閉塞感

6月 24, 2011

五月の終わり、確かに私は生きている実感があった。
縛るもののない私の動きを鈍らせる壁が、あの時だけはないように感じた。
でも今はまたその閉塞感が戻っている。
必死に生きればまた忘れられるのだろうか。
みんなこの閉塞感を感じたくないから必死に生きているんだろうか。
何も見ず、何も聞かず感じず生きるということは閉じ込められるのと同じなのだろうか。
であれば私は否と答えたい。
壁はこの手で砕けばいい。
砕けぬから閉塞感を感じてしまうのだ。
ならば砕けばいい。
砕ける力を、道具を求めればいい。
必死に生きるということは、きっとそういうことだ。
壁を砕くために必死になっていたから、生きている実感がしていたんだ。
壁の中に閉じ込められているのは生きているとは言わない。
壁から出た先に何があるかはわからないけれど、とりあえず戦うしかないのだ。

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