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灰とダイヤモンド

 アンジェイ・ワイダ作品はいくつか日本語のソフトが出ているものの、残念ながらというかもちろんというか、レンタル屋には置いていない。しかしさすが名作と呼ばれるだけあって、図書館には何本かの所蔵があった。感謝感謝。というわけで、今回は「灰とダイヤモンド」を借りてきた。
 描かれるのは1945年5月、ドイツ降伏直後のある一日だ。視察に訪れたポーランド労働者党幹部の命を狙うゲリラの青年は、ほんのつかの間の恋に浮き立ち、自身の生き方に悩み、傷つきながらも任務を遂行する。しかし翌朝、青年もまた射殺され、ごみ捨て場の中で苦しみながら息絶える。
 映画で描かれているのはこうした一夜の出来事のみだが、原作はもう少し周囲の事情がこみいっているらしい。その名残りか、主人公に直接関わる人物以外にもいわくありげな人間が登場する。パーティに集まってきた人々、組織の少佐など、かれらは各々が抱える事情をそれとはなしに語っており、またその根が共通していることからこの映画は群像劇的と言えるだろう。
 ために、状況としては占領が終わったところだというのに、漂う雰囲気は開放的なものとはいえず、全編フィルムの光と影によって美しく彩られた陰鬱さで満たされている。特にラストシーンのなんともいえない悲痛さが印象的だった。

まいご3兄弟

 見たよ。とりあえずひとこと感想を書くと「どこの少女漫画かと思った」である。

 拍手をいただきました。ありがとうございますです。

ETV特集 アンジェイ・ワイダ

 感想を書こう書こうと思っているあいだに放映から一ヶ月が経過し、BSで二度も再放送された。しかもBSでは地上波よりも時間が長かったらしい。横暴だ。<もう加入したらどうか
 アンジェイ・ワイダとはポーランドの映画監督である。世事に疎い私でさえ「灰とダイヤモンド」というタイトルくらいは聞き覚えがある巨匠だ。沢田研二と混同している可能性もあるが。
 82歳のワイダが撮った(おそらく最後の)新作「KATYN」と、そこにいたるまでの代表作を取りあげつつ、映画、そしてポーランドに対するかれの思いをたどっていく。番組がおもしろかったので、「アンジェイ・ワイダ自作を語る」(平凡社)という本を借りてきてしまった。番組だけでは分からなかった知識が補強できたけれども、訳文が「?」状態。やたら読みづらく、読了するのに時間がかかった。ポランスキーとの対談の中で「ポランスキーはいまシュピルマンの回想記を映画にしている」との記述が登場し、にやりとさせられた。もちろんその映画とは言わずと知れた「戦場のピアニスト」である。
 番組内で紹介された5作品は、いずれも戦中・戦後にかけてポーランド現代史の中でも暗く重たい部分を扱っている。ために、冷戦中はきびしい検閲をいかに突破するかがワイダをはじめ数々の表現者にとって大きな障害となった。「KATYN」など、まさしくソ連が崩壊してはじめて作ることが可能になった映画だ。「この映画は父と母の物語だ」と語るワイダにとって、00年代まで永らえたのはなによりの幸いだったろう。
 しかしそんなことよりも、表現することとはなにか、という点について私は改めて考えさせられた。ワイダの立場では、本当に表現したいこと、観客に伝えたいこととは、ともすれば削除を求められるものだった。だからこそワイダはシナリオや台詞によらず、画面に映し出されるものにこそかれの意思をこめたのだ。
 そうした「書かずに描く」という表現方法、また「なぜ、わたしは、それを表現せねばならないのか」という動機について思いを馳せてしまう番組だった。

