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「止んだな…雨」
「そうじゃのう…」

塔の頭頂、祭壇。モナメテオは、己の髪から溢れでる魔物の血と脂を搾りとりながらエルサに応える。死してなお美しさを保つエルフをして、さすがに疲労の色がうかがえた。自分はなおさらヒドイ顔をしているだろう、最後にこれだけ己を振り絞ったのはいつのことだろうか。

「まさか終わり…ではないよな」
「フン、この程度で打ち止めなら、最初からワシ一人で世界を救っとるわい」

どれだけ数が多かろうと、所詮は魔力に操られた獣の群れ。魔力を操る術を心得た者こそが、本当の敵なのだ。

ようやく訪れた久方ぶりの静寂。遺跡の土偶兵士達の方は完全に打ち止めらしく、もとの土くれに戻っていた。一同体力と魔力を回復、ナキリコ・ニルバナが忙しげに走り回っていた。

「あれ…?ダメですかティコさん」
「ん…?よくわからないな、ミルチア、お前は?」
「んー?…んんん、もーらめ、ちかれた…ぬるぬるするー…」
「ひゃぅ!こ、こここコラコラコラ!!くっつくなくっつくな気持ち悪い」
「なにさティコ、アンタだって内臓まみれじゃないの」
「も、も、揉むなコラ!ぬるぬるするなー!!!」

全員精神だけは一周して元気である。とくにミルチアなどは麻薬を吸ったうさぎみたいにはしゃいで、全裸。ほぼ初対面といえるザクロ団のメンバーと物凄い勢いでお近づきになり、互いに互いの戦闘力を褒めちぎる。しかし――

バシャリ、と、腰を抜かして血溜りに突っ伏してしまった。

「うあ……ぅぅ」
「あれ…なんで…?やっぱり治ってないですか?」
「どうしたネ?」

わずかな違和感が、辺りを覆い始めていた。

「回復しない…なんでだろう…」

ナキリコが首をかしげる、その時だった。



一同の首筋を、これまで感じたことのないほどおぞましい、汚水の雫をたらされたような悪寒が襲う。

凝縮された悪意。妄念。

エルサが、直ぐに己の感覚を研ぎ澄まして周囲を警戒する。モナは違和感の正体を掴むべく神経を張り詰める。何か攻撃を受けたのか…ナキリコの魔力が封じられたのか…そうではない、自分も…



「魔力が…奪われておる…!?」

モナメテオが気づいたのは、いくら動けと命令しても従わぬ左腕。次いでエルサを見、彼女が口を開いて自分に語りかけているのがわかった時、己の聴覚が失われて久しいことを知った。彼女の視界は暗転、五感の全てが、働くことをやめた。直前に見た、敵の影を最後に。

(アヤツか――!!不覚!!なんじゃ――これは――呪い――!?)

「上だザラク!!」
「承知!」

エルサとザラクが同時に跳躍した。
既に術中に陥っていることは瞬間的に理解できた。回復手段を模索する時間はない、その逡巡にかける時間が致命的だと、2人は本能で理解した。

術者を殺す。

彼女達の中で最も魔力の高い、モナメテオですら抜けだせぬ陥穽を突破するということは、それしか手段が無いことを意味していた。
2人は、一行を見下ろす虚ろな眼の持ち主に満身の力を向ける。怒気と恐怖が、2人の心の中にくすぶっていた。



(いつの間にこんな強力な術の布石を許したのじゃ――ワシが――まるで仕掛けられたワナに自ら迷い込んだような――)

モナは出口のない闇の中で、必死に過去を振り返る。そうすることで何かが変わるわけではない、ただ闇に溺れるだけだ。それでも彼女は、沈黙を認めることができないのだ。認めればそれは死。今の彼女は考える屍に過ぎない。

(なにか触媒があったはずじゃ――強力な――じゃがそんなものは――)



エルサとザラクの攻撃を、虚ろな眼の持ち主は避けることすらしなかった。2人は既に考える屍、それが空を飛んでいるといって、何を怖れることがあろうか。
満身の一撃は虚しく空を切った。2人が震わせた大気は、何事も無かったかのように平常のありさまへと回復する。

「……相応のゆりかごで眠れ、土くれ」

もちろんその声が、落下するエルサとザラクに聞こえたはずはない。
もし聞こえたとしても、はたしてそれを信じることができただろうか。その声はまさしく、知らない町にとり残された幼子のようにか細く、いつ根を抜かれてもおかしくない花のように、可憐な少女の発するそれだったからだ。

(―――血。――そうか血か――この雲海の如く溢れかえった血と肉が全て――)
モナは思う。
(なんということだそれでは――この闇を切り抜けたところで待ち受けているのは――)

もしこの時、意思あるものが祭壇にいたのなら、塔の周囲に広がる真紅の海が、脈打つように波立つことに気づいただろう。
そして意思あるものがその事実を知ったら、どうしてこの地獄から生きて逃れる術を思うことができるだろう。

その海は虚ろなる眼の少女、魔人ティラティスの血の脈動と、まったく同じリズムを刻んでいるのだ。まるでこの巨大な血の泉が、彼女の心臓そのものとでもいうように。


・・・・・・。


クロルはもうイヤになっていた。

うぬぼれているとは思わない、どんなことでもそつなくこなす自信があった、自分はできるほうだと信じていた。要領を掴むのは得意だったし、議論になればいつも最後は彼女のまとめで終わった。ケンカが始まれば常に仲裁役だった、誰でも、彼女が冷静に話せば耳を傾け、うなずいた。

後は場数だと、そう信じていたのだ。

「師匠ボクもうダメです……」
「あらあら、どうしたのクロル?」
「あわないんですよ…数が」
「数?」

「黄金猫商会のメンバーが34人ですよね?百合騎士の皆さんが4人、ヒスカさん、ガニメロさん、ミルケロルさん、マユーさんに魔族の3人を加えて45人。百合騎士の2人とシャマニさんが塔にいて、魔力通電を切りにいったのが16人、残るは26人。えーと、ムナクさんホタルさんユイラさんバスカーヴさん引いて22…22…ああやっぱり!」
「クロル…?」
「師匠!ボクはおかしくなってしまったんですか?わからない、どうしてもわからないんです」

わからないといわれてもわからない。いや、この場にいるメンバーの人数があわないことに動転しているのだろうが、クロガネ・テンネには視覚によって弟子の迷走を確認する術がない。

多分自分を数え忘れて混乱しているのだろう、テンネはもう数分前から、弟子の困惑に対する答えをだしていた。
そう、彼女はクロルのように、指で指しながらメンバーの数を数えてゆくことはできない。「見る」に相当する情報は、耳と魔力の流れから獲得しなければならないのだ。

そしてそれ以上に彼女が頼っているのは、過去に入力した情報から得られる、予測。

あたかも弾いたパチンコ玉の起動を計算するように、彼女の頭の中では現実と寸分違わぬ情報がめまぐるしく行き交い、彼女にいつも、人より先の未来を見せているのだ。これは常人の視覚よりもよっぽどモノを見せた。世界そのものを彼女の脳に伝えた。

