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Not Alone Again 2

 そこへ行け、ここへ来いと、そう言われてあちこちへ送り込まれる傭兵時代の名残りか、仕事を請けると返事をした直後、ゴウトが聞き取りにくい星間無線で伝えたのは町の名前だけだったと言うのに、シャッコは正確に、ヴァニラとココナの家族の住む家へ姿を現した。
 ヴァニラはもう仕事に出掛けてしまった後で、そのヴァニラを追って、息子や娘たちも仕事へ出掛けると言う直前だった。
 初めてクエント人を見る誰もが浮かべる表情──キリコもそうだった──を見せて、ドアを開けてくれた少女が、お母さま、とココナを振り返りながら、ちょっと怯えたようにココナの後ろへ隠れる。
 「シャッコ、来てくれたのね!」
 見かけはともかくも、声とその弾んだ物言いは昔とちっとも変わらず、ココナはシャッコにうれしそうに駆け寄り、中へ招き入れた。ココナの子どもたちは、母親のはしゃぎようとシャッコの見た目の不気味さをこっそりと見比べながら、首を縮めるようにして成り行きを見守っている。
 「キリコはどこだ。」
 よく手入れされた、いかにも裕福な大家族のための大きな屋敷の中をふらりと見渡して、シャッコはまず訊いた。
 「もう仕事に出掛けちゃった。北の外れにある倉庫で、ATの整備と倉庫の中の修理をひとりでやってるんだよー。」
 「AT?」
 こんな、商人ばかりの町にATがあると言うのにシャッコが驚くと、ココナは自分の後ろへ立っている子どもたちへ顔を向け、少し呆れた顔で首を振った。
 「バカ息子のひとりが、親の許可もなくこっそりここに運び込もうとしたんだよー。おかげでキリコには迷惑掛けるし、どこかの軍はしゃしゃり出て来るはで大変だったんだから。」
 思い出すと怒りがまた湧いて来るらしい。ココナは少し目尻を吊り上げて、息子のひとり──どれだか、シャッコにはよくわからなかった──をじろっとにらむ。
 「グルフェーでの小競り合いと言うのは、そのことだったのか。」
 シャッコがキリコを見つけ出す少し前に、噂の流れて来た事件だった。キリコらしい男がまた現れたと、そう聞いて、シャッコもキリコを探し始めたのだ。キリコとはつくづく縁の深いことだと、ココナを見下ろして、そして、少しばつの悪そうな顔をしている子どもたちを眺めて、シャッコはそうとはわからないほど薄い笑みを浮かべる。
 「まあいい、話は後で聞く。キリコのところへ連れて行ってくれ。」
 「ええ、もう? せめてお茶くらい、まだ朝も早いし、朝ごはんだって食べてないんじゃ──」
 ココナが引き止めようと腕を掴んで来るのをするりとかわして、シャッコは首を振った。
 「あいつがおれを呼んだ。何もかも、あいつの話を聞いてからだ。」
 申し訳ないが、腰を落ち着けてココナたちと昔話を楽しむためにここまでやって来たわけではない。シャッコは胸の中でひとりごちた。長老であるテダヤにだけは事情は打ち明けてあるけれど、あの赤ん坊を連れて姿を消したキリコの元へ、神の子を殺す目的でなくシャッコがやって来た時点で、すでにクエントの掟に背いている。神の子に直接手を下す必要はないにせよ、生かすために行動することも、本来なら許されてはいない。キリコがここに赤ん坊と一緒にいると知っていて、赤ん坊──とキリコ──を連れ戻す目的以外でこここへ来るなど、テダヤ以外の誰かが知ったら、シャッコをヌルゲラントから出しはしなかったろう。
 「あの赤子はどこにいる?」
 静かな、幼子の気配などない屋敷の奥へ、視線を流しながら訊いた。
 「キリコと一緒だよ。」
 シャッコを引き止めるのを諦めて、ココナが後ろへ1歩足を引きながら答えた。
 「自分の目の届かないところへ置いて行くの、嫌がるんだキリコ。」
 ココナの返答を、シャッコは少し意外に感じて、そうして同時に、キリコが一緒にいるなら安全だと、そう思いもする。
