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世界・ふしぎ発見

 ひさびさに「ふしぎ発見」を見た。なぜかといえば、今日の特集がパンダだったからだ。パンダ。おおパンダ。あなたはどうしてそんなに魅惑的なの。
 パンダはかわいいとかいう以前の問題だと思う。見ているだけで、こう……得体の知れない衝動がムラムラと湧き起こってくるな。まさに魔性の生き物。ほげあ。

 それにしても、ひとし君人形はもうなくなってしまったのだなあ。時代に合わせた変化はしかたないことではあっても、慣れ親しんだものがなくなると寂しさを感じる。

出番に関する希望的観測

 モツ鍋不定期連載再開前に、こんなこといいなあったらいいな的な妄想をつらつらと。ほら言うだけはタダだから。
 前置きしておきますと、例によって例のごとく特定のキャラの話しかしてませんぜ念の為。続きを読む

キリ番

 4並びが近いのでなんとなくカウンタ表示させました。44,444踏んだ方、よろしければご一報を~。リクエスト受け付けまする。

 (追記)よく考えたら、今のペースだと44,444に到達するのは早くて1ヵ月後だった。告知するの早すぎたなあ。思いつきで行動するからこうなる。

作っちゃった

 トップにまたぞろ妙なページにリンクしてありますが気にしないでください。

「Under the Rose」船戸明里

 すごかった。
 いや単純な一言だけではまだ足りぬ。なんという漫画だ。凄まじい。
 初めて福本伸行、特に「カイジ」や初期短編集を読んだときも頭を鈍器で殴られたと思ったくらい衝撃を受けたものだが、「Unde the Rose」はそれとは異種の、しかし同程度の圧力をもってのしかかってくる作品だった。ページをめくるたびに、紙面から滲み立つものが心にずぶりずぶりと入りこんでくるようだ。
 漫画の表現力とはこんなことまでできるのか、と改めて感動する。これまで手を出さなかったのは不明と言わざるを得まい。
 1巻の時点では「ヴィクトリア朝の貴族の館を舞台にしたミステリー調の話」程度の認識しかなかった。しかしこの作品は、読者の浅慮を叩きのめすがごとく、物語の進展とともに迫力と鋭さを増していくのだ(特に3巻と4巻の素晴らしいことといったら!)。

 なお作者の船戸明里は「流血女神伝」の挿画を担当しているのだが、中盤の「暗き神の鎖」以降は表紙絵のみで、挿絵はなくなってしまっている。
 多忙のためとのことで残念に思っていたのだけれど、確かにこんな作品を生み出していたらそうそうほかの仕事に取りかかるのは難しいわー。納得した。

オレイルは死んだ。なぜだ?

 爺だからさ。
 ……あまりできのいい洒落ではないな。

 それはさておき、先日の「オーフェン」チャットでちょっと面白い話になった。
 「あそこそ」ではキャラクター各々が本編から一段階成長しており、なおかつそれぞれほかの人間と協力しあいながら前に進もうとしている(あくまで協力であって単独でないのは、本編で超人を否定したからだろうね)。つまり「自立」が根底のテーマとしてあるのではないかというのだ。
 言われてなるほど!と腑に落ちる。私は、テーマとしては「同質と正逆」くらいしか気がつかなかったのだが、むしろこちらのほうが核にあるように思えてきた。
 人間たちはかつて天人種族の庇護を受けていたキエサルヒマから出て、新しい土地を目指そうとしている。まさに自立だ。
 「銃声」でオーフェンは「神はいない 人は自立しない だが絶望しない」と口にした。オーフェンによってキエサルヒマは絶望から解き放たれ、そして自立しようとしている。この変化さえも巨人種族の特質といえばいいのだろうか。
 オーフェンは5年間追いかけ続けていたアザリーと別れの言葉を交わし、西部編ではオーフェンの「重石」だったクリーオウとマジクも自分たちの道を確かに歩みはじめている。
 帰らぬ弟妹を待ち磨り減っていたレティシャ、出て行こうとするものを止めるばかりだった彼女は家族を得、そして旅立つクリーオウを送り出した。
 補佐役とされていたハーティアも、強すぎる自己顕示欲を枠におさめるのではなく、むしろそこから脱出した行動を取っている。
 本編中では、過去という楔を打ち込まれてやや倦怠感すら漂わせていたキャラクターたちが、殻を打ち破って前へ進んでいく様を見るのはいっそ爽快なほどだ。