その「眼」の中で、弟子は叫ぶ。頭を抱え、今にも泣きだしそうなその顔がわかる。



「一人多いんです!…あの子は…あの子は誰なんですか!?」



「眼」の中の世界が、真っ暗になった。

足りないのであればクロルが自分を数えていないということになる、だが多いとは、一人多いとはどういうことだ。
テンネは考える。久しく感じたことのない、不安。何かが起こっている。

いつからだろうか。どこからだろうか。
これだけの手誰がそろっていて、はたして何者かの入り込む隙間などあっただろうか。

テンネは見知らぬ人間に、耳の穴を舐められるような悪寒を感じた。不快な恐怖。
人の死角に入り込んで、絶対的な有利を楽しむ、犯罪者の存在。

「アナタは…誰?」

テンネは全身系を集中し、情報の再構築を図る。

その世界の中で、アザカゼが跳んだ。室内では味方の命ですら危険を及ぼす熱量、太陽のように黄金の鳳凰が、「誰か」を焼き払う。
同時にヒスカが、戦いをできるだけ避けることを信条とした女盗賊が、初めてその牙をむいた。
風神の斬撃。音の壁を切り刻む千の短刀が、「誰か」を飲み込む竜巻のうねりを見せる。

「誰か」は死んだはずだった。その恐るべき2重攻撃を受けて立っていることなど、不可能であるはずだった。

テンネの「眼」が再び世界を捕らえる。

地面に這いつくばった、騎士アザカゼと、ヒスカ・クランクアイ。

屈強な2人の戦士をたやすく屠り、悠然とたたずむ「誰か」

「誰か」は少女である。
「誰か」は人の形をしている。
「誰か」は俯いている。
「誰か」は黄色い髪の毛をしている。
「誰か」はそっと、顔を上げる。


「誰か」の顔には、眼も鼻も口もない。



「アナタは………”フー”」

フーと呼ばれた少女は応える。

「相変わらずだねクロガネ・テンネ。貴様は相変わらずだ。ちょっと顔を変えただけでワタシが誰だかわからなくなる。思えば不思議な関係だね、もう1000年のつきあいになるというのに、キミとワタシはいつも初対面なんだから」



魔人フー。生物の「顔」を奪いとり、その「顔」を自ら被ることで、「顔」の持ち主の力を根こそぎ自分のものにする狂気のピエロ。

「そしてキミには、初対面の人間を”観る”力は無い。聞くか触れるかしなければ、その人間はキミにとって存在しないも同然なんだ」

ピエロは悠然とテンネの前に、その手が、テンネのアゴをつかんでもちあげる。止めれる者はいなかった。力の差がありすぎた。



「この時を待っていた。絶対に動きだすと信じていた。美しい子だよクロガネ・テンネ。だがその瞳が開けばなお美しかろう、隠しているものを返しておくれ」
「やめなさいフー…”あの子”はアナタであっても殺すわよ…目についた者なら誰だって…」
「わかっているのに聞くのかい?それともまだ今のワタシが見えていないのかい?触ってくれよ、舌で触れてくれても構わないさ。この鼻なんかお気に入りなんだ」
「……!?…フー…アナタという人は…」
「人じゃない、残念だけど悪魔なんだよ。そう、君の友達の顔をしているがね。フフフ、この顔と、君の顔があれば全てが元に戻るんだ。ドラディエラなんぞクソくらえ、私とキミの力で再臨するんだよ!我が主にしてキミがその瞳の奥に封じ込めた、最強の三貴神ジアル様が…!!!」
「あ…!がぁ…ぁぁあ!!!」


「師匠!!!」

クロルは己の目が信じられなかった。
師匠の顔がはがれていく。悪魔の手ではがされていく。
クロルは己の耳が信じられなかった。
「後は任せますねクロル。…大…丈夫です…わ……が…………から…」
偉大なる師匠の最後の言葉は、発育途上の弟子に全てを託したものだった。

どうっと、抜け殻になった師の身体が、地面に倒れる。

クロルは己の頭など信じてはいなかった。だがやるしかなかった。



「うああああああああ!!!」

クロルコンピューターフル稼働。

稼動する全ての脳神経が、彼女の積み上げてきた思考のショートカットをフルに使い、今この時彼女にできる全ての抵抗手段をリストアップする。
持ち駒を弾きだし、状況を解析。敵の手、自分の限界。コンマ数秒もかかるまい、叩きだした至高の一手をぶちかまそう、掲げた右手を――



テンネが、テンネの顔をしたフーが掴んでいた。



「くっ!?」
「アタシはフー、私はテンネ。とっても優秀なクロル君、何をするつもりか知らないがやめておけよ、違うな、大体わかってはいるんだ」
「は…離せ!!」
「この”顔”はすばらしいな。キミの考えていることなら大概わかるよ。過去も未来も成長過程も、無防備な寝顔も排泄の快楽も、純粋な愛も、あさましい嫉妬心も、全てこの”眼”に捕らえている…」
「し…師匠の声で…いやらしいしゃべり方をするな!!」
「キミは本当にこの女を尊敬していたみたいだね。この女は全部覚えているよ、キミが向けた羨望のまなざし、教えを請う瞳……」
「や…やめろ…」
「そして本当に優秀なんだ。この女がそう認めているんだから間違いないよ。だからイイコトを教えてあげよう。フフフ……今の私を殺したところで死ぬのは私だけなんですね。フーの本体はさしたるダメージもなくまた同じ悲劇を繰返せばいいの。ほらほら、困った事実を知っちゃったね」
「し…し……師匠…」
「いいのよクロル。特別にこのナイフを渡してあげますね。ぐいっと押し込むことができたなら、ここにいるアナタの仲間が死ぬところを、見なくてもすむかもしれないね」

知りすぎるほど知っているから、完璧であることがわかってしまう。声も、しぐさも、においも、クロルに寄せるやさしさも。

目の前の”ソレ”はクロガネ・テンネの顔で笑う。

だがそれが本物であるはずがないのだ。ホンモノは”そこ”に、横になって眠っている。いや、眠っているのかなんてホントはわかりゃぁしない。それが誰であるかさえ、本当は分かっているフリをしたいだけじゃぁないのか。今の”彼女”には、眼も鼻も口もないのだから。

動けなかった。クロルだけではない、動ける者など誰もいなかった。



「クロルクロル。ひどい話なのね、聞いてくれる?私ね、昔ものすごい苦労をして魔族の王を封じ込めたの。1000年前。王の名はジアルといったわ。魔人フーは、その三貴神ジアルの第一の部下だったのね」

テンネがしゃべる。クロルはもう、本当に彼女のことを本物のテンネだと思い始めていた。顔もなく眠っている”あの人”が、テンネであるなどと考えたくなかったからだ。

「私達はとてつもない犠牲を払ってジアルを消滅の手前まで追い詰めた。でもダメだったのね。後一歩及ばなかったの。ジアルは死ななかった、でもそこで彼女を逃がしてしまったら全てのことが無駄になるわ、それだけはなんとしても避けたかった」
「だから私は契約したの。私の未来の全ての光を、術の触媒として提供する。先行契約といってね、未来の力を借りることで、その時代のツケを先送りするのよ。あまり褒められた術ではないけどね、幸い私には時間が一杯あったから、どうにか私一人の触媒で彼女を封じ込めることができた」
「だから私は眼が見えなくなったのね
「契約を破棄することは簡単なのよ。私が今ここで両のまぶたを開けばいいの。彼女は復活するわ。魔王を閉じ込めるにしては簡単な方法でしょう?」
「ジアルはお腹がすいていると思うのね。だから最初にアナタを食べさせてあげようと思うのクロル。ここにいる女は皆彼女に食べさせるわ。ジアルはほほの肉が好きなのよ、だから今のうちにキスをしておいてあげる」

