バスカッシュ!

4月 18, 2009

三話みた!
緩急をつける感じでいくんでしょうかね。三話は急のほうでした。
言っちゃうと、子供の時に見てたらノリでバスケやっちゃうよーうなレベル。
しょーじき内容なんてスッカスカなんですよ。ストーリーの面で見たら低い、低すぎる。
今の所「最初に主人公が暴れまわって投獄されて、出てきて好敵手と幼馴染に再会した」だけだし。
あと変態がでてきた。
ただ、今のアニメに足りない物を持っていると思う。評判を見てるといかに飽食の時代になったかわかりますがね。
私は新作一話だけは余程興味が無い限り見るのですが、というか作り手目指す側が一度こういう批評を始めちゃうと自分が見る側に価値観を押し付けているような気がしてしまうので、気が引けるのですが。

本当に、本当に見る人の心を動かすアニメが減ったと思う。
今のアニメ見ても子供はアニメ作る人になりたい! って思えないもん。
原作ありきだったりさ、作画ありきだったりさ、勢いで押し付けるって事をしなくなりすぎている。
たまにはこれぐらい意味がなくて勢いだけに頼った作品も必要なんじゃないかなーと。
いや私はもう子供でないし、作り手の考えを学ぼうとしている最中なので本当の所は分かりませんが、これほどまでに製作者の意図を押し付ける──
いやもうそんなのはどうでもいいんだよ。
こまけぇ事はいいんだよ! 的な作品が少なすぎると思う! ゲームは逆だけど
小奇麗に纏めててさ。
たしかにいつもこんなんだとまた飽きてくるけどさ、たまには規格外のやつがあっていいんじゃないかと思う。
ゆるアニメがうけたからそればっかりじゃなくてね、何のために製作者がいっぱいいるんだよと。
売れるからって右向け右してちゃ突き抜けられない。左だとか後ろだとか、さらに言えば上だとか別次元を向くのも必要。
逆に言えばバスカッシュはその穴を狙い撃ちするって卑怯な戦法かもしれないけど。
バスカッシュが波紋を呼んだとして、他の監督はそれを真似するのはダメだと思う。
均一化された市場ほど停滞する物はないのさね。
ゲームしかり、アニメしかり。私の目指すラノベしかり。
黎明期のような混沌とした時代を産まないと真に『売れる』物は出ないと思う。
そりゃコンスタントに売れるものが分かってて、それを作れば安泰なのはわかるけどさ。
別に無茶苦茶な物を作ってほしいなんて思ってない。ただそれぞれ監督がいるんだからさ、個性を持ってるべきだと思うよ。
何も気にしないで見てる私が分かる程の個性なんて新房の作画しかないもん。
詳しい人に言わせたらあの監督はこーでとか語ると思うん。でも私は見ててもわからん。私は。これに尽きる。他人なんてどーだっていい。
どの市場でもそうだと思うけどさ、監督にしたって何度も売れないと自由に作品は作れないんだと思う。
これの監督は偉いらしいけどさ、そういう人じゃないと個性を出して作品を出せないんだと思うんだよね。
俗に言う「デビュー作は面白いけど、二作目はありきたり」状態。
いい加減そういう「組織」は死んでほしい。
漫画は読んだこと無いけどブラよろの人だって言ってるじゃない。編集死ねって。
デスノートが売れたから、ありえないバクマンを書ける。おかしい。二作目でいきなりバクマン書いたっていいじゃん。デビュー作でそれやるのはただの馬鹿だけど。

ギャグじゃないよと前置きして、今回の言いたいこと。
市場至上主義なんてやってたら、本当に業界が滅びるよ、ってね。
私はここであえて漫画家やラノベ作家を監督と呼ぼうと思う。
監督なら、舵を取れ! 偏屈なプロデューサー(編集)を言い包めろ! 作ってるのは誰だ!
たかが小売が利潤を得ているようじゃ、業界破綻は近い。
いつも言うけどデビューしてない人が言っても意味がないですよねー。
ブラよろの人は声高に叫んでたけど、あの人じゃ出版業界は変わらんさね。
えらくなってしまった人が言ってもどうしようもない。潰れそうな、新人と古参の中間辺りの苦しい作家が団結しないと変わらない。
ただそういう人たちは自分達が落ちぶれるのが怖くて行動に移せない。
本当に業界が腐っているのかは推測の域を出ない──残念。
ま、火のないところにナントカモクモクって言うし、実情なんでしょうね。
難しいわ、といつもの口癖になりつつあるこの〆の言葉を持って、私でした。