来週ちりとて番外編

 この暑さに耐えかねて、とうとう冷房をつけてしまった。さながら脳みそをとろ火で煮とかされるような状態が続くとさすがにつらい。冷房病もお断りだが、だからといって熱中症になっては元も子もない。それにしても、冷房をつけて頭痛が治まったのはいいがお腹が壊れたのはどういうことだ。
 そうそう、ちりとてちん番外編のCMを見た。「迷子になった兄弟子たちが扇子職人の家でご厄介になる」というあらすじで、いったい話をどない動かすねんと思っていたけど、なるほどそう来たか…。確かに、本編中で草々と小草若を描ききっているし、プッシュするとしたら順当なところだろう。
 そして制作発表時には関西だけの放映とされていたのが、BSで放映となり、ついにはめでたく地上波での全国放送となっている。よかったよかった。

 拍手をいただきました。ありがとうございます。以下はいただいたコメントへのレスです。


マッハ!!!!!!!!

 これ見たかったんだよー。ありがとう木曜洋画劇場。
 「ノー・スタント、ノー・ワイヤー、ノー・CG」を売りにしたアクション映画。盗まれた仏像を取り戻すため、古式ムエタイの修行を積んだ主人公が都会へ出かけてエンヤコラ。邦画にはもうない泥臭さ、汗臭さがいい感じでごわす。あと、単純にハッピーハッピーな終わり方でないのもいい。
 マトリックスや少林サッカーのような、CGやワイヤーをフルに活用したアクションが主流のなか、極限まで高められた肉体だけが可能とする生(なま)の殺陣は凄まじい迫力だった。これぞまさに鋼の肉体。まさに木曜洋画。いやあ、実にいいものを見せてもらった。

中之島+落語=オムライス

 昨日、中之島は中央公会堂へと行ってきた。落語を聞くためである。「『ちりとてちん』の落語を聞こう」というコンセプトで、作中登場した「鉄砲勇助」「ちりとてちん」「まんじゅうこわい」の三つ、それに加えて「転失気」「動物園」に手品を堪能してきた。
 手品といっても披露するのは手品師ではなく、噺家。噺家というのは落語だけでなく余芸も身につけておかねばならないんですな。昔は一席終わったらそのまま踊ることも多かったとか。

 会場の中央公会堂は地下にレストランがあり、ここは「ちりとてちん」で喜代美が草々にオムライスをごちそうしてもらうシーンで登場している。公会堂のオムライスといえば昔から有名で、現在は一日200食限定という人気メニュー。
 が、公会堂は99年から02年にかけて保存のため改装工事が行われたため、レストランは閉店してしまった。工事以前同様オムライスを名物にしているとはいえ、現在営業しているのはまったく別の業者。そしてぴかぴかになった公会堂のように、レストランの内装も光をふんだんに取り入れた明るくて現代的な雰囲気に変わった。
 だから時系列で言えば、喜代美たちはオムライスをあの薄暗く湿っぽい食堂で食べていなければならないことになる。…いや、あの店が公会堂のそれだと明言されたわけではないんだが。ひょっとすると、おかみさんとの思い出がつまった店がなくなるということでさみしがる草々の姿があったのかもしれないな。
 その「ちりとてちん」は兄弟子達を主役にした番外編が制作されると発表されていたが、クランクインしたことが先日ニュースで伝えられた。放映される7月を今から心待ちにしている。ただ、そこはかとなく地雷が埋まっていそうな雰囲気漂うあらすじなのが心配だ。まあ本編でも魅力が兄弟子連中に比重偏っていたから大丈夫だとは思うんだけども。

 以下はレス。


ちりとてちん(終)

 半年の間、朝という憂鬱なシロモノを楽しいものにしてくれていた番組が終わった。月曜日の朝でさえ、これがあると思うと待ち遠しくてしかたなかった。ありがとう「ちりとてちん」。
 最終回前日などは、放映終了直後の8時半のニュースでNHKのアナウンサーが「明日の最終回もお楽しみに」と言うから驚いた。>http://jp.youtube.com/watch?v=CfoTZ0NePE0
 以下は鬱陶しく考えた私見である。要点をまとめると「人情喜劇としては傑作。しかし落語家を描いた物語としては不満」となる。あまりいいことは言っていない。続きを読む

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