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Not Alone Again 1

 キリコがふらりと現れたのは、ココナとヴァニラ、そしてゴウトがグルフェーへ戻って、3ヶ月ほど経った頃だった。
 まったくいつものように、おととい仕事にでも出掛けたと言う風体で現れて、ただ以前と違っていたのは、キリコの腕には、ヌルゲラントで生まれたあの神の子と呼ばれる赤ん坊が抱かれていたことだ。
 キリコの荷物の中の半分は赤ん坊のおむつで、それは元はどうやらキリコが着ていたシャツだったようで、随分と不慣れに不器用に適当に扱われているように見える赤ん坊は、けれどどう見ても健康そのものに見えた。
 赤ん坊は久しぶりのココナが大喜びし、ココナの末娘もうきうきと赤ん坊の世話を引き受け、ヴァニラが母ヤギを調達して来てくれて、赤ん坊のミルクはひとまず何とかなった。
 「助かった。」
 これも30年前とまるきり変わらず、無愛想にキリコが礼を言う。ゴウトは、今では穏やかに孫を見る祖父のような仕草で、やって来たキリコを、皆と一緒に労った。
 ヌルゲラントから赤ん坊と一緒に消えて、それからどうしていたのか、キリコが簡潔に素っ気なく語ったところによれば、宇宙を漂ううちにどこかの戦艦に収容され、赤ん坊とともに検査を受けながら尋問も受けていたけれど、幸いにキリコのことをまったく知らない艦長は、記憶喪失で何も憶えていないと言い張るキリコを、どこかの星で女に赤ん坊を押しつけられ、その流れのトラブルで宇宙へ放逐されたチンピラか何かだろうと判断し、上へ報告もせず、キリコの身元は判明しないまま、3つ目の寄航先でどこかへ消えろと艦から下ろされたと言うことだった。
 「相変わらず悪運の強ぇえヤツだよおまえは。」
 ゴウトが赤い酒をがぶりと飲んで言う。
 「・・・それだけが取り柄だからな。」
 面白くもなさそうにキリコが答える。
 「で、今度はあの赤ん坊もいることだし、しばらく腰を落ち着けるんだろ?な?キリコちゃん?」
 ヴァニラがうれしそうに訊くと、キリコは砂糖を入れないコーヒーをひと口飲んで、カップの陰から静かにうなずいた。
 「よかった! あの赤ちゃんの面倒はアタイたちが見るよ! キリコは安心してゆっくり休むといいよ。」
 ココナの口調は、ヴァニラ以上に昔と変わらない。皆老けたと言えばそれは当然のことだけれど、それでもその、自分に対してまったく変わらない口調の仲間たちに、キリコは安堵の気持ちを抱いた。
 「頼みがある。」
 ゴウトとヴァニラへ顔だけ向けて、視線は手元のコーヒーへ落としたまま、キリコは声を低めた。
 「シャッコに連絡が取りたい。おれからだと、ヌルゲラントの連中にはわからないようにする必要がある。」
 「そいつぁ、できんこともないが。」
 なあ、とヴァニラの方へあごをしゃくってゴウトが首をひねった。
 「シャッコちゃんに連絡取ってどうすんの? 無事だって知らせときたいのか?」
 それもある、と目顔でヴァニラに答えてから、キリコはまたコーヒーをすすった。ウドのコーヒーに比べると、このコーヒーはずいぶん香りが良かった。
 「大事な話がある。できれば、ここにシャッコを呼びたい。」
 「シャッコちゃんをぉ?」
 「そいつぁどうかな。上から命令でもあれば、ヌルゲラントを出るのは無理でもないだろうが。おまえが赤ん坊と行方不明になったので、あいつもいろいろ面倒なことになってるかもしれんしな。」
 「それは承知の上だ。だがシャッコは、おれが会いたいと言えばきっと来る。」
 キリコのために、同族の、クエント人と戦うことすら躊躇しなかった男だ。自分の頼みは少々の無理でも聞いてくれると、確信があった。