あいや、ナナドラもうまくやったと思いますよ。私は。クリアしたいけどやる時間がないん。

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ハリの老木

4月 8, 2009

みんなハリウッドの事をこう呼ぼうぜ!

さてハガレン。
原作と違う>< というだけなら誰でも言えます。そんな事は製作者が一番わかってるよん。
どうして人気作であえてオリジナルエピソードをやるか、それは漫画だと伝わるけどアニメーションだと伝わりにくいことがあるから。
20分という枠に縛られてしまうから、入れられないものも必ず出てくるわけ。
売り手が~とか監督のプライドが~とかそんな陳腐な理由でああなったんじゃないですよ。
二話からどうなるかで私のこの意見も変わってしまうかもしれないけどね。
私が言ってしまうととんでもない高慢ちきな発言になってしまうけど、作り手じゃないなら純粋に見てほしい。
意見とかいらないから。要望とか聞いてないから。
視聴者なら視聴者らしく見ろ、と言いたい。その作品のプロデューサーじゃないんだからさ。なんで視聴者が偉そうなんだよ……と思ってしまう。
そりゃ見る側が何を考えるのかは大事だけどさ、面白いと感じるか面白くないと感じるかが重要なのであって、視聴者の主観はどうだっていいと思うのよ。
上手く言えないね。
とにかく、感想を言うのと重箱のスミを突くのは違うと言うこと。
前はどうのとか原作はどうのとか言われるのはあまりに筋違いだなーと思いましたよ。それこそ高慢だし。
私が作り手なら、アニメを一つの独立した作品としてみてもらいたい。原作があるにせよ無いにせよ。沿ってるにせよオリジナルでも。
そういう見方しか出来ない人がかわいそうだとも思う。
アニメの監督とかプロデューサー目指してるわけじゃないから私には関係が無いんですがね。

私は監督とか、作画監督とか、脚本家とか、制作会社とか、そういうのに釣られてみてる人を蔑んでいます。
何故ならアニメは一人で作れる物ではないから。
完全に一人で作っているものでさえ一個一個賛否両論があるのだから、数人が関わってくる商業漫画や小説をはじめとして、本当に多くの人が関わる事になる映像作品だと、もっと変わってくる。
そんな中の一つの要素だけ見て期待をするのはあまりに愚かだと思えませんか?
確かにそれぞれの要素は重要だとは思うんですよ。でもそれだけ見て過度の期待を抱くのは早計すぎると言いたい。
映像作品は色んな要素が絡み合うからこそ、見ないと分からない。
私はそれが魅力の一つだと思いますよ。漫画や小説以上に大化けする可能性のある媒体なんだもの。
だから、できればそういう色眼鏡は捨てて見てもらいたい。そういうのは二の次。
と言っても無駄なのでしょうね。私には、個人作品ではないのだから作り手を意識しているのが滑稽に見えます。

結局は言いたい事が定まらない私なのでした。
長くて感情任せな駄文を纏めると、「アニメ作品で中の人の事を考えても意味が無いから、新しい物を見る気持ちで見ようよ」ですね。
昔から比べると、私も少しぐらいはそういう要素を見てしまうけど、それは視聴し終わった後だしね。
あ、でも声優の演技力は他国に誇れる物があると思いますよ。アニメ化のメリットは主にソコだと私は言いたい。
ドラマとか邦画でへなちょこな発声法の俳優見てるとちぐはぐな印象を受けますもん。
多分それは外国人も自国の演技を見てそう思ってると思う。
後に声を取った作品って無いんでしょうかね?
んじゃドラマCDでいいじゃんと言われそうですが、それは買った人が聴くものであって、テレビとは違いますからね。規模が違う。
なんかここら辺は難しい問題ですね。専門外が口を出すような事柄じゃないなあとつくづく思いますよ……。
自分で書いてて、どうも高慢な印象を受けるんですよね、自分に。評価を下してるという点で同じだし。
やっぱり桶は桶屋。実力のあるプロデューサーか監督が語るのを待つしかありませんね。
何か釈然としない物を胸に溜めつつ、私でした。こういう時、論理的展開が下手だと痛感します。