クロルは素直にうれしかった。それがおかしなことだとわかっていても、死ぬ前に触れたくちびるはうれしかった。うれしく思うのをやめられなかった。死のにおいが、師のよせるくちびるから漂っていた。

「ドキドキするわクロル。なんて挨拶をしようかしら。もちろんジアルは私の顔を覚えていると思うの、きっと許さないと思うわ。私が部下であることなどかまわず、頭から私を食べると思うの。それでもいいわ、幸せだもの」



――ねぇクロル?挨拶をどうしたらいい?



「東国の”天眼”ともあろうお方がさような問答に惑われるか。そんなもの、びしっといってやればよろしい」



その可能性はなくはないと思っていた。数多ある可能性の一つとして、話を聞く限りそろそろではないかと思っていた。条件はでそろっている。後は待つだけ。派手過ぎるくらいの合戦ののろしは、ほかならぬ魔族たちの手で送られたのだから。クロルは考える。

魔術師特有の三角帽、切りそろえた髪の毛は、チラリとうなじがのぞく黒い髪。

さすがにクロルも予想しなかったのは、彼女が皮肉にもその術を使うことであった。確かに分野でいえば空間魔法に属するだろう。完全な解決ではない、が、そんなことクロルも望んではいなかった。それは自分が考える、その魔法少女は空間を飛び越えて、クロルに考える時間を与えたのだ。



「まだ寝てろクソ野郎」



ザクロ団参謀魔術師グリオー、その溢れすぎる空間魔術の才能は若手NO1。たまに調子に乗ってヘマをするが、ザクロ団次期団長は多分彼女である。

空間飛び越えただいま参上、参上しがてら状況分析、まともにやったら強そうなので、さっさと封印強硬手段。魔人フーは、本当に「あっ」という間もなくグリオーの両目に飲み込まれてしまった。フーの主人が、テンネにされたのと同じ術で。


「……うー、おせーよグリ坊…」
「すまないなヒスカ、私は方向音痴なんだ。ようやく私の”視界”にお前が入った」


・・・・・・。


「あぁぁぁぁっあぁあ゛あ゛ああぁぁぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!」


叫び声でモナメテオは眼が覚めた。

動ける…考えれば身体が動く。ここは闇の海ではない…腰が痛い、それは元から…ということは…



「ようチビじーさん、年寄りは起きるのがはえーな」



「カリンザ!!!お主生きておったのか!!」
「おうおう、まだ近づくなよ、ちーと熱ぃーからよ」
「お主…いやはや一人でやったのか…?あの魔人を…」

東方剣士カリンザ。ザクロ団の切り込み隊長にして団長ヘルザクロと唯一引き分けたという過去を持つ女。彼女が負けたら誰が勝つ、手段は問わねー常に勝つ。
刀剣のように鍛え上げられた肢体を惜しげもなくさらした素っ裸スタイルで、なるほどそれが死闘を物語るのか、彼女の肌から、薄っすらと炎が立ち昇っている。

「自刃灯篭…ぬぅぅ…己の細胞を極限まで燃焼させ、自らをエネルギーそのものとして敵を喰らう諸刃の剣…お主その歳で習得していたというのかの…」
「いんや、オレぁおぎゃあと泣いた時からこの身体よ。やっぱケンカもセックスも、命同士のぶつかりあいってのは相性だな…ケケケ」
「ふぅむ。あの魔人の魔力がいかに強力であろうと、触媒である血が付着する前に蒸発してしまうからのう……で、いままでどこをほっつき歩いておった」
「腹ぁへっちまってよー、ミスラもいねーし酒もねーし、ふてくされてたらいきなりメシが降ってきてだな…」

「お前…モンスター食ったのか…?」
復活したティコが後ろであきれていた。

「あー疲れたぜい、酒かミスラもってこねーとしばらくはなんもしねーぞオラァ…みすらぁ…みすらぁぁ…」
全員が集まり、ようやくの、休息らしき休息がもたらされた。もちろん回復魔法もちゃんと効く。ヨフネが食事をだして、さあラスボスに備えよう、そんなそんな、本当にわずかな休息の時間を……


「お……ぅぁ…お、おのれ…ぇぇ…」

魔人ティラティスの殺意のまなざしが捕らえていた。

人間に、人間ごときに。それもほとんど、ネコみたいに遊ばれて、乳までもまれて。最強の、最強の魔人、三貴神ドラディエラに最も近いところにいるといわれている自分が人間ごときに。屈辱。なんたる屈辱。

コロスコロスコロス。この術の使用は禁じられている。使えば著しく主命に背くことを意味する。だが、敗北を抱えて生きながらえる意味などあろうか。それも人間。肉がよちよち歩いているだけの人間。アナルに指までいれやがってあのアル中自分で触ったこともないトコなのに――

「シネ――シネ――シネシネシネ―――シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ―――」
「シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ」
「シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ」

魔物の血の海が、血が、魔人の小さな体躯の中に流れ込んでいく。ドンドンドンドン、酒樽のように詰め込まれていく。その眼は血走り、今しも乾いた音をたてて弾け跳びそうな……そう、これは自爆。己の身体を血の水風船と化す、最後の雄たけび。

「死んじまえぇぇッぇぇえあああああああああああああああああ!!!!」



「テッメエエエえええええええええぇぇえぇええぇっぇええええっええええええええええが死ねぇッぇぇええええええええええええええええええぇっぇええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



ちゅっどーん

天井が、落ちてきた。

戦艦具足虫の雨、100パーセント。空を真っ白に埋め尽くすこれは雪か。にしてはでかすぎる。溶けないし、でかいし、多いし、多いし、多いし……
一匹が数百メートルにも及ぶ粉雪は、見る間に膨れ、積もり、血の海を埋め立てて、黄金色の羊みたいな悪童がヒラリ、カリンザのドタマに伸身宙返りで着地する頃には、遺跡第7層を支えていた地面もすっかり抜けて、めんどくさいもの、汚いもの、くさいものは全部全部全部、はるか下方の深淵に飲み込まれていった。

ラブラノ・オドケナウ。かつて魔族の衛星都市を任されたほどの実力者にして、無尽蔵に死体を操る超ネクロマンサー、チビ。乳なし。口は悪いがバカ正直一直線。ブレーキなし。後悔は明日する。
地上にて、魔族の旗艦に焼き払われた戦艦具足虫の無念を晴らし、自分自身もスカッとして、状況わかってないから、ついでに祭壇の門もぶっ壊した。


