いっしょにとれんどちぇっく

1月 24, 2010

宗教に対する一つの考え。
宗教とは、早い話、価値観を画一化するためのものだ。
人殺しは良くないだとか、自殺は不幸になるだとか。言ってしまえば人生の規範。(そんな物を規範にしたくはないけど)
同じ宗教なら、決められている事に関しては一定の価値観を持っている事になる。
だから、基本的な相手の考えが分かる=怖くない という式が成立すると思い込んでいるんじゃないだろうか。
それは考える事を、人と接することを放棄している事に他ならない。
この考えが正しいとした場合、宗教とは人の心の自由成長を妨げる物にしかならないという事になる。
これは人生の指針を示している大宗教に限るけど。
最初に、一つの考えと書いたけど、私はこれが真理だと思う。大きなものの一部だけにしろ。
色々な知識が散らばり、誰でも読める今の世界には古い、相容れない物。どうだろう?
熱心な宗教家は、恐らく宗教という物が何かも考えた事もないのだろう。あるいは見て見ぬふりをしているか。

どうして「これら」が生まれたのか、考え読み解く事ができるのは、心の自由成長を遂げた人だけ。
それは自分の中の真理であり、人と一部を共有する事はできても、完全に一致する事は絶対にない。
完全に一致したのだとしたら、その相手は自分という事になるからだ。
世界は人の数だけある。同じ世界が二つあるのだとしたら、同一人物という事に他ならない。
つまり、議論し、考えを共有する事は無駄なのだ。
という二段目を明かさなければ私は優秀な教祖になれると思う。宗教なんて、そんなモン。

私の考えが理解、納得できないのは当然。答えは自分で見つけられなければ、真に納得することはできないのだ。
納得した時が、自分の世界の真理が得られた瞬間。
私はこの瞬間がたまらなく好きだ。
たとえ数年数分数妙で考えが覆ってしまったとしても、それはそれで新しい探究ができる。


どうでもいいけど、中でも一番無意味だと思う議論は、言葉尻を捕まえて延々と噛み付いてる事かな。
誰が何を思って何を言おうが自分とは関係がない、というモノでもないけどね。
そこら辺は難しい。というか絶対と相対で話した。
私の出した考えの中で、この絶対と相対の真理はかなり万能なほうなんじゃないだろか。素晴らしい。

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