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時の流れも不確かな中で、同じ時刻というのがどれほど信頼に足るかは分からないが、ミスラが奇妙な商人キャラバンと乱交三昧なその時、同時刻。一人の少女が数日振りに空を見ていた。
「へー、こんなトコにでんのか。こりゃ分かんねーな」
見るからに育ちの悪そうな少女は、ぶるぶると頭を振って土とほこりをはらい、タンと一緒に口の中の砂を吐きだす。態度の悪い、黄金色の巻き毛。これ以上なくたくましい、あえて群れからはぐれることを選んだ羊。
「んー?」
少女は大気に充満するにおいに少し眉をひそめる。嗅ぎなれたにおいではあるが、こうも密にただよっていていいにおいではない。こうまでこのにおいが漂うのは、疫病の蔓延した都市か、略奪の限りを尽くされた敗残国か。
「おい」
少女はにおいの元に語りかける。においの元は朽ち果てるのを待ちながら少女を見る。なぜこの娘の声が自分の元に届くのか、においの元はわからない。
「なにー?子供?どれだ?このうんこみてーなヤツか?オイどけ、おめーが潰してどうする」
少女はにおいの元の内臓の下から、小さな白い塊を引きずりだす。わずかな命の声。においの元にとって、それは福音に等しかった。
その子がいれば、においの元は約束の地へ旅立つことができる。自らの使命を果たすことができる。においの元は小さな少女にお礼をいいたかった。だがやり方がわからない。においの元と少女では存在が違いすぎるのだ。
「マユ?よく聞こえねーよ、オイ行くなバカ、そっちいったらいくらオレでも手がだせねー」
その時一陣の風が舞い、少女は骨の砂塵の向こうに現れた黒い塚の存在を知る。それは彼女に、現状の認識をもたらすに十分な証拠。すべての元凶。イヤな記憶がよみがえる。彼女は塚に向かって唾を吐く。
「アイツラにやられたのか?」
少女の声は静かに怒気をはらむ。
「おいでかいの」
においの元は立ち止まる。
「でかいの、オレ様の声を聞け。オレ様のいう通りにしろ。アレが憎いか?憎いだろ?殺したいいよな?ブチ殺したいよな?」
実際のところ、においの元はもう眠りたかった。自らを殺した者への恨みはさほどない。子供たちは生きているし、彼等には果たさねばならない約束があった。
眠りゆくことは彼等の最も優先すべき義務、この砂漠が命を失ったときからの責務なのだ。
しかしこの少女そうしたいというのであればやぶさかでもない、少女がそれを求め、それが彼女への礼になるのなら、においの元はそうするべきなのだろう。
それにしてもこの少女は、実に楽しそうに笑う。
「ちょっと手伝ってけでかいの、お前のカタキだ」
気がつけばにおいの元には世界を認識する術が再び宿った。水の中から見ているようではあるが、彼等は少女の求めに応じて立ち上がった。
・・・・・・。
「きゃうー!!!」
「ちょちょちょ、ちょっとちょっとマユー、さささ、騒がないでください…!」
「あぅ、メロちゃん一番うるさいです」
黄金猫商会戦車車両3号車、即ちミスラと美女少女の乱交会場と4号車を繋ぐ廊下。どもりがちなちび学者のガニメロは、なぜだかテンションが上がりだした少女マユーをなだめるのに骨を折る。
それを見る見習い魔術師のミルケロルは他を寄せつけないほどにマイペース。
「はぁ…ふぅ…ままま、まったくミスラさんって人は…少しはぼ、ぼ、ぼくらのことも考えて欲しいもんです…ううう」
「うーうー!!」
「だだだ、だめですよマユー!アナタにはまだはやいです!ももも、戻りますよ!…って、ひやぁぁぁぁあ!!!」
「うあー?」
そりゃ、驚きもするだろう。上から下まで真っ白な無垢なるマユー、その細い腰を捕まえてみれば、股間が血の色に染まっているのだから。
「あぅ?まゆちゃんもう大人です」
「ど、ど、ど、どうしたらいいんですかこれー!!?」