それが言いたかっただけと違うのかと突っ込まれそうですが──
ハリ糞ローカライズを見てると、まったく原作ファンを無視するのもいかがなものかと。
……、真面目にそれを言いたかっただけかもしれない……
ワンダと巨像、ラノベの大作フルメタル・パニックに追悼の意を表します。アア……

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円環的ぬかるみ

3月 8, 2009

最近、自分が何なのか分からない。
欲望の大部分が知識を得るという行動に侵食されている。
とにかく、いろんな色の知識を食べたい。
太古の歴史から、ネットの掃き溜めまで、どんなものでもすんなり頭に入ってくる。
でも、知識を得るのにも、それを利用して何かを表現するにも、あまりにも人生というノートの余白は少ない。
もしも私が働くんだとしたら、それは何かとても重要な物を捨ててるんだと思う。
お金なんていらない。でも時間はほしい。
お金なんていらない。本当にいらない。知識を食べられればそれでいい。
親に言ったら泣かれるかな、泣かれるだろうな。
いろんな体験も食べたい。
一歩外に出ると、そこでは新しい日付の世界を食べられる。だからこの頃、外に出るのがとても好き。
倫理的にはダメな考えなんだろうけど、どうでもいいような仕事をしている人がかわいそうに思える。
ただ働いて、お金を稼いで、老後に備えるのが楽しいのかな。楽しくないんだろうな。それを無駄と思うのは勝手だよね。
無駄な事をして、時間を捨てるのなら、私は今すぐに死んでも同じだと思う。
だってそれは知識を食べられないから、死ぬのと全く何も違わない。
というより、食べられないから死んじゃう。
書く時間も惜しいぐらい。
もしも人生に二度目があるのなら、ゆっくり休んで、絵を描きたい。

神様は七日で世界を作ったというけど、私は何年経っても世界が完成しない。
どれだけ書いたら世界は完成するのかな。
やっぱり神様ってすごいね。

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パラドクスとは、誤読を狙った文章だ

3月 1, 2009

1から丁寧に読めばなんて事は無いのですよね。読めない人が多いだけで。なんという出落ち。
キンコン西理さんが「TAKESHI’S」批判(笑)してたからじゃないよ!
ついでに前に見た時に書けなかった私の感想を書こう。
北野武は昔から相手に分からせるように作品を作っていない、というより、難解そうな作品を作って評論家気取りを弄んでいるだけだと思うんですよね。
もしかしなくても、私のこの感想も見抜いているはず。絶望先生風に言えば心の予防線。言う必要がないですね。
たまに真面目な作品を織り交ぜる事によって実は何かあるんじゃないかと思わせる。
それとも、まったく考えの及ばない境地にいるのでしょうかね。
何にせよ他人の考えなんて口から聞いてすら本当かどうかなんて分からないので別にそこは良いでしょう。
見たのがかなり昔なので覚えている範囲ですが、あれは二つの単調な話を場面ごとに分割して繋げただけなんじゃないですかね。
それに意味のない場面を加えて難解だと見せかけている。
きっと監督本人も面白いなんて思ってないんじゃないかなあ。
世論の様子を見て北野武が楽しむ、むしろそれが彼にとっての作品なんじゃないでしょうか。
とかもっともらしい事を書いてお茶を濁そう。私にはそれぐらいしか推測できないのう。