・・・・・・。


「ん…こうりゃひ…メル…ん。んく」
「あん?…こうだろ?…うぇ」
「ちがう…こうよ。…ん…あむ。…ふぁ…ぁ。……おおきい」
「やってんだろ!なにがちげーんだよバカ!ばーか!!!」

「いたいいたいいたいいたい…」

その痛みすら、実はうれしい。

何の因果か、今が大変な時だというのはわかっているのに、いや、だからこそか。ミスラにとっては、正味人生でトップクラスの、極楽至福の時間であった。

ちゅむ。ちゅむ。ちぃうぅぅぅ
ちゅぷ。ちぅ、ちぷ。

クリスは別段、口腔愛撫の技巧に優れているというわけではない。それでも本人得意になって、今まさに開通を済ませたばかりの少女にあれやこれやと教えてみせるその様が微笑ましい。
手の動かし方、首の振り方。残念ながら身体の挙動がぎこちないが、やりたいことはよくわかる。

なるほど彼女は運動オンチ。だがそれでも、ミスラの弱所については超一流というか、ミスラ自身ですら知らないような変な性感を次々と指で押したりするからビックリする。

どんくささを補っても余りある、至高の献身。この少女、ミスラに対する知識だけは完璧なのだ。

逆に言えば、普段からもう少しミスラのこと以外に頭を使えば、こんなにとろくはならないのではあるまいか、そういって頭を撫でると、分かっているやらいないやらでゴロゴロじゃれる。多分褒められていると思っているのだ。

「メル、こういう風に舐めてあげて」
「ふも…?」

「うぐ、息が熱い…」

クリスのやわらかい指がなぞるとおり、メルズヘルズの舌が追っかける。イライラしているのがよくわかる。クリスが指先でクルクルと円を描くと、メルズヘルズの舌がぺっとりとひっつく。

「メル、このさきっちょを舌の先でね…」
「こ…こうだろ?」
「違うよ、もう少し優しく」

2少女の舌が、尿道口の上端と下端を同時に舐める。それはやってはいけない類の愛撫だった。

「クリスもう無理、無理だ…頼む」

ミスラは寝そべったまま、起き上がるのも億劫といった感じで2人の少女を引寄せる。強引な感じになったが、悪いとは思わない。ミスラはある意味クリスのせいで、体温の中に己を搾りだしたくてたまらなくなっていたのだ。雄として正常な範囲で、理性が役に立たなくなっていた。悪いのは娘2人。

ちゅぷ…ん。

少女の身体は2つともやわらかい。左手にメルズヘルズ、右手にクリステスラの尻を抱いて、両陰唇で亀頭を挟むようにずらしていくと、これ以上なく互いが密着する体位にでくわしてしまった。

「ふぁ…!…ぁ、あるじ…」
「……っ!…っ痛…ぇ」

2人の身体は軽い。あるいは努力してミスラの欲望に応えようともしているのだろう、できる限り自分の体重は自分で支えて、自らの腰の動きに神経を集中する。ミスラ、亀頭だけの刺激では満たされなくなり、少女の尻を動かして、ゆっくりゆっくりと茎の外周を蜜で洗う。

ちゅぶ…ぢゅぷ…ぢゅむ。
ちゅっ…ちゅこ

控えめな交接をねちっこく繰り返し、ミスラは何度も射精をこらえて無様に呻く。吸った空気には2人の少女の尻穴のにおいが混じりこみ、汗だらけの腋の下が、ミスラの首に溶けたように絡みつく。ノドの奥が熱かった。

2少女の股間が茎の根元を搾って、はみでた亀頭をクリステスラが手で覆う。その手にはメルズヘルズとキスした後のだ液が塗ってあって、2人の少女が揉み手をするように尿道をこねりだした時が、ミスラの射精史に残る爆発の瞬間となった。


・・・・・・。


「なななな…なにをやっとるのじゃお主はぁ!!!」
「ウッセーじじー!!オレ様はオレ様のやりたいようにやっただけだ!文句あるか!!」

ラブラノ・オドケナウは瓦礫と化した祭壇の上で仁王立ち。自分が何をやったかよくわかってないが、うろたえる仲間を見てなんだかテンションが上がっている。この元悪魔、羊みたいな髪をして生来のドSなのだ。

「やいエルサ!オメーは乳だけでかくてとろくせーから教えてやるぜ、上に魔族の空中要塞があってだな、ありゃぁドラディエラの城だ、まともにやりあったら死んじまうぜ、とっとと逃げろ」

「ローキス…ローキスがあの辺にいたんだが……し…死んでしまったかな……」
「あーあ、結局はラブが全部もってったネ」
「あれー?グリちゃんいないのー?」

喧々囂々。各々あたえられた情報も現状の認識もまったく違うのだから、これでもまあ上手いこといっている方なのだろうか。おそらく最も正しく現状を分析できているモナメテオでさえ、7層の崩壊がクロガネ・テンネの手によるものと推測できても、その彼女が戦闘不能状態であることは知る由もない。

「ミスラはどこだ!あのバカヒマだから犯してやるぜ!!」
「お主の足の下じゃラブ、まったく…あやつ戻ってこれるのじゃろうな……」
「戦況を整理しよう、皆集まってくれ」
エルサが指示を始めた。旧知の者も、初対面の者も、祭壇の周りに集合する。

モナメテオからは黄金猫商会並びにミルチア、エルエンの紹介。敵の親玉がまだ死んでないことの確認と、ラブラノ・オドケナウからはいくつか、地表の状況報告がマジメにされた。

「カリンザ、グリオーはどうした?」
「んあー?その辺にいるだろ。途中で会ったぞ」

「ああ、ここだエルサ殿」

空間に、ぐにゅーんとばかりにめんたまが出現し、よっこらせと三角帽の魔術師が現れる。彼女が光を失っていたことに驚いた者は少なかったが、驚かなかった方のカリンザは”天眼”クロガネ・テンネがこの遺跡にいることに心底仰天した。

「やいグリ坊、そのフーとかいうやつここにだしてボコボコにしようぜ、人質死んだらオレ様が操ってミスラの精子で治るんだ」
「それではこの魔人の本体を逃がしてしまう。私はコイツをのうのうと世に放つつもりはないよ、それに…」

「あなた方ではフーに勝てないと思います」

目玉がもう一つ。クロルが現れた。



「あんだこのチビ!どっからでてきた?」

クロルの指摘にムカッときたのはラブラノのみである。チビとかいいつつ、明らかに背はラブラノの方が低い。それはまあおいといて、他のメンバーは黙して顔を伏せる、先ほど一度でも、自分が死と同等の状態に置かれたということを思いだしているのだ。

「元魔族の娘に聞いたところ、フーと同格の魔人が皆さんと交戦したようですね。そちらのカリンザさん…違ったらごめんなさい、多分あなたが追い払ったんだと思いますが、他の皆さんはどうされていましたか?多分手も足もでなかったと思います」

歯をむくのはラブラノのみ。事実だった。

「ボクはフーがヒスカさんを叩きのめすのを目の当たりにしました。いえ、眼で追えたかどうか、わかったものではありません。ヒスカさん…は正直ザクロ団の中でも随分な使い手だと推測します。彼女の性格では集団の下位に属することをよしとするとは思えないから…ああ違う」

