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さらば木曜洋画劇場

 今回のWBCにおける日本チームの愛称は「侍ジャパン」だった。ために、中継やニュース番組などで「ジャパンがどーたら」「侍がどーたら」という言葉をよく耳にしたのだが、侍と聞くたびに「サムラァイサムラァイ、ブシドー!」が脳内によみがえって困った。



 そんな数々の名予告を生み出してきた木曜洋画劇場も今日で最終回。4月からは水曜シアター9と名を変えて、装いも新たに再出発するのだそうだ。ありがとう木曜洋画劇場、サヨナラサヨナラサヨナラ。 
 ……と思ったら最後にやってくれたー!



 さすがだ。「次回よりリニューアル」というお知らせだけであんな豪華なCMを作ってくれるとは。これからも全身の毛穴で受け止めていくよ!!

だんだんでたでた

 よくNHKをかけっぱなしにしている我が家。先週末、「だんだん」の番宣がかかった際、家族が「今、桂米朝が出ていた」というので確かめるため朝にテレビをつけてみた。
 で、昨日は見逃したが今日の出演はしっかり確認。家族と「寝たきりの役なぞ縁起が悪くないか」「いや動かんですむから出演決めたのでは」と勝手に放言。それにしてもさすが人間国宝、熱演であった。
 そんな朝ドラ、次の「つばさ」は番宣を見る限りハチャメチャな作風らしい。チェックしてみるべ。

 以下はいただいたコメントへのレス。


相棒

 ひさびさに「相棒」を見た。ほぼ水谷豊と岸恵子の二人芝居といっていい内容で、動機やトリックやらの解明は二の次、てかそんな些細なことはどーでもよろしい、とでもばかりにベテランの役者ふたりがたっぷりと掛け合う様を堪能致しました。
 ふふふふふ腹がふくれたのぅ。

野球はすごいよ

 土曜、スポーツ世紀の名場面的な番組を見た(すでに番組名がウロ)。テレビ朝日は開局50周年とかで、先日からちょこちょこ回顧する番組を放送しているな。
 やたらと感動を盛り上げようとする民放の雰囲気が肌に合わないので、普段は「ふーん」程度で興味も持たないのを、チャンネルを合わせる気になったのは野球の話題があったから。野球を取り扱った番組を見るようになったのは、もちろん「おお振り」の影響だ。
 放映されたのは1988年にあった、近鉄とロッテの対戦だった。ダブルヘッダー二試合に勝てば近鉄は優勝という大一番で、20年前の試合、それもダイジェストだというのに思わず身を乗り出してしまうくらいすごい試合。試合の動向に思わず家族と一緒に歓声をあげてしまった。

世界・ふしぎ発見

 ひさびさに「ふしぎ発見」を見た。なぜかといえば、今日の特集がパンダだったからだ。パンダ。おおパンダ。あなたはどうしてそんなに魅惑的なの。
 パンダはかわいいとかいう以前の問題だと思う。見ているだけで、こう……得体の知れない衝動がムラムラと湧き起こってくるな。まさに魔性の生き物。ほげあ。

 それにしても、ひとし君人形はもうなくなってしまったのだなあ。時代に合わせた変化はしかたないことではあっても、慣れ親しんだものがなくなると寂しさを感じる。

大和のコックさん

 昨日は当地でもちらほらと雪が舞った。積もらずともそれだけでテンションが上がってしまうわい。

 うっかり「ナイトスクープ」の存在を忘れてしまい、あわててテレビをつけたら面白そうだと思った依頼が半分ほど終わりかけていた。
 依頼者の叔父は、戦艦大和の厨房で働いており沈没とともにそのまま亡くなってしまった。100歳になる母親は、そんな弟の暮らしぶりをずっと知りたがっていた。どうかして調べてほしい――というもの。
 約3300人いた乗組員のうち、生存者は2百数十人。それから60年以上経った現在でも健在なのは20人あまりだそうな。調査の結果、そうした生存者の方や大和を取材した記者から集まった話やテープを依頼者に伝えていた。
 面白かったからちゃんと見たいなあ。総集編で放映してほしいものだ。

 ところで「ナイトスクープ」を見ながらチャットでつぶやいていたところ、BSでやっていた「俳句ナンダこりゃコレクション」を地上波でも再放送すると教えていただいた。ので、いそいそと待っていたところ、いつまでたっても始まらない。もしや、と番組表を調べてみたらNHK大阪では別の番組に差し替わっていた(爆)。うぬれ。

