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夏目友人帳1話

 蝉の声を聞いた。夏である。
 今日はさすがに暑さで気分を悪くした。八分袖の服を着ていたのだが、手首のあたりでくっきり皮膚の色が変わっていた。また見事に焼けたものだな。
 涼を求めて帰り際図書館に寄る。となれば、何かおもしろげな本はないかと、ついふらふら書架を物色するわけで。とても本など入らない小さい鞄しか持っていないのに、4冊ほど借りてしまう。まずいことに財布の中には利用者カードを常に入れているので、障害などないのであった。
 おかげで、今日はくそ暑いのにくそぶ厚い本を4冊も抱えて帰る羽目になった。自業自得である。今度からは手提げ袋も常備しておこう。

 夏目友人帳が面白いと聞き、読んでみたいと思っているうちにアニメ化決定の報が流れ、それでは放映前に読もうと思っているうちにアニメが始まってしまった。こうなったら原作に手を出すのは放映が終わってからにするか。
 原作の評価が見るきっかけだったこともあり、スタッフや出演者がだれかということはあまり知らずに見た。おかげで、突然出てきた井上和彦に思いっきり足を取られる。
 しかも当初登場した招き猫の姿では声色を変えており、真の姿になったときにあの声になるという二段構え。なんとおそろしい罠だ。私が声だけで引っかかる数少ない声優が井上和彦だと知っての所業か。というわけで視聴決定。

おおきく振りかぶって10巻

 RDの録画を失敗した。わははは。チクショー!

 10巻のキーワード。「対比」
 部員はたったの10人、しかも1年生ばかり、と数字のうえでは弱小チームのように見えるわれらが西浦高校硬式野球部だが、実際はそうでもない。
 投手、三橋廉。独学で身につけた4つの球種と、どんなときでも失わない制球力はピカイチ。
 捕手、阿部隆也。脅威の記憶力と分析力を併せ持った頭脳派捕手。上位打順に座れる打力もある。
 三塁手、田島悠一郎。四番はまかせろ。持ち前のセンスでどこに置いても様になる、まさにスーパースター。<贔屓目
 突出して目立つのはこの三人だが、「普通に」よくできる花井、バントに関しては百枝も絶対の信頼を置く栄口、ミスのない巣山、と能力面だけを見れば充分すごいチームだ。と、思う(なにしろ素人なので自信がない)。田島かっこいい。
 一方で、チームの総合力はかなり弱い。なにせ、誰か一人でも抜けたらとたんに公式戦をしのぎきれる力がなくなるのだ。作中でさんざん繰り返されているように、まともな投手は三橋しかいないし、攻撃の柱である田島が欠ければ点を取れない。だからこそ百枝は花井を育てようとしているのだし。そして阿部だ。三橋のすさまじいまでの制球力は、阿部の執拗な配球と組み合わさって絶好の力を生み出している。ロカの台詞にもあるが、阿部が崩されると西浦にとっては大きな痛手となるだろう。
 ここで思い出さなくてはならないのが、1巻で阿部と三橋が交わした「約束」である。阿部は「三年間絶対に怪我も病気もしない」と言った。物語で絶対という言葉が出てくるとは、いつか「絶対に」それが試されるときが出てくるということだ。そのとき、阿部の言葉にすがり、阿部が受けるのでなければ自分はダメだ、と思っている三橋ははたしてどうなるだろう。
 つまり西浦は能力の高い選手を擁してはいるものの、全体的に見ればもろいチームなのだと言える。