さて、アキレスと亀のパラドクスのお話。
パラドクスとは訳せば”逆説”の意味ですが、どちらかと言わずとも日本では”矛盾”の意味に使われていますよね。
変に英語表記をするからこそ分からなくなる。それこそが真の矛盾なんじゃないでしょうか。
アキレスと亀の矛盾、こう書けば分かりやすいです。
アキレスも外国の人なので、ここは日本人らしく韋駄天としましょう。
以下wikiさん改稿。

あるところに韋駄天と亀がいて、二人は徒競走をすることとなった。特に競争する意味は無いけれど。
しかし韋駄天の方が足が速いのは明らか(韋駄天は一日に200km走る)なので亀がハンデをもらって、いくらか進んだ地点(地点A とする)からスタートすることとなった。

韋────A────

スタート後、韋駄天が地点 A に達した時には、亀は韋駄天がそこに達するまでの時間分先に進んでいる(地点B)。
─A・韋───B───

韋駄天が今度は地点 B に達したときには亀はまたその時間分先へ進む(地点 C)。同様に韋駄天が地点 C の時には亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたっても韋駄天は亀に追いつけないことになる。

結論、追いつけます。何故ならその考えは文章を一方向からしか読ませないように誘導しているから。
たぶんSVOという欠陥語順だとそうとしか読めないのでしょうね。真実の文章は以下。

韋駄天が地点Bについたとき、亀はまたその時間分進む(地点C)。
が、ここで亀の速度が記されていない事に気付いている人はどれだけいるのか?
韋駄天と亀の速度は等速ではない。つまり最初から図で時系列を示すと(Cの次の地点をDとする)、


1 韋 ─────B───────
2 ───────韋C──────
3 ──────────D────韋

こうなるというワケ。説明するのも馬鹿らしいですね。その一瞬〱を繰り返すなんて言語道断、無意味です。
というかね、なんで最初に速度を定義していないのか分からない。だからややこしくなるんだよ。
古代人は頭まで化石化してるんじゃないんですかね? ええ?
欠陥語順の主語動詞目的語なんてのはやめて早く主述式にしたらどうなんでしょうね。いやあんまり関係無いとは思うんですが。
数学の問題を文学問題として片付けようとするから矛盾が起きるのです。
小学校で習わなかったんですか? 時間・距離・速度の問題は不明なものはちゃんと定義しろって。
ピュタゴラスの時代にはないですよねー。ごめんね。
しかし、それをいつまでも引きずっているというのは愚の骨頂です。私の完璧なる解を見てひれ伏しとけ!
ようはこれに尽きますよね。桶は桶屋。
PCでも.txtをPhotoshopで処理しても無駄なように、数学問題を文学問題にしてはいかんのです。
哲学と文学は違うって? 柔軟に考えない奴に哲学を語る資格はないですよ。
じゃあ馬鹿にしたついでにもう一つ、wikiさんのアキ亀の下にあった馬鹿らしい話を。

これは物体の運動に関するものである。矢が飛んでいる様子を考えよう。ある瞬間には、矢はある場所に位置している。僅かな時間だけに区切って見れば、矢はやはり少ししか移動しない。この時間をどんどん短くすれば、矢は動くだけの時間がないから、その瞬間だけは同じ場所に留まっているであろう。次の瞬間にも、同じ理由でやはりまた同じ場所に留まっているはずである。こうして矢は、どの瞬間にも同じ場所から動くことはできず、ずっと同じ場所に留まらなくてはならない。従って、飛んでいる矢は止まっている 。

これは先程と同じように、矢の速度をまったく無視しているから起こる矛盾ですね。
この時代の人からしたら今の人達は中学生でも神に見えることでしょう。
まず、矢には速度がある。だからどんなに短い瞬間を切り取ったとしても、必ず少し動いている。もしも止まっているのならそれは静止画。
留まらなくてはいけないっていうのが間違っているんですよね。矢のどこにそんな義理があるんだって。
今いいこと言いましたよ私!
決め付けは良くないよゼノン君。これ以上書く事があろうか、いや、ない。以上Q.E.DDDDDDDDDDDDDDD!

