読書感想
「高慢と偏見とゾンビ」 原題『PRIDE AND PREJUDICE AND ZOMBIES』
(ジェイン・オースティン、セス・グレアム=スミス、二見書房) 《安原和見 訳》
古典海外文学「高慢と偏見」または「自負と偏見」にゾンビを掛け合わせたという謎の作品。
一行目の出オチとも言い換えられるが、それほど内容は異色ではない。
元が元だからか、残酷描写や戦闘が少し少ないように思えた。
夫婦最初の共同作業がゾンビ狩りな所はポイントが高い。
豊かな田園にゾンビが湧き出るとか、愉快な話。
訳は……日本語を書ける人に頼めばいいのに。
2010/03/01
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「探偵ガリレオ」 (東野圭吾、文春文庫)
一見不可解な事件を科学的に解決していくという話。
淡白とも言える文章が、内容に非常に合っていた。
今まで一般小説はミステリー中心に読んできたからか、内容は若干物足りなく感じた。
特にトリック関係は説明が端折られて(科学者だからか)いて、本当にできるのか? という懐疑的な印象を持つ。
読了後も「まあ、こんなもんか」という程度。
良くも悪くもさっぱりしていて気軽に読める作品だった。
「慣れないことはするもんじゃないな」
2010/01/22
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「レンズと悪魔(全12巻)」 (六塚光、角川スニーカー文庫)
個人的推薦図書の一つ『タマラセ』作者、六塚氏の、輝くべき二シリーズ目。と私的な事を書く。
長編ライトノベルにしては珍しく、しっかりと完結。前作も綺麗に纏まっているのでその点の心配は無かったが。
内容は近頃の物にしては珍しく、幼少期の禍根を巡る復讐劇──から突然のスペースオペラ的展開。
かなり後半まで異種異形ファンタジーとしか読めないので、まさに読者には青天の霹靂。設定からして格が違う。
かと思いきやシャーロックホームズ的な推理や謎武術、さらには謎球技まで登場し、各巻読みごたえが抜群。
描写やシーンの組み方が丁寧で、ついでとばかりにウィットに富んだ会話。
角川スニーカーの新たな看板! とまで、個人的には言い切れる。
ただ萌えを追求するには、氏の言うとおり、万力萌えは今では普通すぎる……のか?
多分に私見が混じっているので、いつもの感想とはおもむきが違ったかもしれない。
一々私好みの展開ばかりなので。
12冊あるだけに、いつもの台詞抜粋も今回は無し。
2009/11/01
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「化物語(上・下)」 (西尾維新、講談社BOX)
文庫版が出るまで、そう思っていたが、推し文句「西尾維新が活字の地平を切り開く!」に負けて購入。
結果からいえば先に買ってしまって良かった。この書体でなければ魅力が半減までは言わなくても、二割減はしてしまいそう。
軽快な言葉遊び、あやとり。
内容は手放しで絶賛するほどではないが、上記がとても素敵だった。
アニメ版もあれはあれで良かったし好きだが、原作は原作で楽しく読めた。
アニメだと露骨に撫子プッシュなので、神原と真宵好きは特にオススメ。
ただ、何故傷物語を後に出したのかがよくわからない。読めばわかるのかも。
傷・偽、共に金銭的余裕が出たら買いたい。
あえて突っ込みを入れると、3kgの落下物体を受け止めたら腕がもげると思った。
「うん、あの人は、あれに違いない」そして全員が、声を揃えて異口同音。「お人よし」
2009/10/31
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「姑獲鳥の夏」 (京極夏彦、講談社文庫)
京極堂シリーズ一作目。
このサイズの文庫には何かと嫌な思い出があるが、すんなりと読めた。
一見すると文章が固く、漢字が多くて読み辛そうに見える。が、読み始めてみるとそんな事はなく、ものすごく快適に読める。
この量の感想を簡潔にまとめるのは難しいから全ては書かない。というか書けない。
前情報で聞いていたが、本当に好き嫌いの分かれる本だと思う。
前半1/3にわたって認識についての前提が語られるのだが、興味のない人や理解しようとしない人には本当に辛いと思う。
幸い私は楽しめたが。