 そんな西浦と3回戦で対戦した崎玉高校は、まったくもって普通のチームだ。頭使って野球をしてなくて、主将は優しい先輩で、場外ホームランを叩き出せる佐倉大地という選手のいるチーム(かつて百枝は言った。不思議とどんなチームにもいい子が一人か二人は入る)。
 けれども、崎玉はただ弱いだけのチームではなかったろう。佐倉の絡まない得点が半分あった、つまり点を取る力と勢いは充分あったのだし、守備でも西浦をたびたびおさえている。だが崎玉は「桐青と百回やったら百回ボロ負けするチーム(市原)」で、西浦は「あと十回やったら十回ボロ負けするかもしれないけど、今は勝ってる(栄口)」チームだった。それが事実かどうかは大きな問題ではない。選手本人の意識がそうだった、というのが両者の最大の差だったように思われる。
 さてこの崎玉戦は物語にとってどんな意味があるのだろうか。もちろんひとつは、いまだ田島の下でくすぶる花井が吹っ切れる過程を描くことだ。できるかどうかはともかく、花井が田島を追おうという意思を持たねばチームの攻撃力が育たないのだ。ああもう田島かっこいい。
 試合中、うじうじと悩んでいた花井の背を押したのは三橋である。三橋本人はわかっていないだろうが。三橋の、自分の居場所を死守しようという思いから出た言葉が、花井の心を決めさせた。悩んでもいい。追いかけて、追い抜こうとする意思が重要なのだ。意思がなければ始まりさえしない。
 それにしても、必要以上にびくつく三橋と、やたらと気を遣ってかれに言葉をかける花井の姿は、チーム内での三橋の立ち位置をあらためて浮き彫りにするものであった。
 1巻、三橋は西浦で「ホントのエース」になる、と決めた。私は「ホントのエース」とは球速や制球力のような実力を差すのではなく、チームの軸となれる存在のことではないかと考えているのだが、周囲が「お前こそエース」と一も二もなく頷いていたとしても三橋本人にまったく自信がない今の状態からすると、まだまだ遠いということなんだろう。でも「投げられればそれでいい」と言っていた三橋が、「オレが打たれてチームが負けるのが嫌だ」に変化したのだから、桐青戦の勝利はつくづく大きなものだったのだとわかる。当初あの勝利は意外だったが、ちゃんと意味があったのだな。

 ところで、三橋は作中で甲子園に行くことがあるのだろうか。私としてはぜひともまさに甲子園の決勝戦、大観衆が注視しテレビカメラが向けられたマウンドに立つ三橋を見たいと思っているのだが。いや甲子園でなくてもいい。三橋には晴れの大舞台にこそ立ってほしい。
 たとえば田島のようなスーパースターなら、どんなところでも否応なしに人目を惹きつけるだろう。榛名ならば、プロという夢のために最大限の努力をはらって、その結果がたとえ悔いあるものだったとしても笑っていられるだろう。かれらなら、自分の力で立つ場所を大舞台にできる。
 だが三橋には、誰もが大舞台間違いないと認めるような場所にこそ立ってほしいのだ。ほかでもない、あの三橋だからこそ意味がある。
 三橋が、西浦が負けるときはいつ来るのか、どう負けるのかと楽しみにしている人間には、こんなことを言う資格もないかもしれないが。

コードギアス14話

 やっと話が動いたよ。ぎあっちょぎあっちょ。
 ネットで、このアニメの特徴は、高密度の情報と展開の速さだ、という指摘を見かけた。なるほど、一理ある。画面に書きこまれた情報、ちょっとした台詞などに伏線が細かく張り巡らされ、本筋には直接絡まない小ネタなども数多く盛り込まれている。私のようにテレビの前にぼけーっと座っているだけの人間には、すべてを把握するのは難しいアニメだ。そのわりに展開がやたら大味で、作品に対して緻密な印象を持たせない。そこがこのアニメの面白いところだと思う。ぎあっちょ。
 とはいうものの、待望の2期が始まって以降、「コードギアス」はどこかつまらなかった。毎週きっちりと盛り上げはするのだが、ゼロの正体がどうした、黒の騎士団がどうした、という話ばかりで肝心の本筋が動いていないように見えたからだ。この1クールは、小さな風呂敷を次々と広げ次々とたたむことに終始していたように思う。しかもその風呂敷は各々が独立しているので、次につながらない。1期はまだ風呂敷たちが連動していて、それが次第に大きなうねりになっていく様を見ることができたのだが。