 「まあ、おまえがそう言うんならな。」
 ゴウトの目が、昔と同じように、何か企んでいる時の光を帯びてヴァニラに向けられ、ヴァニラはよくわからないと言いたげにくしゃくしゃと髪をかき、赤い酒を一気にあおった。
 そうして、赤ん坊のいる部屋──キリコにあてがわれた部屋でもある──の方から、けたたましく泣く声が聞こえ始め、キリコは反射的に椅子から立ち上がっていた。
 「うまかった。」
 コーヒーと食事の礼を、もう肩をドアの方へ向けながら短く言い捨て、泣いている赤ん坊へ、ブーツの爪先を回す。


 少々の無理難題にはいまだいつも面白がって手を出すゴウトは、キリコにそう頼まれた通り、ヌルゲラントの傭兵斡旋の元締めへ、いくつか知り合いを経由して連絡を取り、値と気の張る取り引きがあるので特別に護衛を雇いたいと、そう申し入れた。
 「あんたらのところなら信用が置けると聞いたんでね。ル・シャッコって、腕利きのがいるって話じゃないか。」
 「ル・シャッコ? あのAT乗りが商売人の護衛の仕事なんざ引き受けるかねぇ。あの男を雇うのは金も掛かる。」
 やはり話が早い。いまだ傭兵と言ってル・シャッコの名前を出せば、向こうはすぐ反応して来る。さすがシャッコちゃん、とヴァニラは小さく口笛を吹いた。
 「金に糸目はつけん。大事な取り引きなんだ。特別料金をはずんだっていい。大事な大事な荷を無事に相手に届けて、無事に帰って来なきゃならないんでな。近頃は、この辺りもずいぶん物騒になっちまって。」
 相手の懐ろに入り込んで、相手が気を許す瞬間を読み取るのだけは、いまだヴァニラはゴウトにはかなわない。根っからの闇商人の性分なのか、すっかり好々爺になった今も、必要とあらばこんな風に、怪しげな話をいかにもありそうに相手に吹き込むのだ。嬉々として無線のマイクに向かっているゴウトの後ろで、ヴァニラは舌を巻いていた。
 物騒だったのは少し前の話で、キリコが大騒ぎを起こして以来、この町はまた静かになり、キリコが舞い戻った後も、誰かが何かを不審がっているとか、誰かがそれを探っているとか、そんな話もまったく聞かない。少なくともこの周辺でだけは、キリコのことは誰にもばれていず、誰もキリコのことを気に掛けてはいないのだ。
 ここから遠く離れたヌルゲラントに、この辺りの噂が届くのはもっと後のはずだ。ゴウトは用心しながらも、安心して嘘を適当に散りばめて、聞き取りづらい無線の向こうの相手の声が、やっとル・シャッコに直接連絡を寄越させると約束してくれるところにまで話をこぎつけた。
 「連絡して来るかね、シャッコはよぉ。」
 くるりと椅子を回し、さっきまでの生き生きした声はどこへやったのか、ゴウトは疲れたように肩を落としてふうっと息を吐く。
 「さあな、グルフェーからだって聞きゃあ、察しのいい男だ、すぐワシらと分かるだろうが・・・他の星に出稼ぎに出掛けられるような状況かどうか。」
 あごの下に人差し指と親指を添え、考え込むように床を見る。ヴァニラは頭の後ろで手を組んで、薄暗い天井を見上げるように体を軽く反らした。
 こうしていると、30年前のウドの町とまったく同じだ。うまい話、様々な企み、計画、金儲け、そして今ここには、キリコもいる。ただひとつ大きく違うのは、ヴァニラとココナには家族がいて、ごく普通の暮らしをしていると言うことだ。
 「やるこたぁやったし、後は神さまにでも祈るしかねぇだろ。」
 冗談のつもりで、神さまと言って、ヴァニラは肩をすくめた。
 ひと仕事終えたゴウトは、よっこらしょっと椅子から立ち上がり、すでに痛み始めた腰を伸ばしながら撫でて、
 「昼メシにするか。」
と、ヴァニラの肩を押した。