クロルはまくしたてる。ほぼ初対面のメンバーが、己の戦力をピタリと分析されるたびに、小さな軍師を見る目が変わる。

「我々の大多数は土俵にすら立てていないのです。なんでこんな嫌味なことをいうかというと、まだ一番のラスボスが残っているからで、おそらく一定の戦闘力を持っていない者は時間稼ぎにすらならない、適当に向かっていけば無駄死にになると思うからです」

「いうねぇ嬢ちゃん。そんで?わざわざオレ達の無能を罵りにきたわけじゃねぇだろ?」

その通りである。クロルは、もしかしたら自分は頭に血が上っているだけなのかもしれないと考えていた。師匠をあんな目にあわされて、興奮しているだけなのだと。震える手を押さえ、一歩前へ。


「皆さんボクのいう通りに動いてください。誰も…誰一人欠けることなく、この地を脱出して見せます」


クロルの行動は早かった。全てのメンバーが迅速に集められ、状況の報告と作戦の概要が説明された。致命的な怪我人はいなかった。ただ一人、クロガネ・テンネを除いて。

弟子は最後に、横たわる師の手を握って武運を祈った。師の手は暖かかった。
震えも怯えも、全部止まった。


・・・・・・。


「ヒヒヒ……死んじゃった」

「ヒヒ…貴方に関わる者は皆死ぬのねドラディエラ…」

「ヒヒヒ…ヒ…怒った?怒った?ごめんねドラディエラ…」



「怒る?」

「それがどういう感情か、教えてくれた人すら私にはいないのだよギルトフーチェ」

「さあ行こうか、キミの友達のところへ」


・・・・・・。


ドラディエラは静かに闇を抜けた。淡い燐光の大地が、少女を迎える。
においは酷かった。が、悪い気分ではなかった。むしろ彼女にとっては、懐かしくすらあった。彼女の故郷は、こんな感じだった。

「門…壊れてるね…ヒヒ」
「彼等はこの向こうにいるのか?」
「ヒヒ…そだよ。」
「他に入口は?」
「……ヒヒ、どうだったかな、使ってないのがいくつかあったと思うけどね」
「おびきだした方がはやそうだな。フフ…」
「なに…?…なになに?なんかおもしろいのあった?」
「…フフ、人間のあがく様さ」


その気配にはとっくに気づいていた。だが構えるに値しないというだけだ。人間にしては優れたほうだろう、だがそれも、観察者が実験動物を眺めるかのような視点でいえばだ。
彼女等は何をするつもりなのだろうか。絶対にかなわぬとわかっていて、敵の前に立ちはだかるというのはどういう気分だろうか。少しだけ、戯れてみたい気分になった。

「ヒ、ヒ、どうするの?もう殺すの?」
「いいや、ティラティスを退けた褒美くらいは与えてやるさ……」



「なぁローキスよぉ…そのチビ助はなんだい。構っちゃやれねぇぞ、バトルの最中は」
「いいや、この子は強いぞ。お前より伸びしろがあるし、何より素直でかわいい」

塔の祭壇、山になった土偶兵の陰から現れたのは、カリンザとローキス・マルス。間に挟まれるムナク・ジャジャは、ローキスに頭を撫でられてへっへーと笑う。

肉弾戦では最強のメンバーといえた。3人はゆっくりと、ドラディエラを囲むように散開。ゆっくりと、ゆっくりと。このまま時間が過ぎ去るのなら、彼女等の目的は達せられるのだ。クロルの言葉が頭をよぎる。

「にらめっこを続けてください。こちらからは仕掛けないで」

簡単にいってくれる、と、カリンザは愚痴りたくなった。この威圧感といったらどうだ。
常人なら、逃げるか突っこむかしてさっさと終わらせたくなるだろう、百獣の王を前に、こうした時間稼ぎができるのも、3人の胆力が故であった。



最初に動いたのは、ムナク・ジャジャだった。

クロルの指示を忘れたわけではない。恐怖に、我を忘れたわけでもない。カリンザはその動作一つをもって、少女の評価を改めた。
先に仕掛けようとしたのはドラディエラの方だったのだ。この幼き商隊の守備隊長は、敵がその攻撃の一歩を踏みだす、ほんの直前を見極めて突撃したのである。

ドラディエラは防御に転ぜざるをえなくなった。彼女ともあろうものが、小虫の反抗に感心さえしていた。

カリンザがムナクにあわせる。ムナクの、自身の身長の倍はある大剣が、グルグルと回転の力をともなって魔族の王に殺到。魔王はわずかな時間差をともなった挟撃を、臆することなく受けて流す。
カリンザはその時点で、魔王の持つ武器の異様さに気づいていた。剣と眼が合ったのだ。背中に負われた大振りなその剣は、成長途上の少女のような大きさで、刀身に、人間のレリーフが刻まれている。否、それは人間そのものではないのか。

「怖れずともいい」
ドラディエラが語りかける。

「苦痛は与えない。お前達人間は痛みを忌むことで死を避ける術を心得たが、それは本来の死とは異なるものだ。死はお前達に痛みを与えようとしたことなど一度もない、それほど残酷なものではないよ」
「けっ…、舌でも食ってろ…!」

刀の刀背が、しゃべってる最中の魔王のアゴを捕らえる。全然効かなかった。魔王の手の平が、2人の人間の顔の真正面にすえられた。

「オラぁあっ!!」

気合一閃。ローキス・マルスの戦車砲のような一撃が、まったく防御姿勢に入っていない2人並びに1人の魔族の長を、まとめてまともに捕らえる。
土煙の後、その場に残っていたのは魔王が1人。その眼は攻撃の主を見やる。とっくに逃げ去って、影も形もなかった。



「イテテテ…つぁ。…何分稼いだ…?」
「ええと…42秒…ですね」
「ふぎゅー…」

グリオーの転移魔法で逃げ帰ったカリンザとムナクが、ナキリコ・ニルバナの治療を受ける。
全身が痛い。だがそれがうれしかった。死ななくて儲けた、というのが素直な感想。ローキスが一切の手加減なしに2人を吹き飛ばさなかったら、2人は魔神の一薙ぎで確実にあの世行きだったであろう。痛みに満ち満ちた身体の、満足感。

死がどうとか、とりあえずカリンザは、あのいけ好かない魔王を泣かせてやりたかった。



「では次!第2班の皆さんお願いします!!」

クロルが叫ぶ。

たいしたもんだ。カリンザは、やけにテンションの上がっているムナクの頭を撫でてなだめながら、小さな軍師を見て思った。


・・・・・・。


所変わってミスラである。仲間のピンチなどつゆ知らず。商人シャマニと睦みあう。

「痛い痛い痛いっ!!…ぅぁあ、痛いですよミスラさんちょっと…」
「うえ?まだ入ってないぞ…」
「痛い痛い痛い…!!あっ!や!、ちょ…っと、あたたた!!」
「力抜いて力…ここんとこ」

クリステスラとメルズヘルズは、なんだか手を繋いでトイレに行った。メイド連中は、なんだか門が壊れたとかなんとかで、走り回っている。
思えばシャマニと2人きりになるのは、初めてでなかったか。