 このような印象を持つのは、私の興味が「ルルーシュは何を為すのか、この世界とは・ギアスとは何なのか」という点にしかないから、ということもあろう。キャラの動向も生死も、合衆国日本云々もどうでもいいんだな、実際。谷口悟朗はルルーシュという無力な少年の帰結をいかに描くのか、また現実とは違う歴史を辿っている世界とギアスの謎にどう決着をつけるのか。私の関心はそこにしかない。でも今週の藤堂と千葉さんには吹いた。リンゴはまあいい。だがそのベッドはなんだ。
 まあこの14話にしても、これまでほとんど語られなかったギアス研究所がいきなり登場していきなり壊滅、という唐突さだ。1期から続く謎の数々はどう解決されるのだろう。されるよね?
 いや、1期の時点で私はこのアニメをルルーシュが世界を股にかける大魔王になる話だとばかり思っていたのだが、2期の始まり方からすると、箱庭的世界から脱出する物語っぽいので。…これではまるで少女革命ウテナだな。
 しかし2期に入ってからのキャラの消費っぷりには驚いた。意味ありげに登場したキャラが次々に(意味もなく)退場し、後の展開への布石かと思われた描写があっさりと回収・撤回されていく。かと思うと、唐突にハイスペックぶりが明かされた咲夜子のようなキャラもいる。もったない、といおうか、なんでだ?と首をひねっていたが、すごくシンプルな答えにたどりついてしまった。尺が足りないからだ。そうに違いない。
 いやまったく、キャラ主体で見ていたらかなりしんどいのではないか、これは。
 ところで、これは書きながらふと浮かんだ単なる思いつきなのだが、1期と2期で対照構造になってるんじゃないか?だとしたらおもしろいかもしれない。


 アニメの感想を読もうとネットを探していてふと思ったこと。ここ数年、純粋に次週が待ち遠しい!楽しみ!と毎回どきどきするようなアニメに出会っていない。
 もちろんどのアニメも面白いと思っているからこそ毎週見ているのだが、楽しむことを半ば義務化している気がする…。非常にもったいない見方をしているな、われながら。

すごいものを見てしまった

くひだをれ

 人に大阪の絵的イメージを問うたならば、そこにはかならず紅白のだんだら衣装を身につけ、セルロイドの眼鏡をかけた太鼓を叩く人形がいるにちがいない。その名を「くいだおれ太郎」という。
 先日くいだおれが暖簾を下ろした。店の看板人形の太郎も引退ということになった。道頓堀に太郎がいないと思うとさみしい思いがする。いや、私は一度も店に入ったことがないのだが。
 ここ十年ほどで道頓堀の風景は様変わりしてしまった。くいだおれの閉店で、時代の残り香がまたひとつ失われたというわけか。しかし、これほど明るい店の畳み方もめったにないだろう。

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 こんなところでつぶやいても効果はあるのかな、と思いつつ。
 えー、009で当サイトに来ている方なら先刻ご承知の、某Kさんがゼロナイ本を出されます。Kさんといえば事件&アクションものを得意とされるお方。しかも150P超の大ボリューム!とくれば読み応えがないわけがない。要チェックですぜ。

RD潜脳調査室まとめ

 どうも今日は文章が荒れている。これはきっと暑いからだな。よし。<納得するな

 前の記事に続き、またIGアニメの感想である。はじめてRDを見たときは、話運びのまずさとヒロインの声に引っかかったが、ここにきてまともに面白い話が出てきた。
 脚本が悪いのか演出が悪いのか、まっすぐ進めばいいのにどうしてそこで横に折れる?と首をひねる話ばかりだったので、ようやく見ていて良かったという気持ちにさせられた。大西は単純に説明がへたな脚本家だったが、こういうのをなんと言えばいいんだろう。逆に、ギアスはたとえ大状況がまったく動いていなくても毎回小状況が劇的で飽きさせないという点で技術が高いんだよな。
 ヒロインの声も、声優がこなれてきたのかこちらが慣れたのか分からないが、ずいぶん画面になじんできたように思う。
 なんだか今期は、引っかかりを感じつつもいずれ面白くなるだろうから期待して見ている、というアニメばっかりな気がする、というのは自虐的に過ぎるか。