 驚いたことに、シャッコは数日後にヴァニラの事務所の無線に連絡を寄越して来た。
 「シャッコちゃん!!」
 ひどく雑音の交ざる星間通信の、けれど確かに聞こえるシャッコの声に、ヴァニラの声が思わずうわずって、突然半径30cm以内があの頃へ引き戻される。
 ヴァニラは辺りをはばかって声を低め、マイクにもっと顔を近づけた。
 ──やっぱりおまえたちだったか。
 キリコに劣らず、声音に滅多と感情の表れない男だ。それでもどこか揶揄するような響きを聞き取って、ヴァニラは急に青二才の所作で鼻の下を撫でる。
 「話があるってのはほんとだぜぇ。大事な大事な仕事の話だ。金ははずむと言ったら、おまえここまで来れるか?」
 少しの間、シャッコが黙り込んだ。YesかNoを考え込んでいると言うよりも、どうやって上を言いくるめるか、その理由をすでに考え始めているような、そんな沈黙だった。
 ──厄介で面倒な仕事だそうだな。
 いつも平坦な声が、いっそう平たくなる。こちらへ探りを入れているのだと瞬時に悟って、ヴァニラは逆に声を張り上げる。
 「ああそうとも。貴重なブツの護衛だ。小さいが壊れモンだし、腕利きがいるんだよシャッコちゃぁん。」
 いかにも気が乗らないと言う風を装うシャッコに、ヴァニラが気をそそるように言う。誰に聞かれるかわからない無線だ。赤ん坊のこともキリコのことも、はっきりと言うわけには行かない。
 ──護衛はおれひとりか?
 単に、仕事の詳細を知っておきたいだけだと言うように、シャッコが質問した。ヴァニラは素早く、けれど慎重に声と言葉を選んで、その問いに答えた。
 「ひとり雇っちゃいるんだが、そいつだけじゃ心許ないってんでおまえのことを思い出したってわけさ。来てくれりゃわかる、おまえにしか頼めないんだ。」
 ──手こずりそうな内容なのか?
 「まあ、場合によっちゃ何度も荷をやり取りする羽目になるし、思ったより長くなるかもしれねえなあ。その分金ははずむぜぇ。危ない橋を渡るのは十八番だろ、シャッコちゃん?」
 その通りだ、とひとり言のようにつぶやいて、またシャッコが黙り込む。
 キリコと赤ん坊がここにいると、きちんと伝わったはずだ。小さな壊れものと、そのために雇われた、今ひとつ頼りない護衛。それらのために、シャッコが必要なのだ。ここへやって来ることが危険なのではなく、また再びキリコに関わってしまうことが危険なのだ。そして今度は、あの神の子と言う赤ん坊というおまけがいる。
 危険を承知でシャッコがYesと言うかどうか、ヴァニラはじっと返事を待った。
 ──まあいい、考えてみよう。数日中に返事をする。ただし報酬はふっかけるぞ。3倍は覚悟をしておけ。
 「足元見るなぁおい。まあ他ならぬシャッコちゃんだし、腕は信用してるから金は言い値で払う。そいつは心配ねえよ。」
 じゃあなと、断ち切るように素っ気なく声が途切れた。
 キリコの愛想のなさもよく誤解を招くけれど、シャッコの、こういう時のぶっきらぼうもあまり違いはない。キリコに比べれば争いの種になりにくいのは、あの大男に喧嘩を売る度胸のある連中があまりいないというだけの話だ。
 「来るかね?」
 まるで傍にゴウトがいるように、ヴァニラはつぶやいた。無線のマイクを切り、また青二才染みた仕草で、へへっと肩を揺する。
 「来るさ。来るに決まってる。何しろキリコがそう言ったんだからな。」
 しわの増えた頬や額に、それでもウドの頃のような奇妙な輝きの表情が浮かぶ。早速ゴウトとココナに知らせに行こうと、市内の見回りを仕事を抜ける言い訳にしようと考えながら、もう一度軽く肩を揺すった。

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