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銀英伝

 銀英伝をなんとはなしに読み返す。ひさびさに読んだけど、やっぱ面白いわ。
 さて銀英伝の話が出れば、おまえはどっち派か、ということになるわけだが(笑)、初めて読んだころは思いっきり同盟に肩入れしていたのに、いま読んでみたら特にどちらの陣営に傾くということもなく。ちなみに好きなキャラを挙げてみると、ビュコック、メルカッツ、フェルナー、アッテンボロー…(年齢順)、とたいへん分かりやすい。
 好き、とは少し意味合いが違うがオーベルシュタインやロイエンタールもいい。わりと説得力のない展開が続く原作6巻以降、わけても9巻で起こる叛乱はどう贔屓目に見ても無理があって、叛乱の動機付けはもうすこしなんとかならんかったのか、と首をひねらざるをえない。しかし、これがアニメ版になると役者諸氏の演技で納得させられてしまう。むしろ後期は作画面はともかく脚本や演出がいろいろとアレだが、声で半分以上カバーされてしまうという、まさに銀河声優伝説の名にふさわしい出来。
 こんなこと言ってたらアニメをまた見たくなってきた。でもDVD版はリテイクカットが気にくわないんだよなー。80年代のセル画に突如として差し挟まれる00年代のデジタル彩色。耽美系の絵柄がのっぺりしたものになってしまうのは、まあしたかないとしても、デジタル特有のテカテカした色味がまったくそぐわない。せめて現在のようにセルに近い彩色になってから修正してほしかったな。

その他雑感

 拍手いただきました。ありがとうございます。

 「スカウト」以外にも本を読んだり、アニメも見たりしているので日記のネタには事欠かないのだ、実は。さらには「おお振り」10巻の感想もいまだに書いていない。しかたないのでおお振り以外は適当にまとめることにした。

「打撃の真髄 榎本喜八伝」松井浩
 安打製造機。そう呼ばれる選手はイチローをはじめ数多くいた。これは日本で最初にその称号を受けた選手の伝記である。
 Wikipediaの記事で興味を持って読んでみたのだが…。まず文章がよろしくない。文章だけでいえば、同じ榎本を扱った沢木耕太郎の「さらば、宝石」の方が優れている。しかしながら、本書は榎本喜八本人にインタビューし、なおかつ自身も呼吸法などのトレーニングを行っており、少なくとも「身体の言葉」で語ろうとしている点では価値があると思われる。だが描写は、いかんせん榎本の語った「神の域」に肉薄しているとは言いがたい。榎本が見た世界はオカルティックな語り口では表しえないのではなかろうか。

「喪男(モダン)の哲学史」本田透
 かなり挑発的な語り口で有名(たぶん)な本田透の力作。いや、本田の著書はこれしか読んだことないんだけどさ。ネットなどで感想を読む限りでは「本田はなにをおびえているんだ」という印象があったが、実際に読むとかなり巧妙だということが分かった。実際に哲学科で学んで基礎ができているからかもね。
 かれの本意はデリダの注釈(p.232)で述べているように、哲学を「喪」だの「モテ」だのといったキーワードで「ズラし」、脱構築することにある。だが、その「ズラし」にまったくもって余裕がないのでつっこみどころ満載な論にしあがっている。
 それにしても表紙が沙村広明かよ!

「真っ向勝負のスローカーブ」星野伸之
 著者の星野は元プロ野球選手である。130km/hを切るストレート、90km/h台のスローカーブとフォークボールしか持たない投手、星野はいかにして華々しい活躍をあげたのか。なにせスローカーブを素手でキャッチした捕手が、そのまま140km/hの剛速球で星野に投げ返したというエピソードまであるからすこぶるつきだ。おお振り読者なら三橋も一流の投手になれるかも、と希望を抱けることうけあい。

「スカウト」後藤正治

 勉強、というかややネタ拾いの意味合いもあるが野球関係の本を読んでいる。ルールブックやらテクニックやらの話になるとまだまだ敷居が高いので、手に取るのはもっぱらスポーツ・ノンフィクション、伝記といった間口の広い方だ。
 今回読んだ「スカウト」は、戦後まもなく、まだスカウトという言葉もなかった時代から40年間を送ったある人物にスポットを当てた作品である。その名は木庭教。広島カープ、大洋ホエールズ、オリックスブルーウェーブ、日本ハムファイターズと四つの球団に在籍し、常に第一線で有望な新人を探し全国を歩き回った人物だ。
 市民球団として発足したカープに入団した木庭の仕事は、その性格上資金面で劣らざるをえない環境の中で、いかに埋もれた才能を探し出し入団させるか、ということにあった。鍛えぬかれた木庭の眼力はやがて「スカウトの神様」と呼ばれるようになる。
 しかしあまり辣腕という言葉が似合わない気がするのは、おそらく後藤が描き出す木庭の人柄のせいだろう。手がけた選手を入団しれからも気づかい、ときには退団後の身の振りかたまで世話したりもする。プロ野球選手となったものすべてが成功するわけではないのだ。生涯二軍で終わるもの、故障や病気で数年で解雇される若者もいる。スカウトがかれらに「最後のチャンス」を作ってやったり、球界外の仕事を紹介することは珍しくないそうだ。ある人物は、野球関係者で年賀状を出すのは木庭さん宛てだけです、と語る。
 後藤は各地を飛び回る木庭に同行し、取材に4年をかけて本書を執筆した。高校野球、大学野球、社会人野球…。春から秋にかけて、日本ではなんとあらゆるところで試合が行われていることだろう。
 取材の過程では、もちろん他球団のスカウトとも顔を合わせることがある。試合の寸評、茶飲み話をしながらも、かれらはけっして腹の底を見せたりしない。しかし、ラジオのニュースでだれかが手がけた選手の活躍が報じられると互いに祝福しあったりもするのだ。
 後藤の取材対象は、木庭が手がけた選手はもちろんこうした他球団のスカウトにもおよぶが、かれらスカウトから見た野球の世界は、観客が一喜一憂する試合とはまた違った面があることを教えてくれる。

 この感想を書いている間に、本書の主役たる木庭教氏が亡くなられたというニュースを知った。読了してまもなかったせいもあろうが、ものさみしい思いがする。

「中国動漫新人類」遠藤誉

 読んだ。ざっと感想なんぞを。
 動漫というのは、動画・漫画、すなわちアニメやマンガのことを指す中国語。
 もとは日経ビジネスオンラインの連載だからか、著者が理学博士だからだろうか。やや筆が先走っているところもあるが、そのぶん読みやすいと思われ。
 しかし、ここに記されているのは現代中国に生きる若者、新華僑たち、そして著者の生の言葉であり、説得力がある。なにより、中国の海賊版マーケットなどというような、どこにあるのかも分からないデータを探し出し、具体的な数字で中国における動漫の現状を示しているのが素晴らしい本。
 それだけでなく、中国政府の動向や動漫新人類たちの一見二律背反的な行動にも話題は及び、なぜそうなったのか、その原因を近現代史を背景に考察しているのがポイント。
 目からウロコ、と書評サイトで書かれているように、こういう話は新聞には載らないのだ。

 それにしても、中国ではコスプレ大会が国家事業として行われているのか。参加者60万人、しかもそれが全国に放映され視聴者は5億5千万。むちゃくちゃである。紅白でアニソンが流れ、「萌え」が新聞紙に載るくらいで世も末だと言っていた自分が馬鹿らしくなってきた。

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