濡れ手に開け口

12月 11, 2009

二度手間三度手間になる事を言う。
類義語に「横着の封じられた鋏」がある。

昨日の日記に書いた宣言どおり、六時に起きられました(エー
なんというデキレース……まさに結果がわかっている。
明日も六時台に起きるぞ!(これまたデキレース

そんなわけでデキレースと八百長の違いについて。
意味的にはほぼ同じ、故事由来か造語かの違い。
ですが、今度は造語について気になってきます。
造語は文字通り造られた言葉なわけですが、作られていない言葉が、そもそもない。
そういう意味では造語という言葉は矛盾に満ちた単語でありますね。
話は戻りまして、ま、どちらも似たような意味だけど、微妙に使い分けられていますよね。
そして類義語に存在するであろう「談合」について。
こちらは横文字に言い換えるとカルテル。よく私が馬鹿にしているオトナ語ですね。
余談ですが、クズニュースやらで「闇カルテル」やら「不正カルテル」と言いますが、そもそもカルテル自体が日本の法律では不正となる場合がほとんどです。なので、二重の意味になっているので使ったら恥ずかしい言葉です。
“談合とカルテル”、オトナ語には珍しく、意味が完全一致です。
談合の文字から分かるとおり、集まってヨロシクやる、というのが談合の意味です。たぶん、法律で罪と定められていなかった時代の言葉ですね。中に悪い意味が含まれていないです。
元々ある話し合うというそのままの単語に、ヨロシクする事の意味が付与されたのかもしれませんが。そこら辺は私の埒外。
ま、表意はしていると思われます。集まってモニョモニョするという行為には違いないし。
それがオトナ語のカルテルとなると、話が違ってきます。
まずカタカナは表意文字ではないので、意味を知っていなければ理解できない。これが私がオトナ語を嫌う最たる理由。
また、カルテルという単語は音感が良く、悪い意味が含まれているように聞こえない。これが副次的な理由かな。
一つ目の理由で排除するには十分な理屈だと思いますが、二つ目の理由もかなりある。
故に、私はオトナ語”カルテル”はいらないと断ずる。これが一つの真理である。

先に書いた”デキレース”と”カルテル”の違いは何か。
デキ(出来)レース(試合)と書くと分かりやすいかもしれない。つまり、デキレースという言葉は表意語(私が今作った言葉)なんです。
同じく先に書いた理由から「造語」という言葉は使いたくないので「新語」と言い換えますが、デキレースは新語。
そしてカルテルは新語ではなく、和製英語(ドイツ語だし意味がちゃんと伝わっていないけど)、つまりもどき。
何のために使われるのか明確な理由が無い、これが、オトナ語がいらない明確な理由だと結論付けて良いはず。
また、オトナ語と新語の決定的な違いだと思う(デキレースが必要かはさておき)。
以上証明終わり。

やっと、やっと明確っぽい基準を書き出す事ができた!
全てがこの例に当てはまるわけではないけど、これで大半のオトナ語を排除する理由になる。

そんな事を書いていないで小説を書きなさいといわれたのでこれにて解析終了。

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