くっだらな。
哲学を数学や文学の型に当てはめるのはナンセンスだと、哲学の神様が言っているようです。
どれもこれもヒルベルト・プログラムが悪いんだ……。,-,_

ここで一つ思いついた言葉を。
数式は世界で最も美しい文学の一つだ
なかなか良いと思う。

……、こんな当たり前の事をさも堂々と書いていたら頭が悪くなりそうだから気をつけよう。

22時、間違っていた図を訂正。はずかしー。

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国を愛して何が悪い

2月 26, 2009

少し早く目が覚めた私です。
雲を掴むような乱文になると思いますので、先に注意を。

パチンコ換金完全違法化国会請願から西村眞悟議員を知りました。
どんな人なのかと調べる内、氏を軸とした塾のHPの最初のエントリにて、神風特攻隊の映像を見ました。
タグ埋め込みが出来ないのが残念ですが、一手間かけてでも是非、ご覧ください。
彼らを見た時、私は涙が溢れて止まりませんでした。
所詮は市立校で教えられた事とは言え、恐怖に歪んだ顔で、と聞かされていたので、余計に驚きました。
本当に国を愛していたのですね。
今の世で、誰があのような表情ができましょうか。
生気の無い人間、物事の上辺しか捉えない人間、拝金主義の人間。
盃を受け取る、敬礼をする彼ら、見事に命中し、一矢報いる。
その中に誰一人として涙を見せるものはいない。
彼らは日本を守りたかったんだ。決して脅されていたわけじゃない。
知識の無い私には上手く言い表せないけれど、絶対に彼らを悪く言うのは許さない。
自分の感情、思想すら上手く書けないようでは、物書きとして失格です。

彼らが命を賭して守りたかったのは、こんな日本じゃないはずだ。
互いに罵りあい、責任を押し付け合い、仕舞いには国を売ろうとする。
国を変えよう、自分が変えようとしたと思われる人々は、怪死を遂げている。
もしかすると、この西村議員を始め、完全とは言えないものの地方から立て直そうと戦う橋下さん、公務員の意識を根底から変えようと給料を公表した鹿児島県阿久根市の竹原市長。それから、先日言及した平沼議員。
アプローチの仕方はそれぞれで、足並みは揃っていないかもしれない。
けれど、彼らは平成の神風を起こそうとしていると言っても良いのではないでしょうか。
麻生首相も、持論を読む限り決して日本を悪くしようなんて思っていない(発見したのはたまたまですが
リンク先の、嘉麻の里から気になったところ、それから靖国に弥栄あれを読んでみてください。
これらを読む限り、日本のトップがこの考えを持っているというのは、今の日本にあって奇跡に近いのではないでしょうか。
今なら、麻生首相は必ず任期を満了すると確信できます。顔は悪代官ですが。

夢物語に聞こえるかもしれないけれど、絶望するのはまだ早いです。
まず自分達に何ができるか、それを考えましょう。
とりあえず私にできること、それは署名を送る事と、古い年賀はがきをカンパすることだ……!

数年前に私は非投票を貫くと書きましたが、ここでそれを撤回させていただきます。
これから参議院選挙の時、比例区には氏の所属する、改革クラブに投票します。
お恥ずかしいことに試される大地には所属議員がいないので……。
衆議院では、相変わらず無投票に徹しますよ。
憲法の義務は、日本国民の義務じゃない。

あえて盾を装備するようで嫌なのですが、麻生首相はこう言っています。
つまり、労働の義務を全うしていないニートを、全否定してはいない。
もちろん働かないのは悪い事です。日々罪悪感に囚われて精神効率も悪いですしね。
ただ「自己実現」を追及したい、できる人は可能な限り力を尽くせと言っている。
確かに麻生首相は金持ちの生まれで世間の事は分からないかもしれない。
けれど、弱者が何を考えて生きているのかを必死に考えている
ゆっくりとでも、確実に道を歩めるのなら、私は逃げたと言われようがそちらを選びたい。
いつか必ず小説を出せるように、努力する。
何故できるか、それはこの一年で、確実に成功できると掴んだからに他なりません。
自分で努力しているなんて言うのはこれきりです。アピールするだけなら誰でも出来ますからね。
私は必ず結果を出して見せます。
だから政治家の皆さんも、結果を出してほしい。力を貸せる場所は絶対に貸すから。