 と、ここまで来てあるキャラクターの名前が出ていないことに疑問を抱いておいでの方もおられるかもしれない。はっはっは、これからたっぷりと語るのでご安心を。
 ちなみに私はオレイルは死んでいる、と考えており、以下そうした前提で語るのでご注意を。続きを読む

料理下手

 自慢できることでもない話をする。私は料理が苦手だ。ついでに言うとレパートリーも少ない。
 だがチキンラーメンをまずく作ったときはさすがに落ち込んだ。チキンラーメンだぞ、おい。お湯を注いで3分待てばできるというのに、どこをどーすればまずくすることができるというのだ?われながら謎だ。
 よくよく考えると、もとから不器用であるのに加えて、つい面倒がって雑な作りをしてしまうのが原因なのだな。その点を気をつけるようになって、近ごろはだいぶ味に関しては改善されてきた、と思う。もちろん、少ないレパートリーの中に限ってのことだけれど。
 それでも家にひとりでいるときなど、自分だけが食べる用のときは妙なものができてしまう。家族に向けて作るのとは違い、気が抜けるのであろう。

 さてTさんのブログで、電子レンジで手軽に作れるケーキのレシピを知り、さっそく試してみたわけだが……撃沈。
 私のうっかり失敗列伝にまた新たな1ページが刻まれたようだ。

チャット二晩

 拍手をいただきました。ありがとうございます。

 今週末は金土と二晩も濃ゆいチャットができて、非常に楽しい時間を過ごせた。金曜は拙サイトで「オーフェン」について謎やら世界観をみっしり語り(その節はどうもでした)、土曜は003の誕生日だったということもあり、よそさまでフランソワーズについて熱い話を展開。……日付が変わるあたりから博士トークになったのが謎だったなあ。なぜだろう(いけしゃあしゃあ)。

 なんとなく思ったんだが、私は好きなキャラへの対応がおおむね2種類に分けられるような気がする。
 まず「かっこいー」「かわいー」と単純に魅力に浸る場合。見てるだけで幸せというやつやね。
 もうひとつが物書き的にはまるという場合だ。このキャラについてことごとくを抉り出したい!もとい、描き出したいと物書き欲が刺激されるようなはまり方をするのである。
 それだけなら別になにも問題はない。われながら「なんだかなぁ」なのは、そういうはまり方をした場合、どうも対象のキャラをより苦境に落としこみたいというどーしょーもなさすぎる欲求があるようなのだ。肉体的にえげつない目よりは主に精神的な方面で。
 ちなみに「かっこいー」「かわいー」と言ってる場合だと、ごくごくごくごく真っ当に「がんばって幸せになってほしいなぁ」とのんきなことを考えているのだが。全部そっち方向へ行けよ。
 このような傾向に気がついてしまい、ちと「どうなんだろう自分」と遠い目をしてみむ。

大和のコックさん

 昨日は当地でもちらほらと雪が舞った。積もらずともそれだけでテンションが上がってしまうわい。

 うっかり「ナイトスクープ」の存在を忘れてしまい、あわててテレビをつけたら面白そうだと思った依頼が半分ほど終わりかけていた。
 依頼者の叔父は、戦艦大和の厨房で働いており沈没とともにそのまま亡くなってしまった。100歳になる母親は、そんな弟の暮らしぶりをずっと知りたがっていた。どうかして調べてほしい――というもの。
 約3300人いた乗組員のうち、生存者は2百数十人。それから60年以上経った現在でも健在なのは20人あまりだそうな。調査の結果、そうした生存者の方や大和を取材した記者から集まった話やテープを依頼者に伝えていた。
 面白かったからちゃんと見たいなあ。総集編で放映してほしいものだ。

