火に油をぶっかけたら鎮火したでござる

8月 25, 2009

創価も幸福もエホバも、声を出してそれを批判する人は気持ち悪い。

ぶん殴られても刺されても自業自得ですしね。
こういうカルトは、やってる人が幸せならそれでいいんですよ。
「それでも、その人が幸せになれれば──、つまり”自分が幸せだと思うことができれば”、恐らくそれでいいのさ」
とキノさんも言ってる事だし。
鼻で笑ってあげればいいんですよ。そうしたら相手も「ああ不幸な人だ」と思い、こちらも「ああ不幸な人だ」と思う。ほら一緒!
精神衛生上そちらのほうが気持ち良いわけです。基本的に個人攻撃してこないからそれでいいです。
誰かが輸血を拒否しようと、別にあなたには関係ないでしょう? 相手もそれで納得してるわけだし。
みんな、他人に興味を持ちすぎだよ。
人が嫌いだ、関わり合いになりたくないと言っている人にかぎって人付き合いで文句を言う。
テレビを見ていない人にかぎって、あの番組がつまらないだとか芸人が出張ってるだとか文句を言う。
本当に興味が無い私から見たら「興味あるじゃん」──と、ここらは「積極的な無関心ですよ」とか絶望先生で言ってそうだ。風刺の先人は格が違いますね。
似たようなところで「趣味がない」と言うのが趣味みたいになってる人もいますよね。 おお、この言い回しは本場っぽいぞ。置いといて。
政教分離が確立できてないのは大問題だし公明は駆逐すべきだけど、わざわざ創価にうんたんうんたん言うのは馬鹿らしいですよというお話。
「嫌いになれるというのは、好きにもなれること」と、誰かさんも言っていますしね。そういう人こそ、危ない。
珍しく話が纏まった。
ちなみに真光は可愛いです。無言でチラシ入れてくだけだし(共用ポストは封鎖。ウチは階段をあがらないと入れられない)、見えないものを見えると言い張ってる辺りが。
「光が出てるもん!」と頬を膨らませている幼女を想像すると良いです。
ちなみにユダヤはヤンデレ。関わると刺される。分かりやすいですね。

こう書くと「宗教好きじゃん!」と突っ込みを戴きそうだけど、私は好きですよ。
いかにも心の真理が隠されていそうな議題じゃないですか?
あるところでは幸運を運び、あるところでは不幸を運ぶ、面白いですよね。


夢。
寝る前に顧問の先生からメールが来たという分かりやすい原因があるけど、吹奏楽関連。
突然、先輩に吹奏楽コンクールに出てくれと頼まれる。時系列は今。当然困惑する。
何故か手当たりしだいに私が連絡をつけるはめに。
たいした意味もなくそこで終わりました。疲れた。

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