~マニアクス

6月 12, 2009

今回紹介するウェブサイトはこちら、ToneMatrix
早い話、ヤマハのテノリオン、YAMAHAのTENORI-ONと書いたほうがいいのか、それのFlash版みたいなものです。
これが中々愉快でしてね、ちょっとポチポチするだけでループ旋律を作れる面白ツール。
ちなみに数値を右クリックでコピペできるのですが、私がこれだーと思って作った(そうでもない)のはこれ。
66050,45060,17704,41488,3104,18506,5280,33040,2696,49156,70882,2304,17540,41170,45090,50780
はい、面白いですね。
正直な話、TENORI-ONに興味はないけど、これならFlashって媒体だから誰でも楽しめますね、YAMAHAさん。
TENORI-ONは手が出しづらい価格だと思う。

ところでFlashつながりでプレイヤーの話。
今は亡き僕らのマクロメディア。マイクロメディアだとかマクロソフトだとか間違えられるマクロメディア。
Flashの衰退はAdobeのせいもあると、私は思う。
金に物を言わせて敵対勢力を潰したAdobeは絶対に好きになれない。
現に昔か写真屋を毛嫌いして、わざわざいろいろなツールを使い分けてる人もいるし。
企業である以上文句を言うのは筋違いだけど、やっぱりAdobeは間違ってる。
人によっては「金を稼ぐ手段」であるソフト、それにン十万取るのはどうかね、と。
建築のほうは高いソフトはJW CADのおかげで良い具合に駆逐されているようだし。800kとか死ねとしか言えない。
ともかく、ソフト屋は何も分かってない。ユーザーの事を置いていく体制。
ソフト屋と話す機会はあるのですが、それを会議で言うと「それは君の個人的意見だ。で、それで?」と言われるらしい。
なるほどもっともな意見ですね。クソ企業らしい模範回答。
「新しいUIについてこないユーザーは切る」それも当然の方針らしい。
でも私は、切るは切るでいいから、アップデートを強要するのはやめてほしい。
私は保守的な人間だ。変化を何よりも嫌う。
改良なら良いのだけどね。自分本位な改変は好きになれない。たとえそれが方針だとしても、だ。
私はある例でFFを出したけど、あれもそうだ。
システムが変わるのは、まあ長く続く以上仕方の無い事かもしれない。
でも世界観がまるきり違うのに、続編を名乗るのはどうか。
それはただ単にネームバリューにすがりたいだけなんじゃないかと。
どうして堂々と新作を出せないのかね。
同じようにWinVも、コアを変えたからそっぽを向かれた。
コア部分を変えてしまえば、それはもう続編でもなんでもない、ただの類似および近似品でしかない。

現に数多のフリーソフトは開発終了している。
たまに思い出したようにある問題に対応すべくアップデートする事はあるけども。
完成、と言える勇気のある企業は無いのだろうか。
いつまでもユーザーの望んでいない新商品を出し続ける事に何か意味があるのだろうか。私はそう思う。
ライセンスの更新だけではダメなのだろうか。
この疑問の前では金の臭いしか漂っていない。

私は近頃、完結した作品が素晴らしいと思う。
中には数多くの妥協が含まれていたり、諦めで完結したのかもしれない。熱意がなくなったのかもしれない。
でもそれはそれ。一つの完結の形だ。
ループ旋律は完結しない。だから未熟だ。
楽曲は、必ず終わりがある。だから語り継がれる。
私はライトノベルというジャンルで物を書いて、食っていこうとしているけど、このジャンルでは完結している作品は珍しい。
マイナーすぎたり巻数が少なすぎるのはそれはそれで完結しているけど、メジャーなタイトルの話だ。
シャナは完結すると思う。いぬかみは完結した。
こう書くといつ世代か分かってしまいますが。この頃はほとんど読んでいないしね。
ある一つのメジャータイトルの完結、それをもってして始めて、看板作家になれるんじゃないだろうかと私は思う。
私が見える範囲では、完結、あるいはそれに近い形の人がレーベルの看板を背負っていると感じる。
ライトノベルの古典と言っては変ですが「スレイヤーズ」「フォーチュンクエスト」「フルメタル・パニック」いやちょっと偏見が入っていますが。
フルメタは完結してないにせよ、連載は終了している(はず)。前2も本編は終了している。
そのちょっと後に出た「ブギーポップ」シリーズはもはや空気ですよね。言わずもがな、まだだらだら続いているから。
最初に着陸地点が決まっていたかどうかなんて私には分からないけれど、とりあえずシリーズ一作は完結させないと中堅すら名乗れないんじゃないか、とちょっと思う。
ものっそい偏見だけれども。
個人的に時雨沢の長編はあまり良作とは思わなかったけど、何本か完結を出している。キノも三巻ごとに纏まってる感があるしね。
なんにせよ、代表作が完結している事により「書き上げた」という信用が生まれる。
ものすごく個人的な意見ですけどね。
量産型の人は好きではないので置いといて、やはり代表作が完結している人はかっこいい。
あ、でも漫画界では冨樫とかいるわけだし、そうでもないのかもね。いやあれは引き伸ばしの刑に処せられてたから免除だ。
好きな物語の完結はものすごく寂しい事だけど、同時にかっこいいと思う。

統一の取れた文章が書けたかは分からないけど「完成」と言える勇気。それは大事だ。
最近それに気づいた。
その後の作家は聖剣LOMの強くてニューゲーム後「ノーフューチャー」モードで戦うようなものだと思うのですが、それはそれ。
作家が強くなれば読者もまた強くなる。そんなものです。
まとめが意味わからんくなってしまった。


とてもテーマ外の事を書くと自分で自分が悪いと理解していて相手に文句を言う人ほど手に負えないものは無い
特に八番と十番がアレだと思ったけど全部あんましかわらんかた。
普通の男は女と価値観が違うから。
質実剛健は当然、自分の考えに合ったものしか褒めんよ。これ流行ってるのとか何基準だよとね。
可愛い子はみんなパーカー着ればいい。その裾から少しだけはみでるスカートを穿くといい。
なんという手前勝手。男も女もみんな手前勝手な生き物なのです。男がとか女が、とかひとくくりにしようとするから変な軋轢が生まれるんだよね。
良い所は良いと言い、悪いところは悪いと言える関係。じゃないと結婚なんて無理さ。

また関係ないけど、はてな語は何を言っているかわからん。
物事を完結に説明できないのはクズだ。私が最たる例。
分かりやすい言葉で書こうと努力はしているのですがね。
短時間で良い成果を出すタイプがどうしてその形を作るのか教えてやろう。
考えるのが面倒なんだよ。だから変に媚びようとせずに思ったように「適当」にする。辞書的な意味の適当ね。
なんとなく形に見えるのは何度も何度も同じ事を繰り返してきて慣れたからさ。だんだんと省く事を覚えて「適当」な形になってく。
実際にそのタイプにならんとわからんよ。出席してない授業のレポートを前日に書いてAを取る私が言うのだから間違いない。
Sじゃないって所がポイントだよね。絶対にSは取れないんだよ。でも弾かれないぐらいには完成する。
それにしても元記事はわざわざ太字にしたり大文字にしたりと大忙しだけど、何が言いたいのかわからぬ。
というか三秒で読むのが嫌になる。こういう文章だけは書きたくないね。簡素な文を書きたい。
精進、精進。

ところでこの記事が今までで最長なんじゃないかと思ったらやっぱりそうでした。150文字ほど更新。
この文章いれずに。よく書くね、私も。
簡素が聞いてあきれるぜよ。

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