「ちょっと強引にいくからな?ちょっとだけ我慢な…?」
「ウソだウソだ!!わかってますよミスラさんアタシのこと嫌いなんでしょ!手ぇ抜いてちゃっちゃと済まそうってんだそうでしょう!?」
「な…な、なにいってんだ!そそそ、そんなことあるか…オレは…」
「ふぁぁぁぁあぅあぅあああ!!痛い痛い痛いよ…ぁ」

シャマニは女の子みたいなことをいう。別に悪いとはいわないが、普段の彼女が彼女だけに、なんだかミスラはちょっと困る。

「半分はいったから…ほら、また力はいってる…」
「〜っ!!!んっ、ぁう!!…痛い…痛い、ぃ…!!」

ミスラはいーいーと剥きだされた歯を、なぞる様にキスをする。反応は早かった。痛みを忘れるためにムキなっているのか、舌やくちびるで噛締めるようにミスラの粘膜を求める。性器の先だけで膣をこすった。シャマニの腹筋が、幾度も強張る。

「んふ…!!…ぅぁ…!あ!!…奥?…これ、奥?」
「まだゼンゼン進んでないよ」
「ふぅ…ぅぅ!!…ぅく、…ぁ…うあぁ…!!無理…もう無理…!!!」

最後に無理といわれてから、しばらくは無言の交接が続いた。だ液を足して、とりあえずは入った部分だけで肉を擦る。シャマニは叫ばなくなった代わりに、ホロホロととめどなく涙を流す。

「痛い?」
「……うん」
「我慢できない?」
「……うん。…でも抜かないで…」

ミスラはヒザを前に踏み込ませて、さらに彼女の奥へと進んだ。もうこれ以上は入らないだろう、そこで、揺さぶるようにしながら精を放った。
シャマニが震える。熱い熱いといいながら、その場所を手の平で押さえる。

「熱っ…ミスラさん…まだでる…?」
「ん、う。あとちょい」
「ぁ……こりゃぁ……、ふぇ?…まだ?…そんなに」
「なんだよ大げさに…」



コトの済んだシャマニはいつもの様子に戻った。次はもうちょっと上手くいきますかねぇなどと、先だっての苦悶の表情などどこ吹く風と晴れやかで、ミスラはやはりこの娘のことが、よくわからないのである。


・・・・・・。

クロルの作戦は明瞭だった。

ミスラを待つという点では、彼女もドラディエラも目的が一致しているのだ。後は魔神が、痺れを切らして死体を交渉に持ちださなければそれでいい。

「我々ネクロマンサーの力は最終手段と捕らえるべきですな」
ゾゾルドがいった。横にはラブラノ・オドケナウが控えている。

2人は同窓生なのだった。あくまでクロルに仕切られることが気に食わないラブラノを、ゾゾルドが過去の思い出を用いて黙らせた。
しょんべんちびり。それ以上は何もいうまい。

「我々はヤツの魔力が帯電している死体を操る自信がありません。操れない死体を浄化してもただの死体。転生はできないのです」
「あんだよゾゾ、オレ様の魔力があのブスより下だってのかよ」
「そうでしょうラブ。ですがそれは、あなたの力を怖れた上層部が、あなたの精神を操って虜にするという暗黒時代があったからに違いありません。何人も新芽の内に摘まれては抵抗の術はありませんよ。ビビり倒していたんでしょうな、あなたのポテンシャルに」
「そ、そうか…?」

(褒めて伸ばすんだ…)
クロルは戦場の真っ只中でまた一つ勉強する。

「いけそうだぞクロル君」
「ダリアさん…ホントですか?」
「不思議な感覚だな、どんどんこの遺跡の閉ざされた機構が明らかになっていく…まるでキミのいう通りにこの遺跡が成長しているような…」

ブラッドダリアと一号が、まったく休む気配も見せず遺跡のコンソールをいじり倒している。一号は終始無言。情報の処理能力でいえば、集中した時の彼女にはクロルも勝てる気がしなかった。

「本当にこの遺跡にくるのは初めてかね?キミにいわれた機能は大体備わっているのだが…」

ポチリ、と。音はしなかったが魔力でできたパネルの上に、ブラッドダリアの指が載る。
ドラディエラの映像が、空間上に浮かび上がった。

「フラミア班、復旧完了しました!!!」

従者セルヴィが、ほこりだらけになりながら飛び込んできた。
非戦闘員などといってはいられない。使える人間力は全て使い切る。持て余される者はどこにもいなかった。

「ご苦労様です!では4分後にこの場所に飛んでください。エノさんがいますからこの紙の通りに動いて。フラミアさん!」
「な…なんですの…」

フラミア・ラミアミアは従者の陰でビクッとなる。自分は何も悪いことしてないぞ、むしろ文句をいうのは自分の方だ。バイトにここまでの重労働を強いるなんてどうかしてる、ここはきちがいの巣窟だ。いつの間にか犯されたし魔物はいっぱい降ってくるし。やめてやる、こんな仕事やめてやる。

「ありがとうございます」
「ふぇ?」
「フラミアさんが修理してくれたおかげで、我々は情報面で俄然有利になりました。過酷な環境だったでしょうに、文句の一つもいわず…さすがは誇り高きラミアミア家のご令嬢であらせられる」

クロルは振り仰いで、いましがたフラミアが従事した作業の成果を示してみせる。魔術ディスプレイ。うまいことに、丁度彼女のライバル視するところのリットーサ・メルメルヴィが、必死の形相で魔王と闘っている姿が映っているのだからたまらない。

「どうぞどうぞ、向こうで休憩なすってください。お菓子もありますから」
「な…、なんで私だけ…セルヴィはまだ作業があるのでしょう?」
「いいえいいのです。あの作業はセルヴィさん一人でもできますから…ああでもどうしよう…困ったなあ…」
「なによ…なんですの!」
「やはり人手が足りないのです。…この場所…少々危険なのですが…いいえまさかラミアミア家のご令嬢をお一人で放りだすわけにはいきませんから、ここはボクが…」
「やりますわよ」
「え?今なんと…」
「私の力が必要なのでしょう!?やるわよ、私一人でやりますわよ!!どこなの?チャチャっと済ませて帰ってきますわ!!」
「本当ですか!ではこの場所にお願いします。大体こんな感じになっていますので……」

ブラッドダリアはいいことをいった。この遺跡は成長している。各所に散った仲間の手で。そしてそれ以上に、この地で戦う全ての少女が、成長しているのだ。とてつもないスピードで。

ドラス・ビーが飛び込んできた。肉の焼けるにおいが、周囲に立ち込める。限界を越えていることは容易に理解できた。

「何で止めたんだよ!オイラまだやれる…!!」
「ダメです、眠ってください。蟲を休ませて」
「くそっ…何様だよ…」

キラキラと、黄金に輝く糸が、ドラス・ビーの掲げたコブシを止めた。
クロルが見やる。視線の先には、回復班として救護に当たっていたコカがいた。彼女は自らの足で立っていた。いや、立っているのではない、浮いているのだ。その背にはぼんやりと、蝶のような光の羽。