小さな学者はあたふたあたふた。そういう知識はあえて避けてきたから勝手が分からない。
たよりにすべき大人共はセックス三昧、ぬこぬこぬこぬこ……
「あーんもうどうしたら……あああ…あんな小さな子までテゴメにしてる…み、み、ミスラさんて…ホントにもう…」
「あぅー?メロちゃんさっきからグズグズぬかしながらしっかり覗いてるです」
「ちちち、ちがいますよ!…ああ、ウソだウソだ…あんなえげつない繋がり方が…」
「あぅ、メロちゃん仲間に入りたいならそういえばいいです」
「ふぇぇ!?ちち、違います違います!!ぼぼぼ…ぼくなんかがその…」
「みすらさんくる者はこばまないです」
「あ、あ、ええ!?、ミル…アナタまさか…!?」
ポゥッとばかりにほほを染めるミルケロルに、子供なのは自分だけだと小さな学者は悟ったのである。
・・・・・・。
円筒状の巨大な塔が、獲物の腹に突き刺さるようにいくつもいくつも、角度を変えて大地に刺さっている。大地といっても、核をもった星ほどの確かさがこの層状文明にあるはずもない。
肉体による経験範囲に収まる程度の常識をわきまえていれば、この構造物がいつ崩落を始めてもおかしくない危険なものだという認識が、足元不確かな浮遊感とともに身体を襲うだろう。
実際ギルジム・ティコネットはわずかな眩暈を感じていた。
傾き癒着しあった塔の群れの、間を縫うように走る階段があり、どれ一つとして地面に平行な直線がない。上下左右をとりかこむ塔の壁面とあいまって、空中を無理矢理走らされているような錯覚に陥る。
目指すべきは階段の昇る先、塔の群れの中央、最も巨大な支柱の頂上にしつらえられた祭壇だった。
「ミルチア!ザコに構うな!!」
「分かってるさ…分かってるけど…クソ!こいつら結構早いし硬いし多いし…」
ギルジム・ティコネットは照星を定めもせずに引き金を引く。空気の割れる音が3つ連なり、騎士ミルチアのしとめそこなった土偶の頭を吹き飛ばす。
ほうっと気を抜いたミルチアの背後、塔の壁面粘土質の壁の中から図ったように新たな土偶が湧いてでて、ビックリしたミルチアをフォローするのは騎士エルエン。
「うひゃぁっぁあ…あぶなぁ…」
「ミルチア君…なぜ君はいつもそう…すぐ気を抜く」
波にさえ乗れば修羅のごとく動くのに。騎士エルエンはため息を吐く。
それでもまだ、リリィの元に置いてきたアザカゼに比べれば分かっているほうだ。少なくともミルチアは他人のために剣を振るえる。
アザカゼときたらホントにもう、己の欲望のためにしか動かないというか、具体的に殴る蹴る、ぶった切るその他暴力が気持ちいいのであって、大儀とか恩義のために動いたことなど一度だってないのだ。
無理矢理連れてきていたら、ミスラのことに気がいって足手まといになっただろう、あのじゃじゃ馬、今頃思う存分えっちらおっちらあんなことやこんなことを…
「うう…ミスラ殿…そんなプレイが好きならボクにいってくだされば…いやいや、ミスラ殿がしたいというのなら…」
「なにぼーっとしてはりますのん?エルエンはん」
「はぅっ!?」
今まさに、股間を潤ませる騎士エルエンにラリアットをかまそうとしていた土偶の兵士を、放蕩者のシラカワ・ヨフネがデコピンで眠りにつかせる。
この一日のほとんどを寝てすごす少女は、実のところもう寝る時間であり、さっきからあくびが止まらない。
先頭を行くモナメテオは力の配分を考えずに魔力をふるう。
数百年を生きて、日頃は大樹のように悠然とする彼女も、今はもう沸騰しきって、未来のことなど見えていない。空気も読まずに湧いてでるモンスターにイラつき、己の無力にイラつき、ともすれば横を行くクリステスラに当り散らしてしまいそうになる。
「…ミスラ…ミスラ…!」
煮えたぎる心の中で、彼女はふと、イラつきの原因が他のところにあるのではないかと思いたつ。
記憶の中の重たいフタが、わずかに開く。閃光。
その記憶が事実なら、彼女は己が狂うのを止められるか自信がなかった。