 「ソルティオ、シャッコをキリコのところへ連れて行ってあげて。アンタはそのまま父さんのところへ行くといいよ。」
 驚いたように、怯えたように、ひょろりと背の高い青年が、まだ稚ないほど若い表情を浮かべて、
 「オレがぁ?」
と素っ頓狂な声を出す。髪と肌の色はヴァニラ、聡明そうな、けれど線の細い顔立ちはココナによく似て、そして声のうわずり方は両親ともにそっくりだ。
 血の繋がりが見せるそんな不思議を、シャッコはちらりと横目に見て、何かあたたかなものを感じながら、もう先へ立って外へ出ようとしていた。
 
 
 ソルティオの運転は慎重で、シャッコは特に運転中の彼に話し掛けることはしなかった。ソルティオはやはりシャッコが気になるのか、スピードを落とすたびに、ちらりとシャッコの方を見るけれど、これもわざわざ話し掛けて来ることはしない。
 自分が、異様な背の高さを除いても、それほど人好きのする方ではないと知っているシャッコは、ココナとヴァニラの息子だからと別に愛想を振りまくこともせず、その方がソルティオ自身も気楽だろうと、町の様子やここでのキリコの様子を尋ねることもしなかった。
 車はほとんど町中は通らず、人通りも家らしい建物も滅多と見えない道ばかりを通り、後ろに砂煙を巻き上げながら、次第に町の外れの、うら寂しい辺りへ向かってゆく。銃弾の痕や破壊の痕はどこにも見当たらず、この町が、長い間平和だったことを見て取って、ここでキリコとまた会うことを、シャッコは少しばかり不思議に感じた。
 車は、石造りの大きな建物の方へ向かって、その中へ走り込んでゆく。見渡せば円形の階段に囲まれ、今はどうだか知らないけれど、昔は演芸場か何か、人を集めて何かを見せる場所だったのだろうと、丸く広がった空を見上げる。階段の一方のいちばん上に、ぽっかりと口を開けた大きな倉庫があり、その下でソルティオは車を止めた。
 「あの中にいるはずです。」
 指差されても、階段の下からでは見えるのは倉庫の天井辺りだけで、そうかとだけつぶやいてシャッコは車を降りる。見れば、これはキリコが乗って来たものか、ソルティオの車よりも少し小さい、もう少し古い形の車がそこに止まっていた。
 「ありがとう。」
 もういいと、うなずいて示すと、ソルティオはシャッコが礼の言葉を発したのに驚いたのか、ちょっと肩にあごを埋めるようにして、数秒戸惑ったような仕草を見せた後で、じゃあ、とそのまま来た道を走り去って行った。
 ソルティオの車が建物の外に消え、シャッコは改めて周りを見回して、上の倉庫からキリコが音と声を聞きつけて顔を出しには来ないかと少しの間待ってみたけれど、相変わらず倉庫の方はしんとしたまま、ほんとうにキリコがいるのかと、シャッコは訝しがりながら階段にようやく足を掛けた。
 ゆっくりと上がる途中で、いっそう広がる視界の中に、小さな杭に繋がれたヤギを見つけて、刈った草の小山の傍に、所在なさげに佇むそのヤギに数秒目を凝らしてから、シャッコは石階段を上がる足を、ほんの少し早めた。
 階段には、明らかに重いものが下まで滑り落ちた跡が何ヶ所かあり、ATかと何となく思いながら、これも多分キリコが原因なのだろうと、どこへ行っても争いを避けられない彼を、少しばかり不憫にも思う。そうして、階段を上り切って、今はうっすらと中にATが何台か見える倉庫の中へ、躊躇いもせずに足を進めた。
 「キリコ!」
 陽がさんさんと照る、数歩後ろとは大違いだ。倉庫の中は明かりもなく、ただ暗い。AT数台の輪郭は見える。倉庫の中がどこか破壊されているようには見えなかった。キリコはどこだろうかと、シャッコはもう一度同じように声を張り上げてキリコを呼んだ。
 「シャッコか。」
 砂利が石を噛む音がして、懐かしい足音が近づいて来る。うっすらと白い影が目の前にやって来て、
 「いつ着いた。」
 問いだと言う抑揚もない、無表情な声が訊く。
 「ついさっきだ。ココナの息子の、ソルティオとか言うのがここまで連れて来てくれた。」
