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あそこそ2日

 「銀河英雄伝説」という小説がある。その登場人物に、ダスティ・アッテンボローという青年がいる。そのアッテンボロー、作中とある事件において軍艦を奪取した際、「上機嫌の宇宙海賊という態で口笛を吹い」たりするような人間だ。要するにお茶目なのだ。
 「銀河英雄伝説」はアニメにもなっている。原作たる小説に忠実に作る、というどこかのアニメにも見習っ…ええと、ともかくそういうコンセプトで制作されたのだ。忠実すぎて明らかに妙なシーンになっているところもあったが。
 そしてアニメ版で上記のシーンは、本当にアッテンボローが海賊の扮装をしているという一コマで描かれていた。これを見たとき私は驚きのあまり茶を吹いた。いや実際は茶など飲んでいなかったが、もし口に含んでいたら盛大に吹いていたに違いない。
 問題はだ、スタッフは何を考えているのだ?と疑問に思うよりも、「ああ、絶対やってそうだよなー…」と得心する方が先に来たということだ。武器や食糧ならばともかく、衣装まで調達させられた同盟軍スタッフの心情やいかばかりか。
 完全な余談だが、アッテンボローの名台詞はかの有名な「それがどうした!」よりも「敗走させれば右に出るものはいません」を選びたい。漫画版だけど。

 というわけで、やはり我らがキース船長も海賊の格好をしておりましたとさ。さすが予想と期待を裏切らない男である。しかもオウムつきとはあっぱれ。
 むしろまともなことを喋っているのが一番驚いた。そういえば、九分九厘「漂流窒息丸」で決まっていたとのことだが、残りの一厘は何を考えていたのだろうね。
 にしてもオーフェンよ、ほかならぬキースが船長という時点で平穏な航海というしろものはまず真っ先に諦めるべきだと思うんだが。

 さてサルアが指導者をやっていることも変化のひとつとして認識されているのにはニヤリとせざるをえまい(笑)。オーフェンにも指導者似合わねーと思われていたか。そうかそうか。

あそこそ1日

 やっぱりお前かああああああ!!!!との叫びが全国各地で一斉に轟きわたっているであろう。満を持して船長登場。本編キャラとキースが同じ空間にいることを考えると、首を360度くらいひねりたくなるな(笑)。

 同時に、開拓船の名前も判明した。「運命の三女神」より未来の女神から取ったその名も「スクルド」号。王道である。と同時に、皮肉に受け取ることもできる(のは、作者が秋田禎信だからだ)。開拓民がキムラック教徒であることを思えば、妥当なところかもしれぬ。
 詩聖の間にいた女神は「ウルズ」と呼ばれていたが、最終拝謁によって過去に何が起きたのか知る場にいるのだから相応しいものだったのだろう。女神が本当に三人いるのかどうかはともかく。や、単体の存在の異なる位相を「過去・現在・未来」の三つにわけて呼んでるんじゃないかと考えているもので。

言いたいことは本当にそれなのか?

 「あいつがそいつでこいつがそれで」書籍化にむけて色々と進んでいるようで。その一環として、先だっての収録原稿コピー募集に応募した人にはメールマガジン創刊号が送信されたらしい。それ系のブツは何一つ持っていないゆえ、応募がそもそもできなかった人間には羨ましい話だ。ぴよぴよ。
 おとなしく配信登録が始まるのを待ち、さっそく登録してきた。とはいうものの、いまだに配信されていないのである。ええい待ち遠しい。こういうときに限ってどうでもいいスパムが来たりするので、よけいに苛立たしいのじゃー。
 ところで、今日は「届いた書籍版をめくったら、書き足されて出番が増えていて狂喜乱舞」という夢をみて目が覚めた。
 後日談が始まって以降、夢に出てきたのはこれで3度目である。あくまで記憶に残っているぶんなので、ひょっとしたらもっとみているかもね。フフフ……。
 しかし「ズバァと超かっこいい書下ろしが収録される」という内容ではないあたり、我が夢ながらまことに謙虚である。

酸っぱいブドウの味

 私の予想もとい色眼鏡に基づいた希望的観測はことごとく外れてしまったわけだが、それはそれとして次の問題が浮上してきた。おそらくラストシーンとなるだろう次の章に、はたして出番と台詞はあるのか?ということである。
 正直に申し上げればとても出てほしい。しかしこの調子では間違いなくオーフェンとクリーオウの会話で締められるだろうし、はっきり言って変に出てこられては物語の進行上邪魔になってしまいかねない。
 だからズバァが最後の出番だったとこの際覚悟を決めておかなければならないのだ。
 ……まだ出番があると信じていたのかと呆れている諸兄諸姉の顔が見えるようだ。無論最初から全力で「これが最後に違いない」と諦めていたのだが、なおかつ全力で再登場の可能性を行間読みまくって探る、というか例え出てこなくても「この裏側で何をしているのか」を全力で妄想するという無茶苦茶な精神状態でこの半年を生きていたのだ!などと大げさに豪語するのだから我ながらアホらしいこと極まりない。まあ酸っぱいブドウだけを毎晩食べて生きていたようなものだ。