「敬愛なるベートーヴェン」

 今から2年ほど前、2007年正月の話。明日からはじまる労働の日々を前に、わたしは「よぉし、いっちょ映画でも見てやる気をもらうべ!」と映画館へいそいそと出かけた。
 しかし映画館へ着くと残念ながら満席。次週には上映が終わってしまうため、その日その時間が見られる最後のチャンスだったというのに。さめざめとしながら帰路についた。
 その見逃した映画がこの「敬愛なるベートーヴェン」である。風呂にも入らずケツを丸出しにしたりする、きちゃないオッチャンの前にかわいこちゃんが現われるという物語だ。
 見終わったはじめは、ベートーヴェンを写譜師のアンナが「癒す」話なのかと思っていた。しかし、時間をおいてよくよく考えてみるとそうじゃないんだよな。ベートーヴェンは難聴からくる指揮に対する不安をアンナに助けてもらったりするが、かれは最後まで孤独だ。
 おそらく最高の(唯一の、ではない。隣に住むおばあさんを見よ)理解者たりえたアンナを、ベートーヴェンは「大フーガ」の作曲と写譜によって解放しようとする。かれの芸術、音楽という名の神の言葉は素晴らしく、聞くものを感動させる。だがベートーヴェンと同じ側に立つことは常人には許されない。もしそうしていれば、アンナはカール同様潰れてしまっていたことだろう。だから「大フーガ」は未来の音楽へかけられた橋であり、その橋は解放されたアンナがわたっていくためのものなのだ。
 中盤の「第九」初演シーンはいかな音楽素人のわたしとて圧倒される素晴らしさ。家のしょぼいテレビなどではなく、劇場で観たかったと思うシーンだった。
 んが、一番印象に残ったのは字幕、というか翻訳が荒かったことと。かの有名ななっちほどではないが(笑)、テーマの繊細さについていけてなかった感が。もちろん、これは英語などさっぱりな人間が言うてることであるから無茶な注文であろう。

崖の上のポニョ

 気がつけば10月、公開されて3ヶ月が経とうとしている「ポニョ」を観に行ってきた。いやー、これは確かに絶賛されるのも分かる。
 が、しかし「どこがよかったの?」と聞かれると言葉につまるのだ。「なにか」は確かにあったんだが、それを説明しようとするとどう話せばいいのかわからない。なんだろう、ものすごくもやもやする。

ダーウィン(に声優)が来た

 NHKの「ダーウィンが来た!」なる動物番組を見ていたところ、なぜかナレーション担当の声優陣が現れた。といってもBSで放映される別の動物番組に出演するらしい。おそらく宣伝のためだろう。声優は水樹奈々、福山潤、野川さくらというあいかわらずなセレクト。さすがである。
 しかしそこまでやるならなぜ龍田直樹を出さない。ひょっとしてヒゲじいだからか。子どもの夢を壊さないためにヒゲじいはヒゲじいのままでいようということなのか。「ダーウィン」を見ている動機が半分くらい龍田直樹が担っている私は大いに気を揉んだ。なぜかって?柳岡の声が龍田直樹だからですよ、奥さん。だって柳岡は出番がないんだもん、影を追い求めたっていいじゃないか。そも「夏目友人帳」を見ては井上和彦にはふぅんとなっている人間にとって、ヒゲじいの声を聞きながら柳岡に思いを馳せることなど朝飯前である。
 というわけで今日も己が馬鹿であるということを披瀝するのであった。

 ところで常々BSによるオタを狙い撃ちした番組編成に対し、見られぬ我が身をはかなんでいたがこのたび見事解消される運びとなった。
 私の住むボロ屋ではBS入らないそうな。

 なんとまあ
 ねえ
 うん

押井守と宮崎駿inNHK

 4日に押井守、5日に宮崎駿とさすがな番組を組むNHK。スポンサー系列の日テレでもそんなことはしそうにない。押井など先月は「課外授業ようこそ先輩」にも出演してたし。いったい小学生相手になにを喋るのだろう、とチャンネルを回したが深夜の再放送だったこともあり、半分寝てしまって内容をほとんど覚えていない。
 両者とも新作映画の公開と時期が重なるためか、新作の中にこめられた意図などが中心になって取り上げられていた。ただ宮崎の番組の方が時間が長いので、そのぶん宮崎の前半生を追ったりと中身も濃い。司会はひどいが。まあこれは「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組とセットになっている弊害だからしかたがない。つか、宮崎って本物だよなと思わされた1時間半だった。色々な意味で。
 押井の方では画面作りの話が多く出たこともあり、キャラデザを担当した西尾鉄也の談話が。現在、日本のテレビ局がドキュメンタリーを作るようなアニメ界の人間は宮崎か押井くらいだから、アニメーターなどのスタッフが表に出てくる貴重な機会だ。
 番組を見ていたら、家族が絵がきれいだから「スカイ・クロラ」観に行こうかなぁ、と言い出した。原作が森博嗣で監督が押井守だから相当理屈っぽいと思うのだが。
 ところでこの日記を書こうとネットを検索していたら、かつて押井守版銀英伝の企画があったことを知る。まじか。Wikipediaの記述だから信用度は低いが、実現したらどうなっていたんだろう。想像がつくような、つかんような……。

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