 今まであったことを考えれば、肩を叩き合って大袈裟に無事を喜び合ってもおかしくはない──ヴァニラやココナならそうするだろう──再会だったけれど、この調子に慣れているふたりは、抱き合うでもなく、手を差し出すでもなく、目顔だけで互いの様子を眺めて、それで再会の挨拶は終わってしまったようだった。
 「赤ん坊はどこだ。」
 「そこだ。今は寝ている。」
 キリコが斜め後ろを肩越しに指差した。言われた方へ目を凝らすと、白っぽい布にくるまれ、かごの中に入れられている小さな生きものが見え、確かに眠っているらしく、声も音も立てない。
 シャッコは、自分を見上げているキリコが、最後に見た時とまったく変わっていないのを眺めてから、キリコの横をすり抜けて赤ん坊のかごの方へ行く。ごく自然に、いつもよりも足音をひそめて、眠っていると言う赤ん坊を起こさないように、なるべく静かに近寄った。
 床に膝を落とし、薄闇の中でも白い赤ん坊の寝顔を、じっと見下ろす。ひたすら柔らかそうな頬は健やかに丸く、どんな夢を見ているのか、小さな親指を吸いながらまぶたがゆるく動いていた。ヌルゲラントで見た時よりも、人の輪郭がはっきりしているように見え、触れればそのまま裂けそうだった皮膚は、もう少ししっかりとした照りをたたえて、普通の赤ん坊にしか見せないにせよ、シャッコやキリコのような人間には見える、この赤ん坊が何か特殊な存在なのだと伝えて来るオーラのようなものが、その安らかな寝顔の周囲をふわふわと漂っている。
 確かにあの赤子だ。少し大きくなっている。
 シャッコはそのまま肩越しにキリコの方へ振り返り、こちらをずっと見ていたらしいキリコと視線を合わせたまま、また音もさせずに立ち上がった。
 「歯が生え始めている。噛まれると痛い。」
 入り口の近くは、はっきりと顔が見える程度には明るい。そこで向かい合って、キリコはなぜか照れくさそうに、小さな声でシャッコにそう告げた。
 「クエント人の赤子は成長が早い。歩けるようになるまではすぐだ。」
 そう応えると、その後はキリコが黙ったので、シャッコも黙った。
 赤ん坊の方へ視線を投げ、それからまたシャッコを見上げる。人を見つめる時には物怖じしない男だ。それは親しみの表現ではなく、単に敵か味方か、自分がどう反応すべきかを見極めるための、観察の視線だった。シャッコに向かうそれには、こちらの心を見抜くような鋭さは抑えられて、どちらかと言えば言葉数の足りなさを視線にこめているような、そんな色合いがある。
 何か言うべきことがあるのに、どこから始めていいのかわからない、どんな言葉で始めればいいのかわからない、こんな風に自分を見るキリコの目は、年相応に少年めいて見えた。
 「・・・ここへ来るのは、大変だったのか。」
 いつも、敵を警戒しているような、ひそめた声。これが習い性になっているのはシャッコも同じだ。それでも、自分に比べればほとんど子どものように若いこの男に、もう拭えないほどそんな所作が身についてしまっているのを、時折シャッコは憐れに感じていた。
 30年、自分も含めて他の人間たちは年を取ってしまったと言うのに、この男はひとり少年のまま、それは時を余分に得たと言うよりも、この男に、ほとんど罰のように与えられたただの重荷でしかない。だからこそ、他の星の人間たちに比べれば齢を取るのが遅い、ずっと長く生きるクエント人である自分をここへ呼んだのだろうと、シャッコはとうに見当をつけていた。
 さて、どう言ったものかと、数瞬短く思案した後で、シャッコはとりあえずは正直に、けれど少しばかり現実を割り引いて伝えることに決めた。
 「報酬が3倍だと言って黙らせた。面倒なことを言うやつはどこにでもいる。長老から許可が下りれば、おれを止めることは誰にもできん。」
 「・・・長老は、テダヤはこのことを知っているのか。」