 ところで「ナイトスクープ」を見ながらチャットでつぶやいていたところ、BSでやっていた「俳句ナンダこりゃコレクション」を地上波でも再放送すると教えていただいた。ので、いそいそと待っていたところ、いつまでたっても始まらない。もしや、と番組表を調べてみたらNHK大阪では別の番組に差し替わっていた(爆)。うぬれ。

弱った

 3日連続で語りまくればすこしは落ち着くかと思ったのに、まったく冷めやらない(笑)。

 拍手ありがとうございます。以下はいただいたコメントへのレスです。


ポメラミマン

 複数の行きつけのサイトさんでポメラ購入レポを見かけるようになった。さて次は私の番……といいたいところだが、プリンタがとうとう天に召されるわなんやらかんやと物入りで頭を抱える。
 特にプリンタ、おぬし買うてから3年くらいしか経ってへんやろー!7年近く働いていた先代と比べてなんたる根性なしか。
 ポメラが我が家に来るのはいつの日か。これではポメラニアンではなくポメラミマンだ。

 ここ3日間、愚にもつかぬことに血道をあげていたことで呆れておられる方もさぞかし多かろう。
 以前から脳内にストックしていたものだし、記事ひとつだけですますつもりだったところ、いざ書き出してみると3つに分かれてしまった。
 なんでこんなことをやったかっちゅーと、さすがにズバァが効きすぎて、ね……。なにかの形で発散しないとどーにもならなかったっぽいのでつい。
 いつもながら、勢いだけでもっているサイトであることよ。
 9月以降、「オーフェン」の話題ばかりしかしておらず、興味のない方には申し訳ない状態が続いている。このようなとき、脳内のリソースを適切に振り分けられないのが悲しくもあり情けなくもあり。

サルア注釈「背約者(下)」編

 拍手もらいましたっす嬉しいっすうひょー。続きを読む

サルア注釈「背約者(上)」編

 ズバァ。前回の続き。続きを読む

サルア注釈「狼」編

 前々からやってみたかったことをついに実行に移した。続きを読む

超銀のおもひで

 拍手をいただいたので、感謝の舞いを披露するのである。うひょー。

 数年前、かなり「アレ」と評判の超銀を見たときのことだ。かねてから聞き及んでいた通りの出来に、かえって脳のなにかが刺激を受けたのだろうか。「これはいっちょ本気で感想を書いてみるべぇ」と腰を上げようとして幾星霜、感想文は書きかけのままいまだに完成していない。

 WEBアニメスタイルで小黒祐一郎がコラムを連載しているのだが、その最新分で「超銀河伝説」を話題に出しておられた。それを読み「ああ、小黒さんでさえもやっぱり超銀についてはこう書くのだなあ」としみじみ納得してしまった。うん、あれはなあ……。

あそこそ18日

 ズバァ。


 ズバァ。もうこの一言しか出てこないよズバァ。ズバァ。死ぬよ。ズバァ死にだよ。ズバァ。

 昨日、↓のようなことを書いたところで、早速サルア活躍の芽はあっさりと摘まれ申したな。いや、まあサルアだから。登場するたびに死にかけて見せ場のない奴だから。むしろ見せ場がなくなるほどいい男になるんだよ存在の引き算的に。ほら今日もズバァ死にするくらいだったし。<チャットネタ
 てか、後日談ではまだ死にかけてないんだが、いったいいつ死にそうな目にあうんだろう。

