サ行変格活用術27

3月 6, 2010

ふと、鬱というのは人間を滅ぼすために生まれたような病気なんじゃないかと思った。
京極堂曰く、動物は生きているだけで恍惚としていられた。しかし人間は進化の過程で、それだけでは満足できなくなっていった。
それを救うために、宗教が生まれた。脳内麻薬の代用だという。
アヘンやモルヒネは代用の代用。

ここからは私の解釈。代用の代用は、人間性を著しく低下させるので禁止された。
しかし脳内麻薬の代用とされる宗教は、固体の思考の深化によって否定される場面が多々出てきた。
知識や知性が代用麻薬では抑えきれないほど肥大化した。

動物から人間へ進化する過程で、人間は脳内麻薬では満足できなくなり、宗教という代用麻薬を得た。
そして今、さらに思考が深化する事により、宗教さえも不要と退けた。
つまり、自ら満たされない方向に進んでいるという事になる。
ここまで知識が深化してしまった以上、物理的以外に代用麻薬を用意するのは難しいと思われる。
しかし物理的な代用麻薬は禁じられている。
だから幸せになれない人が出てくる。知性の限界。
やはり人間は生物として歪んだ進化をしてしまったのかもしれない。

幸福論でヘッセが言っている通り、幸福というものを考える時、まず浮かんでくるのは幼少時の記憶。
時間やしがらみに囚われず、真に自由であった時の記憶。
人が人になる時、幸福は失われる。私はヘッセの幸福論に、概ね同意する。
しかし私は今、幸福だ。
時間やしがらみに囚われてはいないからだ。時が経つ恐怖以外に、苛立ちは覚えない。
環境の変化(私は総合して死と呼ぶ)以外に悲しみを感じない。
つまり深化してなお、幸せになる方法はあるという事だ。
私は金もないし、職もなければ成功すらしていない。けれど幸せだ。
もちろん、成功する欲はある。できれば嬉しい。だけど、今の状態は、私は幸せと呼ぶに値する平穏だ。
家族がいて、心から話せる友がいて、何事でも相談できる師がいる。
幸せの最低値が高ければ、もちろん満足できないだろう。
けれど私は満足している。「幸せですか?」と問われれば、幸せだと即答できる。
退化か、進化か、はたまた別の何かか、私にはわからない。
けれど私の例からいえば、人はまだ、幸せになる余地があるはずだ。

ただ、余命数時間と言われても納得できるであろう私は、私がいつも自分で言うように「悟った」というのが正しい気がする。
それ以外の言い方を私は持っていない。
でも考えるのは好きだしやめたくないから、脳だけ残しておいてもらいたいなーとかなんとか。

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