・・・・・・。
「は……ぁぐ…ぅぁぁ……!!」
ノドの奥からこぼれでた吐息を吸う。ミスラの下に組み敷かれたドミニクは、避けた痛みでお腹をつっぱるようにのけぞり、へその下でミスラの身体を押し返す。
とめどなく溢れる涙と血と苦悶の呻き。摩擦以上にどこか腰周りを痛めたのか、呼吸のバランスが少し崩れて、不規則に上下するノドが彼女の内面の戦いを物語っている。
「…ダンナ…もっと、……もっと激しくしてくだせぇ」
「え?いやいや、ムリだよドミィ、どうみても」
「いいんでさ…つねって…そういうのが…」
「こ…こう?」
「っぁあぅ!!!…ぁぁ…ぁ、っふぁ…もっと…」
「も…もっと…?」
綺麗な乳首を、指でよじる力を強めていく。ドミニクは下唇を思いっきり噛締めて、ケンカでも吹っかけるような顔でミスラを睨むのに、アゴを引いてもっとやれという。
無茶だろう。困惑して腰の動きがおろそかになるミスラの前で、赤い恥毛がフラリと揺れる。
「私が代わりにやったろーかや?ミスラさん」
「ん…?やるってなにをさ、リットーサ」
ミスラを見下ろすのは、多分年下のくせにタメ口でしゃべる吸血鬼。礼儀をわきまえてなさそうなのに、そのくせ一応人のことをさんづけで呼ぶ辺り、悪気はないのだが言葉遣いをしっかり習ってこなかったというか、要するに天然育ちのヤンキーである。
赤い髪の少女は腰に抱えられながらもちゃもちゃいう従者モチャの小さな膣を二本指でほじくりかえし、その淫水のついた指先で自らの秘肉もなぞりあげる。
桃色の肉の亀裂からは、覚えたばかりの快楽のにおいがにおいたっていて、たまらずミスラが舌先でつっつくと、キャーキャーいいながら腰を引く。花ざかり。
「はっ!?」
殺気を感じて下を向くと、どう見ても「邪魔スンナテメェ殺すぞ」という顔をしたドミニクがリットーサを睨みつけている。怒気と殺気が黒く冷え固まって、随分と人を刺すのに適してそうなナイフというかなんというか。
「ドミィドミィ、子作り行為の最中に人を殺すことを考えるなんて、皮肉にしては芸がないぜ」
「ダンナ……わかってますよ……チッ」
「別にかまわんやさーミスラさん、どいてどいて」
リットーサは怯むでもなく、向けられた敵意をむしろ楽しむように笑みを浮かべ、繋がったままのドミニクに顔を近づけていく。
その口から覗くのは、鋭利ではないが肉に喰い込むのにはもってこいな牙。
「だいじょーぶ、跡とかつかねーし」
「ちょっと…なに……ひゃうっ!!」
そのまま吸血少女は、抵抗を試みるドミニクの首筋にかぶりつく。人間の風習からは埒外に当たる行為にミスラは萎縮、もちゃもちゃいう従者に状況の説明を求める。
「もちゃ…」
「なになに、別に血を吸ってるわけじゃなくて、子供動物のじゃれあいみたいなもんだと?うぬぬぬ…それにしては淫靡な…」
「んぷ……へへ、ミスラさん、動いたげて…あむ」
「……ぁぅ……やぁ…」
愉悦の炎をともすドミニク。吸血少女は興がのったのか、真っ赤な舌先で物書きの乳房をねぶり、静かに深く、牙を立てる。
「はぅ…ぁ…え?ふぇ??…や…やぁ…!!ふぁぁあ!!!」
ちゅぱん、ちゅぽん。…つぽ。
「んおお、なんだなんだ…なんかやばいことしてないだろうなリットーサ」
「べつにー、タダの痛み止めのおまじないやし…」
ぱつんぱつんぱつん…きゅぶ。
クスクス笑う吸血鬼は、イケニエになった少女の乳首を咥えながら、なめらかな指で陰核をなぞる。その指がミスラの肉茎に触れ、不意の感触はすぐに射精に変わった。
・・・・・・。
「まずは仮面をとってもらわないと…」
「オゥゥゥ…ァァ…ゥァ…」
シェセト・ガルガンプはマゴマゴしている。いわく、生まれたときからこの仮面をしているらしく、呪われているらしく。
世界の刺激に対してすべからく不慣れというか敏感というか、ムリに仮面を剥ぐとオシッコを漏らすとか何とか。
「やっぱりやだぁぁぁあ!!!」