主人公の関口は頭のできの悪い三流文士だが、飲み込みの遅さという点においては才能を持っている。
彼が疑問に思うことは読者も聞きたい事だからだ。
慣れると、いつもの詭弁(関口はそういう)を聞くのが楽しくなってくるというあんばいなわけだ。
そして読み終わった時の清々しさ。
読了した方なら惚れたり、尊敬の念さえも抱いてしまうことうけあいである。
言い方は悪いが「中二病患者」や「メンヘラくずれ」にもオススメだ。
普段こう考えている、という内容も少なからず絡んでくるので、日常に疑問や不満を持っている人が特に引き込まれやすいだろうと思う。
ただ「ミステリー・推理小説」と呼ばれるジャンルを読んだ時に往々にして思う事だが、これは推理小説ではないであろう事は確かだ。
その括り自体が私は納得できない。言葉の使い方を間違っている、とでも言うんだろうか。とにかく推理とは無縁である。
ミステリーならニュアンスとしては近いが、やはり「読み物」と言ってしまうのが適切ではないかと思う。
語っても仕方がないことなのでこれで終わるが。
あと、読んで頭が良くなった気分に浸れる。
最後に「死角」のトリックだが、ありゃ、ない。
ないが、本末転倒ともいえるが、個人的に事件自体はあまり重要ではないので特に言及はしない。
三度は読まないと完全には理解できそうに無いが、この本には三度読ませる魅力がある。
もちろん引用台詞はこれだ。
「この世には不思議なことなど何もないのだよ、関口君」
2009/10/25
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「竹取物語」 原題『不定』
(作者不詳、角川文庫) 《星新一 口語訳》
話の部分は、古典なのであえて触れる必要はないと思う。
見所は訳だが、私が今までに読んだどんな日本語訳にも口語訳にも勝っている素晴らしい訳。
まさに読む事を考えて作られた「物書き」の本。
現在生きている人でも高齢となれば、たしかに旧字旧かな使いは読めるだろう。
だが、後世に残し、読んでもらうという点で論外だ。もちろん、直訳に近い不自然な日本語訳もそうだ。
この項の「虎よ! 虎よ!」でも触れたが、改行も無く、口語でもなく、ただ自己満足で書いたような訳は必要ない。消えるべきである。
既存作批判はこれぐらいにして、この本の著者は「原文の著者」になるべく近づこうとして、尚且つ自分の意見や注釈を面白おかしく盛り込んでいる。
訳として適切かどうかは関係ない。読んで、楽しいもの。著者はこれをよくわかっている。物語を捻じ曲げたり余計な加筆をしているわけではないので問題ないと私は思う。
正直、古典作品を読むのはつまらない。
何故なら、現代を生きる人の言葉で書かれていないから。
この本は著者が還暦を越えてから訳したものだが、その歳にも関わらず、今の中学生にでも読めるような、面白く、分かりやすい文章で書かれている。
私は、全ての訳を書く物書きにこの本を薦めたい。
ありがたい事に、著者は幕間・あとがきにて創作・文章に対する姿勢を残している。
どうか、知識を持つ者にしか読めないような訳を書いている愚者に読んでもらいたい。この訳は素晴らしい。
原文に無いからと改行もしない怠け者に、訳をする資格などない。狂った文節を放置するなどもってのほかである。
文章とまったく関係が無いが、表紙や挿絵がとても綺麗なので、そこもオススメしたい。
2009/10/03
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「鉄道員」 (浅田次郎、集英社文庫)
映画で有名な、鉄道員を頭に置いた短編集。
正直なところ、著者の推す『優しい奇跡』系は先が読めてつまらなかった。白けた、もう溢れている、と言ってもいい。
だけど霊の絡まない、今を生きている人間の話がとてもよくできていた。
特に最後の(私はこれを表題に持ってたほうが良いと思う)オリオン座からの招待状にはグッとくるものがあった。
私が著者なら、この話メインに置いて短編形式にするな、そっちのほうが構成的に面白いし。
果たして五十歳になった時、私は同じようなものを書けるのか疑問だ。
たかだか二十数年生きただけの人に、感慨や郷愁を抱かせるのは並大抵の表現力では無理だと思う。
誰かがこの感想を参考に本書を購入したのなら、鉄道員ではなく、是非ともオリオン座からの招待状に期待してほしい。
余談だが解説の「本書はリトマス試験紙のような作品集だ」は恥ずかしいからやめたほうがいいと思う。