国土愛に始まり、自己実現に終わるという妙な流れになってしまいましたが、今日も読んでいただきありがとうございました。
なんだか、初めて書きたい事が書けた気がします。

こんな話の後に書き出すと精神を疑われそうですが、むしろ否定されそうですが、私らしいといえば私らしいので書いてしまいます。
きゅうりは燃えませんでした。唐突過ぎる。あまりにも唐突過ぎる。
牛乳よりも水分量の多いきゅうりは固体として如何なものか。牛乳もだよまったく!
それを言ってしまえば、ガラスのほうが液体としてどうなのかと思ってしまいますが、関係無いですね。
何を恐ろしいことを、といわれそうですが、人間だって燃えるわけじゃないんですよね。70%ぐらいが水で。
だったら96%近くが水のきゅうりも燃えるはずないですよねーというお話のようです。
ちなみに白い人からのタレこみでした。DPZ読者として負けた気分であります。
そもそも議題に上げておいて自分で調べないとは何様という殿様営業が浮き彫りになった春陽屋でした。

なんだか良い〆が出来た気がするので、今日はこの辺で。

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小比類巻も一発変換できないような最新辞書じゃ

2月 25, 2009

読んで楽しい、食べて美味しい、飲んで落ち着く春陽屋さんを目指しているのですが、昨日はのっけからアレな話題でしたね。
私は最近、自分はいつまで子供でいられるのか気になります。
子供の意見は、一方では真理、一方では禁忌の場合が多い。
こうすれば皆が幸せになれるとわかっていても、一部の人間の利益がなくなるからと発言を封じられる。それが大人の世界。
あえて私が態度を決めかねる問題で示すと、それは先天的な知的障害者の問題。
生命倫理には絶対的な答えが無いからこそ難しい。
外で出会う他人は除外して、私は二人の知的障害者と接したことがあります。

一度は、小学校に入学してすぐ。
同じクラスに乱暴な女子がいました。力は無いけど、とにかく暴れる。
皆から嫌われ、事実私も嫌っていて、先生も正論を言う子供にフォローはできない。
何故なら、完全に迷惑になっているから。
危害を加える者は、人間ではないと思う。理性で動いていない。獣と同じだ。
だから私は言葉が通じない動物を人間とは呼ばない。呼べない。

二度目は同じく小学校。こちらは何の縁か、意外と付き合いが長かった。
その小学校からは転校したのですが、その先で進級した時に、彼とは出会った。
知的障害を持っている人って、顔でわかるんですよね。
私的な意見だと、たぶんこの人達は一定の方向にしか感情が動かないんだと思う。
だから同じ表情しかしなくて、使わない筋肉が退化してしまう。
彼はけして暴力は振るわない。いつも笑っていた。
日本語も通じるし、何より優しかった。
その所為か、たまに困るようなことがあっても、皆でフォローしていた。
じゃないと中学校を赤点無しで卒業はできないと思う。
私は私立に進んだので、出席の関係無い中学三年の後半はあまり出ていなかったのですが、風の噂では彼は高校にも行ったとか。
そりゃ普通の人とは違ったけど、私は彼に悪い気持ちは持っていない。

二人と接したからこそ、私はこの事に極論を言う事ができない。
確かに、人間社会で生きる事のできない獣は、生まれた時に殺してしまうのが筋だと思う。仕方がない。
でも、もしも二人目の彼のように、生きられる人間だったら、生きていける力があったらどうなんだろう。
どうにもできない。

社会に出れば、知的障害に限らず、必ず二極の人間を見ると思う。
そういった物を沢山見て、人は大人に近づく。
そして判断がつかなくて自分の意見が言えなくなった時、日本人は大人になる。
私は金持ちの立場には立つつもりは無い。
だから一方的な利益のために生きる人間を許さない。
だけど、もしその金持ちが自分だったら?