一方でフラミア・ラミアミアはあいも変わらず泣きじゃくっている。アクシェラさんの嘘つき、あの男をブチ殺してくれるとおっしゃっておりましたのにわんわん……
「テンネさん、ムリだよこの子らは…」
「強引にやっちゃえば大丈夫なんですけどね。ではですね、とりあえずこちらの2人から…」
示された先にはロナ、ミルキフィリオの両氏の性器。
「本当にもう少しなんですねミスラ君。きっと全てがうまくいきます…本当に本当に…」
「テンネさん?」
「テンネー、どうすんのさオイラ、やらんでもいいのー?」
「はいはい、ドラスもね、お願いしますね」
意味深なテンネの言葉はくちびるとともにミスラを離れ、ミスラはまた蜜欲の海に溺れていく。こんなことをしている場合ではないという焦燥感はあるのだが、何をすべきなのかは分からない。ただ、目の前の柔らかい肉に手を伸ばす。
・・・・・・。
「なんじゃこのこんがらがった封印は…」
「オイまだかモナ!もう限界だぞ!!」
「やっておるわ!!」
どこを見ても土偶土偶土偶。円形の塔の頂点、中心には一段高い祭壇があり、リボンにも似た光の封印がこんがらがっている。ザクロ団並びに百合騎士団の面々は外周を見据える形で陣を展開。
「ははーん、こりゃぁさすがに、文明の最重要遺跡ともなると防衛機構もケタが違いますねぇ」
「ええい邪魔じゃ、このイカサマ女狐!!戦わぬならせめてわきに退いておれ!!」
「ひゃー怖い、クリス譲ちゃん、アタシら非戦闘員はお言葉に甘えてましょ」
「……。」
「む…?なんじゃクリス…」
「私もやる……メルの考えてそうなことはわかるもん。…多分」
「あちゃー、するってーと、役立たずはアタシだけで…?にゃはは…」
土偶がバラバ砕かれる。霧散し、充満する土の破片。片隅に、砕かれた土偶を拾って食べてる土偶がいる。一見ひ弱そうなその土偶は、見る間に膨張し、黒く硬く、醜悪な魔人と化す。
「この…!!」
烈火のごとく魔物の群れを切り結んでいた少女達であっても、さすがに疲労の色は隠せない。終わりの見えない敵の兵力は、湖面の底の様な圧力を持って一人一人にのしかかる。空のなんと遠いことか、息はすでに吐きだしてしまっているのに。
足がもつれ、普段ならばたわいなくいなせる一撃がわき腹を襲う。また同じ力で眼前の敵をなぎ倒さねばならないことに途方もない絶望を覚える。主に逆らう二の腕は、鉄のように重い。
「おいミルチア君…しっかりするんだ!!」
「ふぅ…」
「ミルチア…」
「なぁエルエン殿…ミスラには黙っといてくれないかな…?」
「なに…?まさか……おいやめろ!!」
瞬間、意を決したミルチアの心臓が爆ぜ、黒い体液が身体を内側から食い破る。柔らかな筋肉を蝕むようにぶくりと膨れた血管が全身を多い、次々と折り重なる鱗はやがて獣のような概観を構築。
否。それは生き物ですらない。この世の悪意を凝縮したような面相。肉の塊。淡く輝く静脈は、明らかにこの世の文脈とは別次元の存在である。
「あんまりかわいくないからな…この姿は」
黒の心臓。
彼女の一族が、代々背負ってきた業。
最も怨み、最も頼りにしている相棒。ある時はその鼓動を聞きながら眠りに落ち、またある時はその鼓動がいつ止まるとも知れず怖れた。自らの一部であり、他の何者かである矛盾した存在。彼女の人生は、常に心臓との対比でしか語ることができない。
彼女はよく夢を見る。紫色の鉄の世界。その世界はあらゆる建物が有毒の空を目指している。
子供のミルチアは病弱で、クレヨンの色を覚える前に死ぬことが確実だった。
彼女の母は先生と呼ばれていて、毎日毎日、一日のほとんどを寝てすごすミルチアのために両手をさすってやる。例え夢でも、ミルチアはそのぬくもりだけははっきりと思いだすことができる。
夢の中で母はいつも祈っている。弱い心臓に生まれてごめんなさい、ミルチアはいつも心の中で申し訳なく思う。