 と・いうわけでズバァからこの四日間いったい何をしていたのかということを考察するのが早急かつ重要な用件だと思われる。ごくごくまっとうに考えるならば(こんな問いをたてる時点でまっとうから遠く離れている気もするが)、出航を目前にした忙しさでさながら残業続きで会社に連泊しているサラリーマンのようによれよれになっていたのであろう。
 しかしだ。そんな状況でもおそらくは剣を片手に夜な夜な「殺し屋はどこだー」と探し回っていたような気がしてならない。これぞまさしく夜回り先生。そして同じくコルゴン迎撃のためにうろうろしていたオーフェンと出くわして互いに「……」とかなっていたんじゃないか?!そうなんだな?!よし。
 などと妙な得心をしてしまうのだから、酸っぱいブドウが引き起こす自家中毒症状は恐ろしいものがある。皆様どうか食されぬよう。

あそこそ22日

 サ(先走りすぎ)

あそこそ21日

 そういうもんなの?……ってこっちも言いたいわい(笑)。
 クリーオウの呼びかけは劇的だった。レキ2号は目を開け(黒い瞳!)、ついでに巨大化。……なんで?
 いつものごとくネットをうろうろして他の方の感想を読み、自分なりに解釈してみると「クリーオウとレキは精神的に接続されているから、クリーオウの前進に呼応してレキも目覚めた」ってことでいいのかな。いまひとつ、ここらへんの仕組みがよくわからない。いや「そういうもの」と流しておけばいいのだろうけど。このぶんでは、ドラゴン種族の絶滅もたぶん語られないんだろうなー。
 レキ2号が黒い瞳になったのも謎だ。Wikipediaで「ドラゴン種族の緑の瞳は、呪いにより眼球が変化したもの」とあるが、これって作中で言及されてたっけ?この記述を信用するなら、レキ2号はディープ・ドラゴン種族とは異なる生物なのかもしれない。というより、魔術を得る前に戻ったのだろうか。

あそこそ18-20日

 じゃんに違和感をおぼえる自分はどうしようもない大阪人。
 あと、アーバンラマのライアンの作った森がまだあるということは、船の材料はこれを利用したのかもね。

 クリーオウは初めて気づいた。オーフェンに会いに行く、ただそれだけのために彼女のこの一年間があったわけだが、会ってそれからどうするのかをクリーオウは考えていなかった。いや、考えようとしなかったというほうが正しいかもしれない。
 「扉」でオーフェンがクリーオウとマジクに別れを告げたのは、魔王の力を得て自分を巡る状況が本格的にまずくなったから、そして「はぐれ旅」が終わったからだ。それらの事情をクリーオウがどれだけ知っているのかは、本編及び「あそこそ」からはわからないが、クリーオウならば仔細を知らずともオーフェンの心情には気づいているのだろう。
 以前、つまり西部編のクリーオウだったら「とにかく会いに行けば大丈夫よ!」と豪語していたと思われ。そして、実際なんとかなっていたのだ。西部編における彼女はデウス・エクス・マキナだったのだから。
 しかし「今」のクリーオウは違う。デウス・エクス・マキナの座から降ろされ、「なんとかならないかもしれない」という恐怖を知っている。であるから、オーフェンに会ったその先を考えていなかったのだろう。会えたとして、やはり以前とは変わったオーフェンが拒絶を表明する恐怖、そして大陸外へ出て行くという途方もない話についていくのかという恐怖。
 そこで止まってしまえば、眠りつづけるレキ2号と同じなのだ。そのことに気づき、クリーオウは今初めてレキ2号に呼びかける。

 ところで。展開上、殴られて顔を腫らし、ぼろぼろと涙をこぼすクリーオウの絵がそこかしこで見かけられたわけだが――ちょっと、いやかなり萌えた。<どんな趣味だよ…

いまさらABC

 タイミングが遅れたが、いまさらABCの話題。どれに投票するか悩んだ挙句、結局投票しないことにした。選べないよあれは!
 そして去る14日、めでたくA「プレ編勢揃い」に決定ー。ぱちぱちぱち。うむ、王道である。しかしCがかなり人気だったのが、個人的には意外だったなぁ。やはりキースの人気凄まじし、といったところか。
 んでもって、実際に書き始めたらBも混ざってきたということなので、ブラディ・バース・リンなる謎の人物も明かされるのだろうか?!わくわく。

あそこそ17日

 頭がモノカキ脳に切り替わってて感想を書きにくいけどやっちゃるぜ!

 今日の更新を読んでいて、ふとした物悲しさに襲われた。いままでになく、コルゴンというキャラが悲しく思えたのだ。
 かつての後輩であるオーフェンを暗殺せよとの命を受けてより一年間もぐね…ぐね…してたのも、そのわりに殺す気満々でいたのも、明らかに邪魔者のクリーオウを殺さないでいたのも、すべて自分の予想を超えたという「敬意(クリーオウは恐怖と見抜いたが)」からのこと。
 自らを絶対的勝者と信じているコルゴンにとって、かれらは理解の埒外に置かれた事象であり、それを理解しようとも望まないのだな。不幸だったのは、コルゴンには常に勝者となれるだけの実力があったということだろう。勝者は薙ぎ倒したものどもに意識を払う必要はないのだから。いや、不幸だと感じるのは読者の勝手な押しつけにすぎないか。
 「あいつがそいつでこいつがそれで」はコルゴンの語り直しではないのか、という以前から抱いていた印象が、ここにきてますます強くなってきたなあ。

あそこそ16日

 コルゴン律儀だなぁ…。

 邪念を受信した。続きを読む

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