辞書のコラムの存在意義とその楽しさ

10月 27, 2009

正直、辞書なんてものは分厚すぎて、そして意味の無い言葉の羅列なので、読むものではないと私は思います。
しかし! その中に! コラムが存在する!
それは言葉についての豆知識だったり歴史だったりして、非常に面白いわけですよ。
でも前述の通り、辞書なんて隅々まで読むものではありません。話に聞いたことはあるけどそんな人と会ったことがない。
けどさ! コラムが面白いんだよ!
でもわざわざ探してまで読むものでもないわけです。辞書を引く=調べごとがある ですから。
調べている最中にコラムを見つけても、それはすなわち作業中なわけで、読まないんです。でも気になる事が書いてある。
後回しにして、いざ読もうと思ってもそれがどこにあったか思い出せないし、わざわざ(以下略)となります。
暇な時に読むから巻末にまとめといて欲しいナ。
そして読んだら読んだで「次に続く」で次がどこかわからない、そんな私です。前置きが長いですね。

ところで、たまによく思うという怪しげな言葉を使うのですが、ツェルニーは何なんですかね。
ものっそいステキな副旋律のある曲を書いたと思ったら、譜面に意味の無いクソみたいなゴミを書いてみたり。
情緒不安定を通り越して人格破綻者としか思えないブレっぷり。
いやまあ練習曲に何を求めているのかという問題になりかねないけど、弾くからには美しく楽しく弾きたいし。
バッハはああ見えて、とかこれ前にも書いたな……
旋律も無く長いだけの曲は破きたくなる。と、まったく違う意味でハノンを破壊した私が言う。昔はただキライなだけだったkedo。
ごしゅじんさま わたし こいつキライです。だいっキライ!
短ければまだ我慢できるんだけどナア。

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