それからなぜ、ミルチアが母を殺すことになったのかはよく分からない。強い心臓を貰ったミルチアがいて、その手は血にまみれている。夢はいつも全てを語りはしないのだ。
「私はもうお前のことなんてちっとも怖くないんだ相棒。次は許してやるチャンスだぞ…ミスラを救えるのなら私は…」
黒衣の獣は、大気を震わす雄叫びと共に哀れな土偶を引きちぎっていく。
「ミルチア君…」
早計だ、騎士エルエンはミルチアの無計画に半ばあきれる。たかだか遺跡の守護兵相手に使ってよい力ではない、リリィに固く禁じられた、命を削る獣化能力。
後には魔族の長だって控えているのだ、いるのだが……彼女は沸々と湧き上がる己の闘志を抑えきれずにいた。
「そうかキミは……ふふ、なるほど」
ミスラのことを思えば、力など後からいくらでも湧いてでる。もっと早く、気づけばよかった。
「我が剣我が命、ミスラ殿に捧ぐ!!」
刹那、騎士エルエンの魔力が両翼を備えた白馬となり、群れ固まった土偶の壁を踏み砕いていく。
そんな強力な魔法がくると思ってなかった土偶はたまったものではない、縦横無尽のひづめに潰されぐッちゃぐちゃ。
主人を守るためにのみ使うことを許された百合騎士団最終奥義。その数百年にも及ぶ禁忌を最初に破ったのは、皮肉にも史上最も融通が利かないと称された少女であった。
それを見たシラカワ・ヨフネとギルジム・ティコネットは、感嘆と共に安堵のため息である。
「はー、すごいわーミルチアはん」
「ああ…まったくだな」
手練れ揃いのザクロ団でも、はたしてこれほどの使い手が何人いるだろうか。正直戦闘能力でいえば中の下にあたるティコネットは、また自分の居場所が一つなくなるのかと2人の騎士をうらやましく思う。
自分にできることは料理と偵察、せめて2人のように真っ正直に生きられたなら、もう少しミスラの役にたてただろうか。
「ちょっとちょっと…なんですかありゃぁ……」
最初に異変気づいたのは女商人シャマニだった。ついでモナメテオ、ティコネット。
ミルチアとエルエンは、己の中に焚きつけた灯火が無慈悲にも踏みつぶされるのを感じる。
遺跡を構成する無数の塔、そのうちのいくつかが無様に膨れ、にわかに人の形を形成する。あまりにも巨大な兵士。ゆっくりと、追い詰めるように這い上がってくるその土くれは、表情のない顔で祭壇の上をのぞき見る。
「ミスラ…」
黒衣の少女はもう、己を支えるヒザがどこにあるのかも分からない。大地の津波。ほとんど壁。こんなもの、何をどうしたら勝ったことになるのか。世界が丸ごと、自分を犯しにくるかのような錯覚。
「クリス!!狙われてるぞ!!」
あくまで静かに、しかし誰に求めることのできない巨大な固まり。それが自分を目指していることを知っても、クリステスラは動かない。
平生感情の起伏に乏しく、体温も人に比べて高くはない少女が、今では熱をもち、大量の汗を身体に伝わせながら、神経を蝕む魔力の網を、一つ一つほどいている。
すべてはミスラのため。自分のせいで命の危機にある、自らの主のため。
「クリスお主…」
その意を汲んだモナメテオは、もうほとんど残ってはいない魔力をかき集めるべく、たよりのない腕で印を結ぶ。ティコネットが、ヨフネが、ミルチアが、エルエンが、ありったけの力で巨人の進軍を阻止しようとする。
「あるじ…」
バツリ、と、また一つ神経の線が乱暴に千切られる。痛み。吐き気。
頭蓋の後ろに穴が開いて、手で押さえなければスープがこぼれてしまうだろう、手で押さえさえすればまだ助かるかもしれない、もう手遅れかもしれない、手遅れならせめてそのピンク色の吐瀉物をかき集めておかなければいけない、汚らしい姿で死にたくはない
余計な思念が魔力の集約を阻害する。魔女の両手が、固い信念で貫かれた心を弄ぶ。
「あるじ……あるじ…!!」
壁紙を引っぺがすように遠のいていく意識。無理矢理、叩きつける様に元に戻してクギを押しこむ。耳の中で球体が割れる音、目の奥で飛び散るガラス。
