだ。男が料理に向かうときの
真摯な色。ヴァッシュは、何も言わず二人を見守ることにした。

他の女の子達や観覧席のお母さん達、別のスタジオにいる番組出演者、離れたブースでモニターを
見つめていたナイブズとレガートも同様に・・・。

音声のマイクとテレビカメラだけがそっと三人に近付いた。



「こんなのいらない・・・絶対ダメだもん」

「何でや?」

「だって、全然美味しそうじゃないから!」

大きな瞳に涙を一杯溜めて、女の子はウルフウッドに訴える。

「でもこれは食べてもらいたい思うて、一生懸命心を込めて作ったもんなんやろ?」

「それは・・・そうだけど」

「それをいらんやなんて。一番大切な気持ちをほかすんと同じことやで」

俯いてしまった少女の頭にふわりと掌を乗せる。

「そんなことしたらアカンやろ、分かるか?」

「・・・・・・・・・・はい・・・ごめんなさい」

しばらく沈黙した後、少女は小さな声で謝罪の言葉を口にした。



「分かったんならええ。ほな、続けよか」

しょんぼりとする女の子の頭を優しく撫でて、ウルフウッドは立ち上がった。ヴァッシュは少女と一緒に
慌てて男を見上げる。

「これ使うた別のお菓子の作り方、教えたるわ」

そして大きく形が崩れたカップケーキを持ったまま、片目をつぶって笑った。

『!』

ぱぁっと瞳を輝かせて嬉しそうに頬を紅潮させる少女の隣で、ヴァッシュは別の意味で顔を赤らめていた。

『もうっ、本番中だぞ・・・』

「おい、ぼけっとすな。おんどれも手伝わんかい!」

「うぎゃ!!!」

一瞬気持ちを飛ばしてしまったことに反省の念を抱いていたヴァッシュへ、叱咤の声と共に『蹴り』が入る。
どっと沸くスタジオ内で、さっきまで泣きそうだった少女までが声を上げて楽しそうに笑っているのを見て、
ヴァッシュはホッと息をついた。

「耐熱ボウルあったやろ。それと冷蔵庫からチョコと生クリーム・・・なければ牛乳でもええわ。持って来いや」

「あ、はーい。分かりました!」

大急ぎでヴァッシュが言われたものを持っていくと、ウルフウッドは少女が作ったチョコカップケーキの中身を
取り出した。そして細かく千切るように少女に指示し、それを小さなボウルの中に入れさせる。

「おい、このチョコ耐熱ボウルに入れてラップしてレンジで二分や!」

「わぁっ、はいはい」

その間にウルフウッドは少量の牛乳を小さなボウルに入れた。それを少女が混ぜる。
しっとりとした生地が出来上がったところで、それを10等分にして丸めた。

他の女の子達も自分の手を止めて、その様子を眺めている。


「はい、これ。出来ましたー」

ヴァッシュが電子レンジから溶けかけのチョコが入った耐熱ボウルを運んできた。取り出して滑らかに
なるまでチョコを混ぜると、ウルフウッドは少女にフォークを持たせた。

「これで、丸めたヤツをコロコロって転がして、チョコを絡めるんや。これにココアパウダーやナッツを
まぶしたら・・・」

「うわーv すごーいっ!!」

「ホントだ!美味しそう」

出来上がった丸いチョコのお菓子にヴァッシュと少女が喜びの声を上げる。

「ねぇねぇ、もしかしてコレって・・・」

あっ、と思ったヴァッシュがウルフウッドに声をかける。それに気付いた男はニヤリと笑った。

「おう。名付けて『超簡単トリュフ』ってとこやな。どうや、一つ食べてみるか?」

目の前に差し出されてヴァッシュと少女が顔を見合わせる。

「え、俺も・・・いいの?」

「食いたくないんなら、ええで」

「いや、食べたいです!いただきまーす!!」

少女が嬉しそうにそれを口に運ぶのを見届けて、ヴァッシュも小さなお菓子を頬張った。
口に入れた瞬間、ココアの苦味とチョコケーキの甘みが広がり・・・舌の上でふわりと溶けた。

「・・・!」

「・・・・・!!!」

コクリとそれを飲み込み、もう一度二人で顔を見合わせて・・・

「「お、美味しい〜〜〜〜〜vvvvv」」

同時に叫んでいた。それを聞いて、わっと大きな歓声がスタジオ内に上がる。


「うわーっ私もそれ作りた〜い!」

「私も、私も!!」

「ずる〜い、私達にも教えてー!!!」

それまでじっと行方を見守っていた他の女の子達が、一斉にウルフウッドの周りを取り囲んだ。

「わ、分かった、分かったがな。押したら危ないて。おい、材料まだ大丈夫やんな?」

「えーと・・・うん。た、多分大丈夫だよ」

ウルフウッドの問いに、慌てて冷蔵庫の中を確かめたヴァッシュが返事をする。

「よっしゃ。じゃあ、皆もやってみよか?」

「はーーーい!」



この予定外の展開に、ヴァッシュを含めスタジオ内のスタッフは大いに慌てることになるのだった。



↑ ウルフさん、泣く子×2な事にちょっと呆れるの図 ↑



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