あそこそ17日

 こ、これは。

 憂さを晴らす展開が待っているってことですよねえええ(血涙)。
 期待。超期待。すんごい期待。

 いえね、本編中でサルアが戦ってるシーン、というか実力がうかがえる描写がないのが物足りなかったのですよ。他の人物の台詞で、それなりの実力は持っていると語られはしても、いまいちそれが証明されるには欠けていたので。
 「狼」では素人の少女に背後からばっさりなうえ、油断したところを花瓶でどつかれ、「背約者(上)」では(天人の遺産に警棒一本で立ち向かう方が無謀なんだが)あっさり滅多切り。しかも兄の方が実力は上とまでの言われよう。目に見える形でやったことといえば、マジクをいなすのとクオの鎖骨を折ったことくらい。
 最強であることを望みはしないけれども、ファンとしては見せ場がないのはちと寂しい。そこであのそぶりが来たからには期待せずにはいられない。
 おおおおおおこがましい期待をしちゃってもいいんでしょうかねええええ。

 ……待て。登場にテンション上がりっぱのあまり、現実を見失うべきではない。現在私の目にはそれはもう度の強い色眼鏡がかかっている状態だ。都合のいいことだけを読み、あまつさえ曲解してなんとする。
 だいたいだ、本一冊分の原稿に脇役の戦闘シーンなどという余分なシーンがあるはずもなかろう。よしんばあったとしても、お約束的にサンクタムに一撃で気絶させられるとかそーゆーのに違いない。うむ!
 だから期待なんてしてないよ!個人的なよくぼー爆発で読んでたら現実に足元をすくわれるからね!全然そんなこと願ってもないよ!ホントだよ!

 と、まあサルアが登場しただけで、ポジティブとネガティブ両方の面でテンション上がりまくりである。
 ああああ明日はどんなことが起こるんだろう。にへら。

あそこそ16日

 かなり待ったが何の音沙汰もなく、これはきっと早朝に更新というパターンだろうと床についたら深夜3時に更新されていたと知り、あと30分ねばればよかったと歯ぎしりをする。

 さて、私はコギー(たぶん)がちゃんと仕事の話をしていることに驚愕しつつ「どのみちダンナが(略)」と自棄になればいいのか。はたまた「そいつ」がサルアなのかどうかでやきもきすればいいのか。
 いったいどうすればいいのだろう?

 まあそのような葛藤はどうでもよろしい。本日の更新分で細かいことが気になった。
 コギーは「半年前から何度か名を聞いていたサンクタムという殺し屋が、とうとうアーバンラマ近郊に現われたらしい」と言った。はて、なぜコギーはサンクタムの名を知り得たというのだ。
 9月25日付の更新で、イザベラはサンクタムについては「貴族連盟から魔王暗殺の指令を受けたということ以外は不明」と述べている。また27日付では「アーバンラマは閉鎖され連絡は取れない」とも。
 サンクタムの噂が聞こえてきた、というのがまずよくわからない。わざわざ自分の名と存在を喧伝して歩くというのは暗殺者として不自然すぎるし、それに閉ざされたアーバンラマ内でどうやって外の噂を入手できたのか。
 後者については、戦争開始時より状況が変化したためアーバンラマ側も門を開いて情報を入手しようとしている、とこじつけられなくもない。しかし前者はどうか。
 イザベラが――というよりフォルテがサンクタムの情報を掴めたのは間違いなくネットワークの力によるものだから、普通なら知り得ない情報を持っていても不自然ではないのだが。
 というわけでいろいろ考えてみた。
 可能性1。貴族連盟がサンクタムの存在を大々的に広めている。つまり情報戦の一種。
 可能性2。オーフェンに自分の存在を伝えるのがサンクタムのねらい。挑発し、オーフェンが自分から出てこざるを得ないよう仕向けている。ラストシーンはふたりによる荒野の決闘。
 可能性3。いや待て、サンクタムと一緒にいるのはクリーオウだ。しかもサンクタム=コルゴンは天然。それらふたりのパワーが合わさり、おそらくアーバンラマ近郊で本一冊の分量に相当するくらいの、とんでもない事件に巻きこまれたのだろう。それこそ閉鎖された門の内側まで名前が伝わるくらいに。
 可能性4。話の都合。……とまあぽちぽち考えてはみたものの、本筋ではあまり触れられないだろうな。さて「そいつ」がサルアなのかどうか気にしつつ、今晩の更新を待つこととしよう。<結局そこなんかい