 ほとんど見逃されそうな──それを期待して──かすかさで、シャッコはうなずいた。キリコは、その答えに対してはっきりとした感想は表情には出さず、肩越しに赤ん坊をまた見やって、それから、ようやくと言った風に、もう1歩シャッコへ近づいて来る。
 「おれはまた、おまえに掟を破らせたな。」
 「掟を破ることを選んだのはおれだ。」
 その時だけははっきりと、大きな肩をそびやかす。それを見て、少しばかり苦笑に似た薄い笑みを刷いて、キリコが小さくため息を吐く。そうして、緊張の糸をやっとほどいたように、キリコの肩や頬の辺りから硬い線が消えた。
 近づけば、シャッコを見上げる角度がさらに大きくなる。小柄ではないけれど、見せびらかすために筋肉をつけたと言う風もなく、アンダーシャツ1枚のキリコは、耐圧服を着込んでヘルメットをかぶっている時よりも素の顔が覗いて、これであの赤ん坊を抱いていれば、父と子と言うよりも、少しばかりの歳の離れた兄弟と言った方がよほど真実味がある。
 普段は恐ろしいほど無感動のキリコの瞳が、今は奇妙に人らしく、シャッコを見上げている。
 シャッコはあごを胸元に埋めるようにして、キリコを見下ろしていた。そうして、キリコが何か言うのを、じっと待った。
 階段の下から、風が舞い上がって来る。倉庫の中に吹き込んで来て、シャッコの背に当たって天井に向かって滑り上がり、その途中で、シャッコの後ろ髪を乱してゆく。それにちらりと視線を流して、見つめていたシャッコの額の真ん中辺りからもっと上の、天井の濃い闇を上目に見て、そこからまたシャッコへ視線を戻し、キリコは、深呼吸のように、自分の足元へ大きく息を吐き出した。
 「おれは、戦うしか能のない男だ。赤ん坊の抱き方もあやし方ひとつも知らない。赤ん坊とふたりきりになった後、立ち寄る先々で親らしい女たちを見つけては手を借りた。途中でいっそ、その女たちのどれかに、赤ん坊を預けて立ち去ろうかと思った。おれが飢えるのは自由だが、赤ん坊を飢えさせるわけには行かない。おれと関わったところで、あの赤ん坊に良いこととも思えない。」
 キリコがそこで一度言葉を切ったので、シャッコは静かに口を挟んだ。
 「あの赤子を助けると決めたのはおまえだ。おまえに助けられて、あの赤子はあの時はっきりと神の子と決まった。おまえは一度神を殺した男だ。そのおまえが再び神の子を殺すなら、それはそうと定められたことだ。」
 「神殺しがおれの役目か。神が完全に滅びるまで、おれは神を殺し続けるのか。」
 「それはおれにはわからん。誰にもわからないことだ。」
 「・・・神にでも訊くしかないな。」
 また、キリコが赤ん坊を振り返る。言葉の途中に、揶揄するような響きが交じった。
 キリコが自分の方へ向き直る前に、シャッコは赤ん坊の方へあごを大きくしゃくった。
 「おまえは、この赤子を殺したりはしない。殺すつもりなら、わざわざこのおれをここへ呼んだりはしない。そうだろうキリコ。」
 元の位置に戻りかけたキリコの横顔がそこで止まり、瞳だけを動かして、シャッコをにらむように見る。射抜かれるような視線をシャッコは動かずに受け止めて、ただ静かに、キリコをそのまま見返した。
 眉の間に深くしわを寄せて、怒りを表しているような、考え込んでいるような、どちらとも取れる表情が浮かぶ。自分の生き死にを分ける判断は瞬時に下せても、ひ弱な幼な子の生殺与奪の権を自分の手に握ると言うのは慣れないことらしい。キリコの迷いを、シャッコは可愛らしいと受け取った。悩んで、愚痴のひとつもこぼしたいと思って、あるいは歳相応に駄々をこねる相手を探している、こんなキリコには覚えがあった。シャッコは昔を思い出して、知らずに微笑んでいた。
 「この子はクエント人だ。」
 キリコが言う。シャッコは素直にうなずいた。
 「そうだ。」
 「おまえの部族の子だ。」
 「ああ、そうだ。」
 「おれでは、クエントの言葉も掟も教えられない。」
 「だろうな。」
 「だから、この子を育てるのに、おまえの助けが必要だ。」
