小比類巻も一発変換できないような最新辞書じゃ

2月 25, 2009

読んで楽しい、食べて美味しい、飲んで落ち着く春陽屋さんを目指しているのですが、昨日はのっけからアレな話題でしたね。
私は最近、自分はいつまで子供でいられるのか気になります。
子供の意見は、一方では真理、一方では禁忌の場合が多い。
こうすれば皆が幸せになれるとわかっていても、一部の人間の利益がなくなるからと発言を封じられる。それが大人の世界。
あえて私が態度を決めかねる問題で示すと、それは先天的な知的障害者の問題。
生命倫理には絶対的な答えが無いからこそ難しい。
外で出会う他人は除外して、私は二人の知的障害者と接したことがあります。

一度は、小学校に入学してすぐ。
同じクラスに乱暴な女子がいました。力は無いけど、とにかく暴れる。
皆から嫌われ、事実私も嫌っていて、先生も正論を言う子供にフォローはできない。
何故なら、完全に迷惑になっているから。
危害を加える者は、人間ではないと思う。理性で動いていない。獣と同じだ。
だから私は言葉が通じない動物を人間とは呼ばない。呼べない。

二度目は同じく小学校。こちらは何の縁か、意外と付き合いが長かった。
その小学校からは転校したのですが、その先で進級した時に、彼とは出会った。
知的障害を持っている人って、顔でわかるんですよね。
私的な意見だと、たぶんこの人達は一定の方向にしか感情が動かないんだと思う。
だから同じ表情しかしなくて、使わない筋肉が退化してしまう。
彼はけして暴力は振るわない。いつも笑っていた。
日本語も通じるし、何より優しかった。
その所為か、たまに困るようなことがあっても、皆でフォローしていた。
じゃないと中学校を赤点無しで卒業はできないと思う。
私は私立に進んだので、出席の関係無い中学三年の後半はあまり出ていなかったのですが、風の噂では彼は高校にも行ったとか。
そりゃ普通の人とは違ったけど、私は彼に悪い気持ちは持っていない。

二人と接したからこそ、私はこの事に極論を言う事ができない。
確かに、人間社会で生きる事のできない獣は、生まれた時に殺してしまうのが筋だと思う。仕方がない。
でも、もしも二人目の彼のように、生きられる人間だったら、生きていける力があったらどうなんだろう。
どうにもできない。

社会に出れば、知的障害に限らず、必ず二極の人間を見ると思う。
そういった物を沢山見て、人は大人に近づく。
そして判断がつかなくて自分の意見が言えなくなった時、日本人は大人になる。
私は金持ちの立場には立つつもりは無い。
だから一方的な利益のために生きる人間を許さない。
だけど、もしその金持ちが自分だったら?

私は犯罪者以外、万人の人間が幸せになってほしいと思う。
だけれど、犯罪という事自体、誰が植えた倫理なのだろうか。
それを考えると、大人にならざるを得なくなり、悲しくなる。
物を考えるのをやめた大人にはなりたくない。

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