オタの魂百までも

 先日の記念番組で「このまちだいすき」が出なかったことに納得がいかず、いろいろと調べていたらあの番組は当時からオタ的にアレな感じだったと知って複雑な心境である。
 見ていたころは何も知らぬ清らかな子どもだったのにー。第1話サブタイ「シラベル 大地に立つ」の元ネタなんてもちろん知らなかったのにー。やはり気質からしてオタだったのだろうか、私。
 拍手ありがとうございます。はげみになりますっすー。以下はコメントいただけた方へのレスです。


虚。

 古人曰く、読みたいものを書くのが同人の醍醐味であるという。
 私もそれにならい、解釈を通り越してもはや妄想レベルに達したシロモノを日々書き散らし……すみません、いま嘘をつきました。日々ではなく時々ですよねこの更新ペース。
 さておき。基本的に私の書くものは「こういうのが読みたい」という願望と、「この作品の意味ってどんなもんじゃろ」という感想の二本柱で成り立っている。なかには009の「ちう企画」のように、はたして私に「いちゃでらぶであま」なものが書けるのか?!と自分の限界に挑戦したものもあるが。
 また「こういうのが読みたいんじゃよー。てかこのキャラいつまで経っても原作に出てこないんじゃよー」と血の涙を流しながら書いたものの場合、読み返して自分で萌えるということを周期的にやりたくなる。むしろ、今現在進行中でそのパターンに陥っている。なにせ自分のツボを綿密に配置した話であるので、際限なくえへらえへらすることが可能。適度に忘れたころに読み返せば効果倍増だ。
 そんなことをしていて虚しくないのか?
 もちろん虚しいにきまっているではないか。

 てなわけで、もっか萌えと虚しさの自家中毒状態である。ボスケテ。

ポメラ入れ

 おそらくは「いいかげんに買えよ」と思われているかもしれない、またしても持ってもいないポメラの話題である。
 ポメラには専用ケースがいくつか発売されている。メーカーが出した純正品、ITmediaとランドアートが共同開発したものがそうだ。
 純正品は革製ということもあって、かなりしっかりした作り。一方ランドアート製のケースは、材質が工業用緩衝材であるためにスポンジで覆っているような外見がネックだが、いちいち取り出したりせずケースに収めたままでタイピングできるのが最大の利点だ。
 また専用ケースを使わずとも、ポータブルHDDや電子手帳用のケースを流用するという手もある。
 しかしネットをうろうろしていたら、冬コミでポメラの革製ケースを販売していたサークルさんがいらしたとの情報を発見。
 こここ、これは……欲しい。完売していて通販もしないというのが心底残念だ。いやそれ以前にポメラ本体をまだ持っていないのだが。
 さらに冬コミではポメラ本まで出ていたとの噂。あなどりがたし、コミケ。

内藤泰弘「血界戦線」

 ジャンプSQで内藤御大の新作が今号より短期連載なりよひゃっほー。昨年5月に同誌で掲載された読みきり「血界戦線」を連載用に組みなおしての再登場。
 コマの隅から隅まで満ちた内藤ワールドに読んでるだけでテンションだだ上がり。また読みきり版よりも世界観の広がりが感じられ、その点も嬉しい。
 今回の連載と読みきり、もう1話なにか加えたら単行本になるなあ。いっそアワーズに掲載された「CALL XXXX」(訂正。アワーズに載った読みきりは「SATELLITE LOVERS」だった)とか。
 どーでもいいが内藤立ちで黒髪黒スーツの絵面は心臓に悪いのでやめていただきたいものだ(笑)。いや今回のは女キャラなんだけど。