あるじ…
クリステスラは、はるか昔に自分が初めて好きになった人間のことを思う。
浮気性。ロクデナシ。女垂らし。スケベ。のんだくれ。甲斐性無し。へたれ。変態。きちがい。
貧民街のその男の名は、クリスの耳にもすぐに入った。毒虫。精液袋。貴族階級者の集まりではその話はもちきりで、いわく貧民街はその男の精液が溜まった汲みとり便所のようであり、においがここまで漂ってくるとかこないとか。
兵隊達がどれだけ追い掛け回しても、必ず女達が束になって邪魔をする。貴族の中にも、すでにその男の子供を孕んでいる者がいる。実は王は不能者であり、代わりにその男が女王のベッドに潜り込んでいる、などなど。
それでも日々の儀式に忙殺され、クリスはしばしその名の存在を忘れる。生まれながらに宝剣となることを決定づけられた運命、少女がその男の名を思いだしたのは、丁度最終儀式の前日だった。
死にも等しい眠りの前に、夢の中で退屈しない程度の土産話を持っていこう、そんな軽い気持ち。
ベタな話だが暴漢に襲われて、その男はこれでもかというタイミングで助けに現れる。
被せられたマントのにおい。
少し服がはだけた育ち盛りのクリスを前に、男は欲情するどころか乳臭いと言い捨て、もう少し育ってからこい、なによもう私明日死ぬんだもんうんぬん、世にも恥ずかしいケンカがはじまってピーチクパーチク。
生まれてからずっと押さえ込んでいた感情が爆発し、ボロボロと泣きだしたクリステスラの愚痴を、その男は嫌がりもせずに全部聞いて、なにも聞いてなかったのか適当なことをぬかす
じゃぁ、眼覚めたら迎えにいってやる
何千年かかると思っているのだ。あきれたが、そのバカさ加減がうれしくもある。
その時は一生ついていってやるから
彼女はそうして眠りについた。
眼が覚めたらあの男がいるのだ。そう思えばつらくもない。というか、それ以外に彼女は、世界に対する未練を残していなかった。そういう風に生きてきたのだ。
長い長い眠りの中で、その男は勝手にカッコよくなり、頭が切れ、偶像化され、信仰され、なんでもできるスーパー超人と化す。
その男のことを考えるのは彼女の唯一の楽しみであり、慰めでもある。甘ったるい一人の時間。その夢が覚めないことが一番いいのは、うすうす感づいていた。
目覚めれば、あの男の残り香は消えるのだ。何もない世界で、再び生きる気力が自分にあるとは、彼女は思っていなかった。思っていなかったのだが……
「あるじのバカぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「おわぁ…!な、な、なんじゃクリス…」
「ふぇ?…あ、ち、ちがう」
……まさかの数千年ぶりの再会が、口腔愛撫を見せつけられる所から始まった時は、この世の全てがどうでもよくなったものだ。
別に怒ってはない。クリスは気をとり直してもっかい考える。
その分、元をとるかのようにいちゃいちゃしたのだ。むさぼりあったのだ。元からああいう緩んだ人間なのだ、節操のない男なのだ、死んだらいいのだ。現にもう死ぬではないか。いい気味だ。いや死んだらダメだ……
怒ってない。
ない。ないのだ。
……いや、やっぱり少しは。いやいやいや。
ズッコケクリス。肝心なところで集中力が途切れるから、どこまで封印を解いてたか忘れてしまった。最初から?いや、この辺からなら多分…あれぇ…?
「バカタレクリス!!何をやっとるのじゃおのれはもう…!余計からまっとるではないか!!」
「あ、あ、あれ…?あれ…ぇ?や、やだもう…!!」
巨人はもう目の前。潰れる。確実に潰れる。潰れたら死ぬ。もう起きられない。
巨人が掌を閉じ始める。
少女は潰されるのを待つ。ごめんねあるじ。
物も言わぬ巨人の脳天
モグラの戦車がブチ抜いた。
・・・・・・。
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