「こ…コカさん?」
「クロルさーん。私…戦えるかも…」

ドラス・ビーが、驚きの声をあげた。彼女が腕に負った傷が、治っている。

(回復能力…?彼女のつくる繭が…)

すぐさまクロルの頭の中で、何億にも昇る戦術が書き換えられた。もちろん宇宙的に増殖する可能性を全て検討する時間はない、直感とあわせて、最も頼もしい筋道に、全てを託す。

「シェロソピさん、コカさんをアクシェラさんの陣営に送ってください!グリオーさん聞こえますか!?方陣の作成はロナさんに引き継いで一度こちらに戻ってください!ドラスさん!」
「な…なんだよ」
「コカさんと一緒にいってください。ナキリコさんがアザカゼさんを治療してますから代わりに受けて、直ぐに出撃してください。アザカゼさんはコカさんが代わりに……」

「クロル君クロル君、ちょっと」
「は、はい。なんですかダリアさん」
「六層目までは大丈夫なんだ。なんとかなるんだ。だがここ、これ。ああ、六層目というのはここから数えての話で、つまりは第二層から第七層までの機構はこの場所からコントロールできるという話なんだが…」
「はい…一層目が何か?」
「これな、一層目の取り扱い説明書みたいなもんだが…」

ポチリ、と、音はしないがブラッドダリアの指がパネルをいじくる。
でてきたのは文字なのか文字でないのかもわからない、模様。

「こ…これ…」
「神代文字だな…解読するとかそういうレベルの文字じゃない。この世界の構成に介入するためのものだよ。神の言語だ」
「そ…そんな…それじゃ…」
「おてあげだ」



「す、す、すごいですねこの遺跡。丸ごと船になるんですか!?」



横から。この忙しい中にあって、あんまり役に立っていない小さな学者が声をあげた。

「が、が、が、ガニメロさん!よよよ、読めるですかコレ!?」
「わわわ、なな、な、なんですかなんですか。こ、これくらいなら……」
「すすす、す、すごいですよそれは!やや、やった!!」
「えええ!?そ、そ、そうですか!?」

もうどっちがどっちやら。



もはやそれは成長などというシロモノではなかった。7000年の時を経て、生まれ変わるのだ、この地が丸ごと。


・・・・・・。

ドラディエラを――


竜のアギトと化したカリンザの左手が食んだ。ドラディエラは、追い払うたびに練度を増していく彼女の炎を見逃すほど、盲目ではない。
もはやこれは警戒の域に達する。まったく動じることをしなかった魔王のほほを、血が伝った。

「ざまあ……ちったあ可愛げがでてきたぜ化け物…」
「フン――座興は終わりか」

モナメテオの最大火術が交戦する2人を丸ごと焼いた。ドラディエラは傷の血が乾いただけだった。カリンザはさらに攻撃力を上げた。

「ティラティスはお前達を殺したか?」

魔神は、遠巻きの魔術師に語りかける。決して大きくはない声だが、腹の底までよく響いた。

「アレは未熟者だ。私への憧れだけであそこまで育ったことは褒めてやれるが、な」

モナメテオは、嫌な汗がゾクリと背中に走るのを感じた。一方で横にいるスケアクロウはまったく動じていなかった。いわずともその心を汲みとることはできる。「ビビるな信じろ」不浄の魔術師はそういっていた。



気がつけば、遺跡を照らしていたはずの土の燐光が、うっすらとその輝きを失っていた。炎を帯びたカリンザの肉体が、赤く美しく浮かび上がる。やがてそれすらも、闇が飲み込んでいった。

「産み落とせギルトフーチェ」

魔王の剣に埋め込まれた少女が、クスリと笑った。



――いいよ



カリンザは見た。

膨大な闇のうねり。陽が大海に没し、月が雲に隠れる瞬間のように、光が、まるで人々から興味を失ったように立ち退いていく。そこには子を棄てる母の面影がある。棄てられた子の冷たい体温がある。

言い知れぬ冷たさ。完璧さ。それは死だった。

カリンザは闇の中をもがく。もがけばもがくほど、そうしようとする力から飲み込まれていく。腰から下の感覚が無く、性器の中にだけ丸みを帯びた骨を突っこまれたように硬い、気持ちの悪い違和感がある。

骨の持ち主は、誰にも愛されなかった死体。あれほど愛されたのに一人で死んだ死体。生まれたばかりの死体。一片に殺された死体。祝福された死体。遊ばれた死体。



まるで眠りに落ちる瞬間のように。取り留めの無い思考は、闇の海の泡となった。
闇は既に、洞窟中を満たしていた。誰も、その中で、呼吸をするものはいなかった。

モナメテオもスケアクロウも。エルサもティコもローキスも。ザラクもトロピアもヨフネもナキリコもヒスカも、リリィもミルチアもエルエンもアザカゼも、クロルもグリオーもラブもメロもミルもマユーも
ゾゾルドもキルソロもドルキデも一号もブラッドダリアもエノもセピアもキャリベルローズもロトもキゥリートもアリスもギャラもドミニクもシェロソピもトメキチもムナクもユイラもユキボタルもフラミアもセルヴィもリットーサもモチャもミリモもタツカゲも
バァスカーブもベノもコカもアクシェラもミルキフィリオもシェセトもポナもドラスもロナも

この闇の中にいる限り、生命は決して活動することはできないのだ。
この闇を掃えるのは太陽の力を持って他にない。
この地下深い太古の遺跡で、この闇を掃う術などない。


一瞬の決着であった。


魔王にとっては、日光の下に毛布を干す程度の労力でしかない。ダニは死ぬ。彼等がどれだけあがいても。



だが困ったことに、彼女等はダニではない。

空にさんさんと太陽が輝いていたら、なんだかんだで笑顔が増える類の存在である。

人間である。



――光が。

遺跡中を覆ったとき、ダニの気分を味わったのはドラディエラの方だった。

ポロッと産み落とされた太陽の胎児みたいなエネルギーは、魔族の王をはるか地表に押し返し、そのまま、入ってきた穴から弾き飛ばした。

外には本物の太陽が魔王を見下ろしていた。その光に後ろめたさを感じるのは、彼女が元を正せば人間だからなのか。



少女達はみな、何事も無かったかのように降り注ぐ陽光を眺めていた。それだけ大きな穴が開いたのだろう、久しぶりの太陽。はるか彼方だが、地上が見える。
怪我も無い。疲労も無い。汗も垢も、溜まった汚れもどこにも無くて。春の日差しの中、うたたねから目覚めた時のような心地よさが身体を包んでいた。

生命が満ち満ちている。少女達が生来持った、花のようなにおいがする。

その輪の中心に、ミスラが立っていた。


・・・・・・。


「ミスラ!!」
「ミスラ様!!」
「ミスラー!!」

それこそ花畑のように、色とりどりの美女少女が次から次とミスラに飛びつく。全員妙にすべすべしてやわらかく、いやらしいにおいなんてまったくしないところがかえっていやらしい。

「ま、待て!待てったらお前ら!!オレが現れるたびに抱きつくな!!!握るな!!」

ふり払おうにも無限に柔らかいからどうにもならない。結局、第一陣が落ち着くまで好き勝手嬲られる。いじくられる。
ちなみに主犯はカリンザ、モナ、スケアクロウ、ミルチア、ユイラ、ベノ。遠巻きに見つめる、エルサ、エルエン。