私は犯罪者以外、万人の人間が幸せになってほしいと思う。
だけれど、犯罪という事自体、誰が植えた倫理なのだろうか。
それを考えると、大人にならざるを得なくなり、悲しくなる。
物を考えるのをやめた大人にはなりたくない。

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日本の誇り

2月 25, 2009

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090224/plc0902241905012-n1.htm
もう次期選挙は勝てないと踏んで、本当に日本を変えたい人が揃って無敵の人になりつつありますね。
自分はこう考えているから、有事の際には自分の下に集えと言っているよう。
平沼さんの場合、たぶん腐った二院制を捨てようと言っているのでしょう。
たしかに何も通らない今の二院制は捨てるべき。というか最低限のことですよね。
でも私は危険思想と取られようが、今こそ天皇集権にするべきなんじゃないかと思います。
アメリカに奪われた誇りを取り戻す唯一の手段であり、何より天皇陛下は日本の事を考え、憂いていている。
国の衰退を憂う事ができる人にこそ、政治を任せるべきです。
ただ徳仁殿下はまだ危ういところがあるので、なるべくなら明仁陛下に……。
よく、独裁=悪といわれますが、私は必ずしもそうではないと言いたい。
頭が暴走する事が悪なのであり、独裁自体はとても素晴らしい事です。
絶対的な王がいて、柔軟で完全な法があり、国民がそれに従う。そして王が絶対的で、国の事を思う人物であればあるほど、法で縛れば縛るほど国家はより良くなるのだと思う。
何故なら、絶対的な法律の下に賄賂等の癒着は存在しえなくなるからです。
王が絶対的で、側近が無駄な力を持たない時、王に金は必要が無いから。
国を動かし、国利を追求する、そんな王なら、絶対に腐りはしない。
素晴らしい国に育てれば、国民は意欲を取り戻し、国土愛を持ち、また国利を生む。

まるで、今の日本は国利を生むことは悪だと言っているようなものですよね。
天皇制を教育で否定し、アメリカの利益になる事を教え込まれ、押し込まれる。
それだけならまだ良いけれど、必要以上に罪を犯した事を教育で押し付ける。
たしかに日本は過ちを犯したかもしれない。けれど、昔の戦争は昔の人の仕事なんです。今の私達が背負う必要は無い。
原爆は正しかった……、と美化するのは勝手です。けれど、死んだ人の思いはどうか。
軍施設とは関係のない広島、長崎の街中。つまりは非戦闘員しかいない場所に落とす悪意。
その力を日本には持つなと言い、各国はその力で牽制しあう。
それのどこが平和か。
私は死ぬまでに平和な日本が見たい。日本が見たい。
私の陳腐な脳ではその術は見つからないけれど、もしも自分が力になれる事があれば尽力したい。
日本人にはもう、誇りは残されていないんでしょうか。
民族の誇りはもう、本や映画でしか見られない絵空事なのでしょうか。
そうなるようにマッカーサーが仕向けた事に気付ける人はいないのか。

一つだけ手があるとすれば、ジョークを布教すること。
その前から私は教科書通りに本は読まないように心掛けていたのですが、これに尽きます。
ジョークを学べば世界は変わる
絶対に。
どうか各国の故人達が残した社会風刺ジョークを、自国に当てはめてもらいたい。
そうすれば、すぐに答えが見えてくるはず。政治家はジョークの一言でも言うべき。
「私の辞書は不良品でね、戦後って言葉が抜け落ちてるんだ」

もしももう少しマッカーサーの態度が大きかったら、日本は変わっていたかもしれない。
そうなら、全国総自害が行われたと、私は思う。

諸悪の根源が摂関政治にある、とはちょっと遡りすぎなのでアレですが、国を動かせなくなった今こそ、二度目の大政奉還の時なのではと、私は考えます。
逆に言えばそれ以外の道は滅びの道だとしか思えません。
どの国にもゆすられ続け、自分達は弱いと思い続ける日本なぞ、日本国ではない。
いい加減に卑屈な考え、やめましょうよ。

マッカーサーに紳士と言わせた昭和天皇の考えを唯一知っている可能性のある明仁陛下にこそ、日本を統べてほしい。

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