そもそも恥ずかしい言い方だし、リトマス試験紙が関係なさすぎる。
毎度ながら(読まないけど)解説の存在意義が分からない。解説するような中身ならいざ知らず。
「ご苦労さんやったなあ。疲れたやろ。映画、一緒に見よな」
2009/09/18
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「NHKにようこそ」 (滝本竜彦、角川文庫)
雰囲気に合った軽快な文章、素敵すぎる思考、語るのが馬鹿らしくなる内容。
最高だった。
アニメ→原作の順だけど、ラストの革命爆弾のくだりだけはアニメが格上だ。
けっして誇れる話じゃないにせよ、作品に流し込める過去があるのは羨ましい。
「それがお前らのやり口ってわけか! 卑怯じゃないか!」
2009/08/27
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「車輪の下」 原題『UNTERM RAD』
(ヘルマン・ヘッセ、集英社文庫) 《井上正蔵 訳》
心底この人の訳で良かったと思う。読んでいる途中に他の訳も手にとって見たけど、読むに耐えない物だった。
もう亡くなってはいるが、素晴らしい訳者だと冒頭に記す。
あと、333円(税別)という驚きの安さ。
それは置いといて、内容は重い。けど好きだ。
あえて触れるような内容でもないから、特に感想は無い。
ただ個人的に、神学校を辞めてからの展開が救いがあるように見えて好きだ。そこいらに転がっている感想だと辛いだとかの意見が多いけど。
少々変な感想なのかもしれない。
ただこの作品の主人公に弟の名前をつけるのは恨みがあるのかなんなのか。気になるところ。
「それからどうしたの?」
「それから? いやそれっきりさ」
「おねがいだ、ハイルナー。これからもこんなふうに、きみのまわりをうろつくよりは、びりになったほうがいい。きみさえよければ、ぼくたちはまた友だちになって、ほかの連中なんか相手にしないということを、やつらに見せつけてやろうよ」
2009/08/23
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「パプリカ」 (筒井康隆、新潮文庫)
一行目を読んで、惚れた。
SFはかなり苦手なジャンルだが、すんなりと読む事ができる。ただ少しだけ設定がごちゃごちゃしていてわかり辛かった。
途中からすごく面白かった。特に夢の描写がすごい。よくもまあそんな物を文章にできるな、と感動しっぱなし。
夢が現実を侵食する所から、乾暴走までは食い入るように読んだ。
オチは弱い。弱すぎる。脇役だと思っていた玖珂と陣内が出張ってくるのもよくわからなかった。ありゃいらん。
あと乾の考えていることが文字の羅列にしか見えなくて読むのが辛かった。
そんなだから乾の神仏悪魔の知識量は良いとして、主人公たちがその知識を有しているのはおかしい。詳しすぎる。
私だったら乾の後ろにさらに死んだ氷室の荒廃した意思が云々でもっと話を広げた。
正直、乾パートは読んでてつまらなかった。オチをはじめとして、惜しいなあというところ。
今書いたところまでで分かるとおり、苗字と名前が独特すぎる。
そして振り仮名が最初にしかないから途中から名前が読めないまま。いただけない。
もっと色々名前が出てくるけどどれも難しい読みで誰が誰だか少しわからなかった。
それと主人公。千葉敦子というのだけど、クロスファイアの青木淳子と混じった。
主人公こそ読みやすい漢字で、だけど一度読んだら忘れないような印象的な名前をつけるべきだと思う。
一般文学ではなんかそういう法則でもあるんだろうか。
時田浩作と島虎太郎はすごく良い名前だと思うのに。
全体的には良かったけど、そこら辺が私の考えとは相容れなかった。
一章が半分と、二章の最後のほうを圧縮していいと思う。細かい情報描写が冗長すぎる。
まったく作品とは関係ないが、たまに巻末についている解説は滑稽だと思う。
「でも、その前に」「何か食べさせてください。朝ご飯を食べたきりなんです。今日はトーストをたった一枚しか食べていないんです」
2009/08/08
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「博士の愛した数式」 (小川洋子、新潮文庫)
せっかくちょっと良い話なのに、文章が乱暴。
文章のちょっとした不親切で現実に戻されてしまう。
