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そして続く道 - ふたり

 野宿をしている夢を見ていて、寝袋の中で手足を縮めようとして果たせず、そうして目が覚めた。
 あれは一体どこだったのか、眠っていたのに辺りの風景を鮮やかに憶えていて、夢の中特有の生々しさは、けれど今までいたことのあるあちこちの野営場の記憶の繋ぎ合せなのだと、薄闇の中でぼんやりと考えていた。
 裸の肩が毛布から剥き出しになっていて、夢の中で寒かったのは、現実にも寒かったからだと気づいて、キリコは毛布を首元まで引き上げる。
 体が冷えるような覚えはないのだけれど、風邪とも思えない寒気はこれ以上どうしようもなく、キリコはふと、目の前にあるシャッコの大きな背中に目を止めて、今寒いのは、自分のベッドで、ひとりきりで寝ているからだと気づいた。
 なんだ、そうか。
 あまりにも簡単に腑に落ちて、それをあっさりと受け入れてしまったことに、実は内心もっと驚いて、ひとりで眠るのも、ふたりで一緒に眠るのも、どちらも同じ程度にどうでもいいと思いながら、現実に体はひとりが寒いと訴えている。
 面倒だと思ったのが、ふたりであることが当たり前になりつつあることなのか、こんなことを夜中に目覚めてうろうろ考えていることなのか、あるいは、まれにこうして気づいてしまう、自分の内側の変化への戸惑いのことなのか、恐らく何もかも全部混ざり合い、各々の見極めがつかないこと──自分自身のことだと言うのに──が、いちばん心に引っ掛かるのだろうとキリコは思った。
 どうでもいい。放っておけばいつまでも考え続けてしまいそうだったから、キリコは自分の胸にそう短く言い捨てて、もう一度毛布の中で体を丸めて、目を閉じようとした。
 やけにさっぱりと目が覚めてしまったのか、眠りは再び訪れてはくれず、おまけに寒さは変わらず、キリコはついに根を上げ、毛布を跳ね上げるとベッドを出た。
 似合わない気を使った仕草で、そっとシャッコのベッドへ行き、端から垂れている毛布の裾を持ち上げ、そこへ膝の先を滑り込ませる。眠っているシャッコを起こさないように、気をつけながら、息を詰めてそこへ体を横たえた。
 毛布の中がすでにあたたかい。発する体熱は単純に体の大きさに比例するけれど、それにしても自分ひとりではこんなに寒いのはどういうわけだと、キリコは八つ当たりのように考えた。
 シャッコが身じろぎしないのを確かめてから、もう少し体を寄せる。
 まだ腕の中に抱え込める大きさのユーシャラでさえ、今のキリコよりあたたかいはずだ。本気で風邪でも引いたかと、少しの間考え込んだ。
 突然シャッコが寝返りを打つ。こちらに向くと目は開いていて、キリコが持ち込んだ冷たい空気で目を覚ましたのか、シャッコは頭の下の枕を、キリコの方へ寄せながら、体も一緒に近づけて来る。
 どうした、と目の動きだけで訊く。
 「寒くて目が覚めた。」
 素直にキリコがそう答えると、シャッコは毛布の下で腕を伸ばし、キリコの脚を自分の方へ引き寄せた。
 「冷たいな。」
 足を絡ませて、特にキリコの爪先が、きちんと自分の足の間に挟まるようにしながら、シャッコがはっきりとそうとわかる仕草で肩を縮める。
 「だったら触るな。」
 それでも、皮膚から染み透って来るあたたかさには勝てず、憮然と唇を尖らせても、キリコは爪先を引こうとはしない。
 上向くと、額がシャッコのあごをかすった。
 「風邪かもしれない。そうならおまえにもうつるぞ。」
 さっき思ったことを口にして、ところがそう言った途端にシャッコの長い腕が伸びて来て、背中を横切ってキリコをもっと近く抱き寄せる。
 胸と胸がほとんど重なると、視界を塞がれた息苦しさに、キリコは思わず喉を伸ばして喘いだ。
 「ユーシャラにうつらなければいい。」
 そうして抱き寄せられて、絡め取られた足のせいで逃げることもできない。上になった腕のやり場に困ってから、キリコはその腕をシャッコの腰に乗せた。
 抱き合った後で、その続きのように、寄り添ったまま眠ることはある。けれど今こうしているように、ただ寄り添いたいだけで、わざわざベッドを移動して来たらしいキリコに、シャッコは少し驚いている。
 寒いと言うのが口実かどうかはともかく、現実にキリコの体はなぜか冷え切っていたし、これで心安く眠れるなら、自分の体温程度、安いものだと思う。