ETV50周年

 なんとまあ嬉しいことに拍手をいただきやしたぜ旦那(嬉)。

 この年末年始は濃ゆいドキュメンタリーや教養系の番組をたくさん見たので満足なのである。……いや、BSが映ればもっと面白げなのを見られるんだろうけどさ(さめざめ)。
 さて今年はNHK教育が50周年ということで、それを記念してこの50年を振り返るという番組をやっている。火曜日の子ども番組特集、水曜日の学校放送特集は懐かしさに「ををを」となりっぱなしだった。
 案外覚えてるもんだと思ったのが、子ども番組特集で紹介された「ばくさんのかばん」。タイトルを聞いた瞬間、「あ。見てた」となぜか確信。映像を見ても覚えはまったくないし、つられて「こんなことがあった、あんなことがあった」と思い出すということもない。なのに確かにこれを見ていたという思いがわきあがってくる。
 ほかにも「ワンツーどん」や「できるかな」などなど、数々の映像が私のハートに直撃である。ひとさし指で天を指し、「宇宙人のテレパシー」と歌いながら回った記憶をお持ちの方もおられるのではないだろうか。……いや私のクラスでは集団でやっていたんだってば。
 まあローカルな話はともかく、ゲストとしてのっぽさんが出ていたのだが、言葉の端々から子どもにたいして真摯に向き合っている方だということがうかがえた。いい役者さんだなあ。

 学校放送特集では「たんけんぼくのまち」のチョーさんがゲストで登場していた。サイゼロ方面の方には、007役の長嶋雄一と言ったほうが通りがいいかもしれない。現在では「チョー」を芸名にしてしまったそうだ。
 そして「たんけんぼくのまち」といえば、あの毎回最後にチョーさんが作る町の地図である。大きな白紙が下書きもなく一気に埋め尽くされていくのに憧れたものだ。何?早回しだと?野暮なことは言うでない。
 ところで学校放送の内容は学習指導要領に沿って作られており、この「町の地図」も実は小学校社会科の単元にあるのだとか。言われてみれば、そんなものを授業で作らされた気もする。
 てか、「たんけんぼくのまち」がメインになるのは当然のこととしても「このまちだいすき」がカケラも出てこないとは何事だ。私はあの番組のおかげで、銚子市にたいして親近感を抱いていたり、なんの自慢にもならないが今でも主題歌を歌えるほどだというのに。
 そういえばシラベルの超能力って結局全部出てきたのだろうか?たしか毎度おなじみ瞬間移動のほかに、「透視」など3つの能力があるという設定だったと記憶しているのだが。あとの2つはなんなのだろう。

初夢なしは味気ないが

 2日の夜にみる夢を初夢といふそうな。しかしながら、2日の晩は徹夜をしたため、今年は初夢はなしということになるだろうか。それはそれで味気ない。
 いや待てよ、昼寝をしたからそのときの夢を初夢と解釈すれば問題ないかも。ちなみに昼寝時みた夢の内容は「住んでいるマンションから住民全員が立ち退きになり追い出されるが、行く当てもなく、しかたなしに玄関ロビーに段ボールを持ちこんで寝泊りする」というものだった。しかも閉鎖されたものだから勝手に侵入されないよう、外から廃材が打ちつけられていてやたら暗い。一応、いてはならないことになっているため物音を立てないよう静かに暮らす……というなかなか洒落にならない内容。
 ……やっぱり初夢なしの味気ない正月でいいや。
 遅くなりましたが以下はレス。


あそこそ4-7日

 バトルがあっさり終わっちゃったので、多少のものたりなさを感じる。やっぱり一番は魔術と体術を組み合わせて繰り広げられるオーフェンの戦闘描写だよなあ。「あそこそ」で今後オーフェンがバトることはあるのだろうか。

