絶対と相対

12月 18, 2009

ちょっと前に音楽記号は日本語で精細に書いたほうが~とか書いた気がしたけど、マイナーなのとちゃんと前置きしていた。
だから話題としては全く当てはまらないのですが、例として音楽記号は自国語で書いたほうが効率的なんじゃないか、という問題を提示します。
たしかにある一方(初心者、自国民)では効率的ではある(相対)。
でもだいたいどういう表現をするか頭の中にあったり、統一規格(絶対)を知っている人には、いらない。長くなったり曖昧になる。
(たまにしか使われないようなマイナーな楽語は前に書いたとおり、意味を書くべきだと思うけどね)
物事には大抵、絶対は存在しないから、する場合はそれに従ったほうが効率的。
対人関係や生き方でも同じ事が言える。宗教も云々
ここであーいやなんか違うなと気付く。
この題目は、前のオトナ語と同じでまだ細分化しないと解けない。
また気が向いたときに追求しよう。
そんなわけで、今回のお話は「物事に絶対はあまり存在しない」という事でした。
理解すると生きるのがチョッピリ楽になりますよ。
いや間が繋がってないけど書くのが面倒で……

どうして唐突に書き出したかというと、高校の時に先輩に言われた事を思い出して「あれって先輩が間違ってるじゃないか」と思ったので。
私のピッコロの最高音域が噪音(楽語的に言うと音程の境目が不確かな事)と言われたのですが、私には余裕で聞き取れるんですよね。
んで、その先輩は弦なわけ。普段ギコギコしてて、こっちはアンタの音が聞き取れないよ……状態だけどそこはオトナの対応で言わなかったのですが……もとい二個上はアホばかりだったから言ったら面倒なことになった。
ようは、耳の成長方向が違うから、というかピッコロ吹きの耳は特別なんですよ。
んでもって弦の耳も特別。
かたや最高音特化、かたや最低音特化。
聞き取れるはずがない。故に先輩が間違ってるじゃないかと。

それとは関係ないけど吹奏楽において弦の必要性が感じられないのですが私だけですね。
たぶんオケアレンジをやるようになってから出てきたんだろうけど、それって卑怯なんじゃと。
特にピッツィカートなんだろうけど、それじゃあチェロだって入れたっていいジャン?
ググった限りでは明確な歴史は出てこなかったし……
誰か弦が入っている明確な理由を私に示してくれ。


そうそうあと言いたかったのが、歴史も絶対的なものではないということ。
普通は理解できると思うのですが、歴史は事後に書いたものであるから、主観が入る。
ある一方ではこうだけど~みたいな、マア上手い言葉があるもので、勝てば官軍負ければ賊軍というわけです。
いくらでも捏造し放題。
だから私にとって、歴史なんてものは空想と同じ扱い。
だからって嫌いなワケじゃないけど、覚えるつもりはない。行った事のない土地に興味がないのもそういう理由かも。
人だって、絶対的じゃないから興味がない。
もしかしたら私の価値観はそこから来ているのかもしれない。
ナンテネ。無条件でまず突っかかる人の心理がわかったかもしれない。

ごちゃごちゃ書いたけど、ようは自分が信じる自分を信じろってワケですよ。なんというグレンラガンオチ。
グレンラガンはたまに私の言いたい事を先に言っているから困る。
だけどそれも、他の人からみたらまったく違った意味に取れたりするんですよね。面白い。
誰もかれも、自分たり得ないのですから。
自分が特別なのではなく、自分と同じ人は存在しえない。こう考えると理屈が通りますね。

完全無欠に関係ないのですが、筆記体ってどうやったら左に傾くんだろう……左利きだったのかな?
それにしても怖いっすね。真実かどうかを調べるだけで罪になる、そんな世界。
私はユダヤが嫌い。また、ナチスの謎に興味がある。
ナチスのようにあるべきとは思わないけど、今も非人道的(笑)な研究をしている組織があると信じています。
倫理人道なんてものも結局はその時々の人間が決めている事で、しかも相対ですらなく、感情論な事がままある。死ねばいい。
夢がない、夢がねえよ。

2 Responses to “絶対と相対”

  1. 石田三成(今川義元や徳川信康でも可)の事ですね分かります。

  2. まーそこらの時代は創作かと思うぐらい(実際混じってるだろうけど)読んでて現実感が無かったりしますからねえ。
    そして徳川信康が本気で何をした人なのかわからない……
    私の歴史知識は忍者中心だけど、こちらも読んでいてなかなかに面白いです。
    おれ、将来忍者になるんだ……

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