 キリコが何を言い出すのか、予想はしていたけれど、キリコがこんな風に素直な言い方をするとは思わず、シャッコは少しの間呆気に取られた。
 戦場でさえ、助けてくれと言う言い方はしたことのない男だ。頼むと、ほとんど不承不承口にしたことはあったような気はする。けれどいつだってこの男が頼みごとをする時は命令口調だったし、それを不思議とも生意気とも思わず受け入れて来たシャッコだった。キリコとはそういう男なのだと、それはシャッコのクエント人気質のせいなのかどうか、ほとんど少年のような男にそんな口を聞かれても、特に腹を立てた覚えもなかった。
 おまえ、可愛くなった。
 シャッコは、思わず胸の中でひとりごちた。はっきりそう言ってやるのはもっと後でいい。今はただ、そうしようとうなずいてやるだけでよかった。
 「おれも、赤子の面倒を見たことはないぞ。」
 「しばらくはココナたちが助けてくれる。普通に物が食べれるようになれば大丈夫だろう。」
 「おまえと一緒に神の子を育てるなら、おれはもうヌルゲラントへは帰れない。」
 心の痛むことではなかったけれど、重大な決意ではあった。だから、その重さを伝えておくべきだと思って、シャッコはわざとそれを口にする。キリコは表情をまったく変えずに、そう言ったシャッコを真っ直ぐに見返して、静かに唇を引き結んだ。
 それはおまえが決めることだ。だが、おれのためにそうしろ。おれと一緒に、神の子を育てろ。
 キリコの、いつものきっぱりとした口調が、耳の後ろに聞こえた。それを心地良く聞いて、シャッコは口元をほころばせ、たった今、自分の足首から、掟と言う重い枷が取り払われたのを感じた。
 爪先が軽い。自由に動けるのだと言う思いは、同時に、これからはもう、キリコと赤ん坊と自分だけなのだとそう思い知る恐怖も一緒に引き連れて来る。
 赤ん坊を殺したくなかったのはシャッコも同じだった。だからこの成り行きは、正しいことなのだろう。何かの力に引き寄せられて、肩寄せ合う羽目になった外れものたちが、寄せ集めの家族になる。そこへしっかりと根を張るためではないにせよ、神の子を育てると言う同じ目的で、キリコと一緒に生きてゆくこと──少なくとも、しばらくの間──には何か意味があるのだろう。
 「ATは何機あるんだ。」
 足を前へ出して、キリコと肩を並べながらシャッコは訊いた。
 「8機だ。1機はもう点検し終わった。2機目は輸液パイプの調子がどうも悪い。最悪の場合は、ばらして部品に使おうかと思っている。」
 「ベルゼルガに使えそうな部品はあるか。」
 シャッコと並んでATの方へ歩き出しながら、キリコは今整備中らしい2機目のATを指先で示す。
 「さあな。ベルゼルガなら2機潰すことになるぞ。」
 「ゴウトに頼めば、どこかから使い古しのベルゼルガを調達して来てくれるだろう。」
 「ああ、あの男にできないことはない。」
 歩き回るふたりの足音に目を覚ましたのか、赤ん坊が不意に、布でも裂くようなやわらかな声で泣き始めた。キリコはすぐに足を止め、ほとんど間を置かずに赤ん坊の方へ足を向ける。
 「この子の名前は、おまえが決めてくれ。」
 シャッコに背を向けたままキリコはそう言った。
 「おれがか。」
 赤ん坊とシャッコの、ちょうど真ん中辺りで足を止め、振り向かないままキリコはうなずいた。
 「そうだ、おまえがだ。この子はクエント人だからな。」
 また背中が動き出す。赤ん坊へ向かって両手を差し出しながら床へ膝を折るキリコの背中を、シャッコは微笑みながら眺めていた。
 抱き上げられた途端に、赤ん坊の泣き声が少し小さくなった。丸まったキリコの背中は、兵士のそれではなく、AT乗りのそれでもない。その赤ん坊を、自分も守るのだと思いながら、シャッコはキリコの背中を赤ん坊ごと抱きしめるために、足音を消してそこへ近づいて行った。

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