 「オーフェン」における「二大わからんキャラ」、その片割れであるコルゴン。この章でだいぶ――東部編を読んだときに比べて、という意味でだが――コルゴンがどのような人間なのか見えてきたように思う。「はぐれ旅」本編を読んでいた当時は、コルゴンが「何をしているのか・何をしたいのか・何をしようとしているのか」がさっぱりわからず、キャラクター造形もどこか茫としていて掴みづらかった。いや、むしろ東部編は構造そのものからして茫洋としているのだが。
 作中で具体的な行動や表現をいくら示されても、どこかそれらが表面的な言い様に見えて、作者の用意した台本をなぞっているようなあまり立体的でない存在、それがコルゴンにたいする印象だった。
 キャラクター造形といっても、生い立ちやら設定やら性格やらを指して言いたいのではない。東部編におけるコルゴンはただ作者から与えられた「役割」を遂行するためのキャラクターであり、しかもその役割すらさほど重要なものではなかったので、出ずっぱりにもかかわらず鍵となるキャラクターには見えなかった。
 いや重要でない、というのは安易な表現だな。もう少し細かく言ってみよう。印象的なシーンを演出する役割を負っていたのだが、役割そのものに関しては印象的でなかったのだ。ざっと東部編を読み返した限り、コルゴンはどこか宙に浮いた存在といおうか、中途半端な扱いだったように思えるのだ。
 平たく言えば、私にはコルゴンが窮屈で広がりのない造形をなされていると見えていた。
 あ、そうか。「同質にして正逆」が第三部のキーワードなのだな。……と、きわめていまさらなことにたいして納得する。いや、仮にも東部編での重要なキャラだと思われたコルゴンについての説明を、東部編ではなく後日談でやる理由がよくわからなかったので。

 そして「二大わからんキャラ」のもう片方、というかコルゴン以上にわからんのがクリーオウだが、こちらは今もってやっぱりわからない(笑)。リアルタイムで読んでいたころもそうだったし、多少文章を読むということを身につけた今ならどうだろうと読み返しても結果は同じだった。
 せっかく「オーフェン」熱が高まっていることであるし、クリーオウについてはいずれわからんなりに考えをまとめてみたい。<できるのか?
 ところでコルゴンが登場するはるか前、さる即売会で「コルゴン×コミクロン」という内容の同人誌を発行した猛者を見かけたことがあるのだが、そこでのコルゴンはどういう人物だったのだろう。実際に手に取ってみなかったことが悔やまれる。

あそこそ3日

 あ、やはしそうなるのね。

回し者2号

 私も某Kさんを見習い、えぬえちけいの回し者になるのである(笑)。
 以前NHKで放映された、ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダについてのドキュメンタリーが3日夜10時、教育テレビで再放送される
 私ごときが言うのもおこがましい話だが、モノカキ的に……というか表現するということに関して非常に感銘を受けた番組なので、おすすめにまわる。
 そこな皆様も正月早々、重たい内容で胃もたれを起こしてみてはいかがだろう。<それで勧めてるつもりか?