ほっといたら他の連中まで押寄せるだろう。ここはミスラ、冷静に少女の群れを押し留める。

「まだ終わってないんだ、そうだろメル?」

ミスラが手に持っていた抜き身の剣が、光と共に変形し、やがて人の形をとる。一同から、ほうっという声が上がった。ミツアミ、赤い髪、メルズヘルズ。

「ギルがいた。聞いてねーぞ、なんでアイツが豚に媚びてる」
「ギル?」
ミスラの問いに、今度はクリスが人型になって応える。

「ギルトフーチェ、私達の仲間」
「な、仲間?」
「宝剣だよ……ファック」

緩んだ神経が、冷や水につけられた蕎麦みたいに引き締まった。あってはならない、その事実。



「宝剣…契約、できるのか?契約にはその……あの…」
エルサ、しどろもどろ。
「ちんこでもはえてんのかあの女?」
これはカリンザ。ぶっちゃけた。

「ちげーな、もしアイツがホンチャンの契約してたら、あの程度の力じゃすまねー。アイツは代理なんだよ、契約者の…」
「先行契約……」

「ん?なにそれ?」
勝手に納得する宝剣2人に割ってはいるミスラ。メルズヘルズは実にめんどくさそうに説明を開始する。この娘、見知らぬ人間にこれだけ囲まれていてまったく気にも留めていない。動じない。まるで最初からいたように。

「宝剣は雄性としか契約ができない、これは絶対だ。だが仮に宝剣を使いたがってるメスがいて、こいつが将来ヤロウを産むことが確実なら、そのガキと宝剣を契約させることを条件に仮の契約を結ぶことができる。ガキの力を借りるんだな」
「未来の力…だと?」
ミルチアが驚いた。そういえば彼女に、似たような話を聞いたことがあった。

「待て…おぬし達3人は本物の契約をしておるのじゃろ?本契約の宝剣が2本、向こうは仮契約1本、それならば……」
モナが、要点をついた。メルズヘルズが首を振る。

「使い手を計算に入れろよ」


全員があーってなって、ミスラちょっと泣いた。


・・・・・・。

「あとはあの少年にまかせておいたらどうかねクロル君?」
「いいえまだです…やれることは全部やっとかないと……」

既にほとんどのメンバーは、ミスラのこじ開けた空間の亀裂から、メルズヘルズの住んでいた門の内側へと避難していた。そこが完全に安全というわけではない、嵐を前に、気休めに窓を補強するとかその程度のものだった。
それでもやらないよりはマシだったし、もっとわかりやすくいえば全員が足手まといなのだ。あまりにも理不尽な即死攻撃をその身に受けて、なお自分が戦力になると主張する者はいなかった。

クロルは引き続き、ガニメロの講釈に耳を傾ける。神代文字は超次元的な視野から、書かれた文字群位置関係を相対的に理解しなければその意味を正確に解釈することはできない。
単純で美しくあれ、優れた真理に通底する概念は、人間の限界を自ら認めただけの、甘っちょろい幻想に過ぎないのだと彼女は知った。

この文字は生きているのだ。言葉で捕らえても捕らえても逃れていく。気分次第で幾重にも色を変える、手間のかかる子供。

クロルは空間に線を引く。子供の頭を撫でるように。魔力のディスプレイがにわかに光り、応えた。

「あ、あ、すす、すごい。もうそこまで理解したんですか?」
「えへへ、ボクは先生には恵まれるんです」

ブラッドダリアは、あきれたように少女2人を眺めやる。もう引退かなーとかそんなこと思った。

「さあ皆さんも、そろそろ門の中に避難してください」
「え?え?あ、あ、あの、クロルさんは…」
「ここからはボク一人だけで十分です。ただしミスラさんにはボクも避難していると伝えておいてくれませんか?ボクが残っていると知ったらやりづらいでしょうし」
「だだだ、ダメですよそんなの…!クロルさんも!!」

そんなガニメロを、一号が何もいわずにひきずっていった。クロルは目礼し、一号はいつもと変わりなくそれに応える。
クロルは作業に戻った。彼女の計算では間に合うはずのない膨大な仕事だった。だが彼女は指を動かすしかなかった。



あれだけ暖かかった陽光が翳りだした。
生傷が急激に塞がるように、闇が、ぐずぐずとその濃さを増していく。

祭壇にはミスラと、宝剣少女の2人だけが残っていた。
2人とも人間形態。やけに静かで、発した声が洞窟に飲み込まれていくような、そんな錯覚を覚える。

「なあメル」
「あん?」
「なんでアイツ…ドラディエラはかかってこないんだ?」
「待ってんだろ、夜を。アイツの力は闇と死。虚無の集合だ」
「ああ、なるほど」

ギルトフーチェの力を、ミスラは吹き飛ばす寸前に少しだけ見た。あれはいわば、この遺跡が丸ごと的の胃袋と化したようなもの。闇がそのまま力に。夜ともなればそれはつまり、空を敵に回すのと同じことだ。

「え?じゃあうってでたほうがいいんじゃないか?」
「無駄だな。アイツが座って待ってるとでも思ってんのか?海に飛び込んで自殺すんのと同じだよ。逃げるにしたって砂漠を抜ける前に日が暮れるしな。この砂漠には命がないんだ、空と地面が敵になる」

ゾッとした。ミスラの想像など、敵ははるかに超えているのだ。

静寂。沈黙。時が過ぎているのか、止まっているのか。

正直ミスラは、自分がなぜこんなことをしているのかわからなくなっていた。
不思議なほどに足元が不確かで、自分が今何をしているのかという実感がまったくない。

思えばこの七日間――七日間しかたっていないのだ――ミスラ自身はなにをするでなく、女の子とみるやまぐわって、熱病のように浮ついてはしゃぎまわっていた。それだけといってしまえばそれだけだ。

さらにいえば、なにもその狂態は今に始まったことではない。

ザクロ団に入ってから?いや違う。生まれてからずっとこのかたこんな調子。
そんな自分が、ご大層にも女の子達を背後に下がらせ、ラスボスをぶん殴ろうというのだからおかしな話だった。

自分はそんな偉そうなことができる身分か。格好がつけれるような人間か。
敵が着たら頭をさげて命乞いをしよう。なんとかなるかもしれない、ならないかもしれない。


「あるじ」
「ん?」


気づけばクリスが、直ぐ目の前に顔を寄せていた。相変わらずのことなのだが、改めて見るに綺麗な顔をしている、と、ミスラは思う。その瞳は、僅かな迷いもなくミスラの双眸を覗き込む。

「私ね」
「うん」
「あるじが好きだよ」

キスされたことに、ミスラはしばらく気づかなかった。

「クリス、クリス」
「ん?」
「もっかい、もっかい」
「やだもん、メルが見てる」

いいつつもほほに感触を残していって、少女は剣へと姿を戻した。

もうミスラに迷いはない。メルズヘルズも、姿を変えた。

「くるぜ、構えろ」
「ああ」

その瞳は、津波のように押寄せる闇を見上げた。


・・・・・・。



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