喩えが、そこでその喩えは無い、と自信を持って言える物ばかりだった。
一般的な名詞では無いのに、いきなり「レッドロビンの生垣」と出てくる辺り、文章の書き方がなってない。少なくとも私はレッドロビンが、この作品を読み終えた今でも、どんな物なのか想像がつかない。木なのか芝なのか花なのか。赤いのか青いのか緑なのか。はたまた無機物なのか有機物なのか。というかそれは生き物なのか、食べ物なのか、未確認物体なのか。
フェルマーの容姿の説明でも「いかにも17世紀云々」と出てくる。これじゃああまりにも酷くないか。「いかにも17世紀」な服装を簡単に思い浮かべられる人はそういない。
上記のように、何をとってもまず言葉使いが受け入れられなかった。独りよがりの文章。主人公の思想にも統合性が無い。その発想はどうしたら出てくるんだよと突っ込むこと数多。
例えば「ため」と「せい」。
「~のせい」と「~のため」「~だから」全部同じ意味だけど、随分と響きが違って聞こえる。
優しい場面で「~のせいで」と出てくると冷めてしまう。「所為」とは「しわざ」という悪い意味が一番強い。
それから、いくら主人公が無教養でも、自分の子供をルート呼ばわりは無いと思う。
博士の前に立つとルートになるように、私だったら書く。
あと最後はあっさりしすぎじゃないだろうか。ぬるい。
数学的なことを言うとeが不自然と言われるのが許せない。紙に書ききれない度合いならこの作品で愛されているnも不自然だ。
それから、数学は完全じゃない。
本当にサイモン・シン「フェルマーの最終定理」を参考にしたんだろうか。
物語の根幹から変えてしまう問題が書かれていると思うんだけど。重箱の隅どころじゃなくて、重箱の本体を叩き割るような大きな問題。
数学は今現在も『1+1=2』すら正確かどうか、科学的にしか証明できないでいる。
素数は美しい。だけど数学は穢れてしまった。
纏めると、話は良い。考証が適当ではない。文章が雑。
最後に、非常に女臭い作品だった。
読売文学賞と本屋大賞がいかほどの物かは知らないが、なんであれ、とても「大賞」を取るほどの作品ではないと思った。
これは、無い。
「このむかつきにも似た残念な感情を書くには、この括弧は狭すぎる」
2009/07/20
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「老人と海」 原題『THE OLD MAN AND THE SEA』
(アーネスト・ヘミングウェイ、新潮文庫) 《福田恆存 訳》
この簡潔な文章は、まさに孤独な海での戦いに相応しい。
引退時期を悟った(わけではないが)老人の、たまに夢うつつを見ているような描写。全てが美しい。
でも多くを語る必要のある作品であるとは思わない。ただ年に数度読み返したくなるだけ。
老人の台詞の多くは、悩んでいたヘミングウェイ自身の言葉のようにも思える。
彼はすっかりサラオになってしまった、という前半の文章からも、ヘミングウェイの文学への葛藤が読み取れる。
この作品を書いている心境は、まさに老人と同じだったのだと私は思う。
だからこそ、一つ一つの台詞が心に響く。ここは恥を承知であえて言おう。
“老人と海は晩年”
「たっぷり休んでいきな。そしたら陸のほうに飛んでいきな、あとは万事あなたまかせにするんだ、人間だって鳥だって魚だって、みんなおなじことさ」
2009/07/10より前
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「狼と香辛料」 (支倉凍砂、電撃文庫)
読書感想なのでオチの話をしてしまうが、このタイトルは実に気障ったらしい。それでも許せてしまうのがこの作品の憎いところ。
一文を書き出すと説明臭くなるが、作中で出てくると、そんな文章もまたこの作品の味になる。
今書いたとおり、この作品では相方ホロに説明したり、誰にともなく本文で商業の説明がよく入る。実際に私に知識があるわけではないので真偽は定かではないが、その説明、例え話やおとぎ話が実によくできている。
かと思えば綿密な心理描写と、息遣いまで聞こえてきそうな魅力的なキャラクターの動作。素晴らしいの一言に限る。
私の「電撃は銀賞が良作」説にまた一つ作品が加わった。
「俺が何年かけて稼いだ金で……買い揃えたと思っているんだ。追いかけてやる……北の森まで追いかけてやるからな!」
2009/07/10