 てか、ちょっと期待したけどBSでやってた長尺版やのうて短縮版の方なんかい。くそぅ面白いのを見たけりゃ出すもん出せとゆーことかぁッ!と、ちと気炎を上げてみたり。

あそこそ2日

 バトルっちゃったのー♪バトルっちゃったのですねー♪(ギターかき鳴らしつつ)
 てなわけで待ちに待ったバトルがやってまいりました。赤コーナー、クリーオウ・エバーラスティンに対するは、青コーナーの騎士軍(3名)!剣以外に攻撃手段を持たないと思われるクリーオウにとっては不利きわまりない展開です。
 などとふざけたことをぬかしつつ、ちょっとまじめに考えてみた。
 いまのところ、この章は「コルゴンってどんな奴」が主題であると思われる。東部編においては、主人公であるオーフェンと「同室で正逆」と述べられながら、本編ではあまり「中身」が描かれることのなかったコルゴン。ここは、ようやく、というべきなのだろうか?後日談でその心情や生い立ちについて、推測するためのいくばくかの材料が読者に与えられることとなった。
 正確には、頭の悪い私がやっと「コルゴンってこういう人間だったのかー」とわかってきた気がしているだけだが。
 しかしそのコルゴンが拳銃を持ち去ってしまい、そのおかげでクリーオウは騎士3人を相手に立ち回りを演じる状況に追いこまれている。
 私はこの展開で「秋田禎信がどういう意図からクリーオウになにをさせるのか?」が非常に興味がある。端的にいえば、クリーオウに意図的に殺人を行わせるのか否か、ということだ。
 先日「狼」を再読していて気づいたのだが、オーフェンは暴れまくるクリーオウに対するフォローを欠かさない。彼女が他人に洒落にならない大怪我をさせたり、殺させたりしないよう行動している(襲撃してきたドラゴン信仰者の指をくっつける、昏倒したサルアの傷を癒そうとする、など)。
 それはむろんオーフェンが「人を殺すこと」についてかなりナイーブな感性を所持しており、またオーフェン自身の過去や来歴にも関係しているゆえのことではある。
 しかし西部編を通じて「殺せない暗殺者」という自己に対するわだかまりを払拭したオーフェンには、「緑」でクリーオウがライアンを殺すのをフォローすることができなかった。もちろんクリーオウはライアンを助けようとしたのであって、殺害するつもりは毛頭ない。
 いや、むしろそれゆえにライアン殺害はクリーオウに重くのしかかるのである。なぜなら「オーフェン」世界においては、意図せざる殺人こそもっとも忌避すべき行為として設定されているからだ。
 つまり、今の状況――殺しにかかってくる複数の騎士を前にどうやって自分の命を守るか――で、クリーオウが相手を意図的に殺害するのかどうか、はこの後日談が持つ重さを決定的なものにしてしまう。
 オーフェンが「殺せない暗殺者」から「殺すべきときに殺せる暗殺者」になることには、「はぐれ旅」本編すべてを通しての意味があった。
 だが後日談として設定されている本作にあって、クリーオウが殺害を為すとしたら、それにはいったいどのような意味が与えられているのだろう。
 もちろんだれも殺さないに越したことはない。しかし、いくら後日談とはいえ、意思をもっての行いに価値を見出す秋田作品である。よしんばこの場へコルゴンが乱入するかして、意図せずに殺人を回避してしまっては、作品内におけるクリーオウの意思の立ち位置がかすんでしまいかねない。

 ……とまあ、明日にはあっさり「なんと阿呆なことをぬかしておるのじゃ」と白い目で見られること確実な感想である。

 ところで「狼」購入したからにはサルア注釈(※台詞やら何やらにねちねちと妄想を加味した解釈を書き散らすこと)でもやるかとまたもやどーでもいいことを考え中。

あそこそ1日

 新年早々、404に踊らされるという幸先の良いスタートを切った「あいつがそいつでこいつがそれで」である。
 中身の方もそれにふさわしく、騎士ふたりに襲撃されてクリーオウDIE☆ピンチ。数度の剣戟をしのいだとはいえ、もちろん敵うはずもない相手だ。レティシャに受けた訓練「生き残る技術」がどう生かされるのか?待て次号。

 以下はレス。


年を越し

 2008年末日は、疲労からかほとんど横になって過ごした。昼間見るつもりだった「ちりとてちんの落語を聞こう」の再放送も、半分ほどでリタイア。まあ本放送のときに見たからね。
 ぐだぐだしていたら本当に具合が悪かったらしく、夜が更けると胃の腑に冷えこみを感じてくる。家族も疲れで(今年は本当に忙しかったから)熟睡。静かな年越しとなった。
 いつもは11時過ぎから神社へ行き、二年参りとしゃれこむところだが、この寒さと体調では外に出るのはちときつい。やれやれ寝てくれていてよかった……と安心していたら、突如目を覚ました家族に「さあ初詣行くで!」と拉致されてしまう。ちなみにおみくじをひいたところ凶であった。とほほ。

 と、まあさように締まらぬ年越しに象徴されるがごとき本年になると思われ。