 火を起こせない状況で、誰かの冷えた体に寄り添うくらいのことは、今までもないではなかった。
 我慢強いと言うのか、やせ我慢と言うのか、主には借りを作りたくないという性格で、キリコは滅多と弱音を吐かないし、他人に甘える素振りを見せることもない。少なくとも、シャッコ以外には。
 なぜ自分なのかと、いまだたまに心に浮かぶ疑問が、また湧いて来た。
 キリコの良き盾になれと、誰に言われたこともない。それでも、ごく最初から、それがどうやら自分の役目らしいと自覚して、キリコにとっては、シャッコがクエント人であることは意外と深い意味を持つのだと気づいてからは、恐らくこれは何か、自分たちの知らないところですでに定められていたことなのだろうと、そう思うようになった。
 理屈も理由もない。惹かれたとかそんな大仰なものもなく、ただ互いが気に入った、それだけだった。
 あらゆることに淡泊な、場合によっては冷淡とも取れる態度のクエント人が、なぜかこの男にだけは反応する。火と油のように、キリコに近づかずにはいられず、近づいて、反応を見ずにはいられない。
 なぜこうなったと、考えても答えはない。あの時静か過ぎたからだとか、谷底の夜が暗過ぎたからだとか、答えにもならない答えしか浮かんで来ない。
 強いて言えば、こうすることが、地獄の闇のように昏(くら)くて深いキリコの孤独を、いちばん手っ取り早く癒せるような気がした、それだけだった。キリコの孤独の深さを知って、それを埋めたいと思ったのが、つまりは自分の孤独をも知ることだったと、いまだシャッコ自身は気づいていない。
 争いを避けるために、他人と──他のクエント人も含めて──深く関わることを良しとはしないクエント人のシャッコは、それはそういうことだと受け入れながら、たとえ銀河すべてを巻き込む大戦争を起こす羽目になろうと、遮二無二フィアナを求めていたキリコを目の前に見て、初めて、人とはこんな風に、孤独であることに抗えるのだと、目を洗われたような気がした。
 キリコの孤独ほどではなくても、自分も孤独だったのだと、その時初めて気づいた。
 孤独ゆえにキリコはフィアナを求めていたし、シャッコはキリコを求めた。フィアナが逝き去った後で、振り返ったそこに、シャッコがいたと言うタイミングだったのかどうか、あるいは、最初からこうなることに定められていたふたりが、あらゆる道を通り過ぎた後で、ようやく交差した道の上で、また出逢い直したと言うことなのか。
 躯を繋げることが目的なのではなく、こうやって寄り添うことが、本来の目的のように、次第にあたたまって来るキリコの体をまだ離さず、シャッコはキリコの額に頬をすりつけた。
 「もういい。」
 キリコがそう言って、すっかりあたたまった爪先を引く。シャッコは脚の力を抜いて、キリコの足を離した。
 ついでに、回していた腕の力を抜いて、
 「あっちに戻るか。」
 邪魔だと言うわけではなく、単に尋ねているだけだと、シャッコが訊く。
 目の前の、シャッコの鎖骨の辺りを凝視して、キリコはシャッコに巻いた腕を外さない。
 「いや、いい。」
 どこか曖昧な口調でそう返し、キリコはシャッコの長い腕の中で、ゆっくりと寝返りを打った。
 シャッコが分け与えた枕の、自分の領域に頭を乗せ直し、キリコはシャッコの胸にぴたりと自分の背中を合わせて、それから、シャッコの空いた方の腕を、自分の腰回りに引き寄せた。
 「夜は、まだ冷える。」
 シャッコの掌へ自分の手を重ね、長い指の間に自分の指を滑り込ませる。そうして、まるで与えられたぬくもりへの感謝のように、そのままシャッコの手を強く握り込んだ。
 まだ、と言うのが、恐らく明日の夜も、こうしてふたりで寝るのだと言う宣言にも思えて、シャッコは、キリコのうなじへ向かって薄く微笑む。
 ここは、雨を避けて入り込んだ洞窟でもなければ、戦場の端で、ひと時仮眠を貪る寝袋の中でもない。清潔な毛布とシーツの掛かった、ごく普通のベッドだった。
 胸と背中を重ねて、そして手を重ねて眠る。やがて訪れた眠りにまた落ちながら、寝息のリズムも重なる。
 シャッコの腕を取ったまま、キリコは朝方に夢を見た。あたたかな陽にぬくまったどこかの海に、手足を広げて穏やかに浮かぶ、そんな夢だった。

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