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「鷲は舞い降りた 完全版」 原題『THE EAGLE HAS LANDED』
(ジャック・ヒギンズ、ハヤカワNV) 《菊池光 訳》
半分まで読んだけど、いつ話が始まるんだ。
「三行で頼む」
2009/07/10 未読破
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「フランケンシュタイン/あるいは現代のプロメテウス」 原題『FRANKENSTEIN;OR,THE MODERN PROMETHEUS.』
(メアリ・ウルストンクラフト・シェリー、創元推理文庫) 《森下弓子 訳》
表紙が怖い。創刊50周年記念らしいが、とても怖い。夜に見たらちびる。
冗談はさておき、後世の作品に、この作品を知らずとも影響を受けたと分かる物が多いだけあって、とても作りが良かった。
これほどの良作の前では何を言おうと無駄とさえ思える。なのであえて内容には触れない。触れるには難しすぎる。
いつものように頭に入ってこない文章、かと思いきや、そうでもない。
怪物の語りパートはとても読みやすい。そして興味をそそられる。ただ、そこに行き着くまでが長い。
フランケンシュタインの研究云々や神経衰弱の描写はまだいい。
けれどその前のウォルトンはいらない。まったく話に関係ない。例えるのなら「カレーがどんな物か尋ねたら、具のタマネギの歴史と性質を聞かされる」そんな感じ。
時代が時代だけど、やはり無駄な描写が多い。心理描写も一々聖書的な遠回りな言い回し。これじゃあダメだ。
私なら同じ話を読みやすく、半分以下の量で書ける。
そもそもこれはウォルトン視点で書く必要があるのか? いや、ない。ヴィクターか怪物のどちらかの視点でいいはずだ。
この時代に「文学」という概念があったかは分からないが、間に詩をはさむのはいかがなものか。詩は詩だから良いのであって、文学中に登場しても読みづらいだけだ。
あと、同年代の海外文学に対して思うのは(現代でもあるけど)言葉や詩の引用だ。
自分で書かずしてどうする?
最後に個人的にだけど、ヴィクターの性格には共感できないな。
ミルトンの失楽園は読んだ事があるが、怪物の言いたい事がわかりづらい時があった。
やはり、相手がどんな大作で、自分がどんなに有力であろうと引用は避けるべき。
「太陽にかけて、天の青空にかけて、この胸を焦がす愛の火にかけて、おれの祈りを聞きとどけてくれたら、おれがこの世にあるかぎり、けっしておまえの前に現れぬと誓う」
2009/07/07
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「虎よ、虎よ!」 原題『Tiger! Tiger!』
(アルフレッド・ベスター、ハヤカワSF) 《中田耕治 訳》
ジョウントというテレポーテーション能力が発達した世界、25世紀の話。
書かれた年代や場所を考えると妥当な気もするが、やっている事に無駄が多い印象。
それと古い小説全般に言えるが、文章が古臭い。単に翻訳として出すだけなら誰にでもできる。
原文を変えるなという声が上がりそうだが、あえて読みやすいように、現代ローカライズが必須だと言える作品。
まるで内容が頭に入ってこない文章。これほど勿体無い物はない。
内容は悪くないが、若干のSF常識が必要となる場面が多々ある。
終盤のどんでん返しの連続、感覚変異の文章などは秀逸。でも序盤は文章のため、何をやっても何をやっているか分かり辛い。
新装版として出すのなら、私は大幅なアレンジを加えるべきだと思える一冊。
どんなに元が良くても、文章は変遷しているのだからそれに合わせた物も出していく時代だと思った。
ライトノベルというジャンルはそういう意味じゃ今後市場を塗り替える可能性を持っているな、と話が反れる。
確かに川端や太宰の文章は音感が良いが、古い。
平文としてすんなり意味が伝わらない文章に存在価値は無いと思う。新装という言葉を使うには古い本だった。
これは読書感想なのか……。文章批判は控えようと思う。
1950年代でこの設定が出ていた事には驚くが、現代で読んでもそれ以上の感想は無い。
新”翻訳”版を出すべき。
勘違いされそうなので書きたしを。
文章が古くて読みにくいというだけで、嫌いなわけではない。ついネタを口走るぐらいには好き。
「オリヴィア、君は狂っている」
2009/05/13