 6話「ラブ・レター」と8話「ノー・フレンド」は、物語の世界観、キャラの設定、ヒロインの特質が筋書きにぴたりと当てはまり、なおかつ話が引っかからずに進んで素直に面白いと言えた。特に6話だ。最小限の説明で「哀しみ」を表現しきっているのが素晴らしい。
 本作にはこういうのが毎回続けられるだけの地力はあると思うので、本当にがんばってほしい。…しかしどっちの話も肝心のハルさんが動いてないぞ。まあこの人の場合は安楽椅子探偵で、状況がやってこないと動けない立場でもあるしなあ。
 また見どころとして、ヒロインのみなもの使い方がうまいというものがある。こうした手合いの物語では賑やかしに留まりかねない彼女だが、直観に優れ、行動力があるという設定が各話できちんと生かされている。黒田は見習え。
 そして個人的に超見逃せないのは、秋田禎信が担当する小説版が今月発売ということだ。これは楽しみでしかたがない。

精霊の守り人13話

 どんなに好きなアニメでも、必ず一度か二度は録画を忘れたり失敗するかして見逃す。7月になり折り返しを迎えたいまのところは、RDでさっそくやらかしたくらいで今期の取りこぼしは少ないほうだ。ギアスはWEB配信があるし、その点安心。
 さて、原作にはないオリジナルの話が続きながらも、他のアニメとは一線を画す出来栄えの「精霊の守り人」である。普通はアニメ独自の話が入ると原作既知の視聴者に違和感をおぼえさせるものだが、このアニメにはそういうところがまったくない。だいたいは変更点に大人の事情が見え隠れしたり、あるいは物語の解釈そのものがなっていなかったりするものだ。飛影はそんなこと言わない。
 監督の神山健治は制作前に脚本に関してスタッフと徹底的に討論すると聞いたし、意図のぶれなさとも言うべきものがアニメ版の作品世界をきっちりと組み上げているのだろう。
 ただ私個人の好みからすれば、お行儀がよすぎて物足りない点が多々ある(が、これは「守り人」に限らずIG制作のアニメ全般に言える(笑))。筋書きが整うあまり物語に余白がないし、説明が丁寧すぎてテンポが悪く感じられるときもある。
 そう思いながら見ていたが、13話「人でなく虎でなく」は素晴らしいものだった。
 筋書きはこうだ。ある事情から死んだと偽り、身を隠していた主人公のバルサだったが、ふとしたことで自分をつけねらう男、カルボに居所を知られてしまう。カルボは過去の怨みから執拗にバルサを追っており、決闘に応じなければ無関係の人間を毎日ひとりづつ殺していくという。
 バルサが呼び出された街道の関門でカルボを待っていると、そこを通りかかった旅人を突然つぶてが襲った。旅人、馬方の少年と先生と呼ばれる女性はバルサのおかげで難を逃れたものの、ふたりはカルボの標的になってしまう。つまり、かれらを守らせることでバルサの力を削いでいこうという策なのだ。街道脇の井戸をつぶし、夜は雇った者のつぶてで眠らせず、とかつて自分がされたのと同じ手でバルサを弱らせようとする。そのうえバルサはつかず離れずで警戒せざるを得ないが、守る対象の馬方には事情を知らぬからとはいえ気味悪がられてしまう。
 一方先生はこの殺気に満ちた女用心棒を不思議に思い、ある昔話を持ち出す。それは、虎のごとき強さを求めるあまり本当に虎になってしまったある武人の話だった。
 翌朝、業を煮やしたバルサの咆哮に応じ、カルボが姿を現した。不殺の誓いを破ると決意したバルサに、怒りに我を忘れたカルボ。竹林の中、目まぐるしい勢いで斬り結ぶふたりの武人が駆ける。いや違う、襲いかかる一頭の虎をカルボがあやうく凌いでいるのだ。
 そして凄まじい勢いで繰りだされたバルサの短槍は、一瞬にしてカルボの体を斬り裂いていた。なんということを、とおののく先生に「うるせぇッ!私は虎だ!近寄ると食い殺すぞ!」と凄むバルサ。戦いの勢いのまま、荒々しく立ち去るその背後で、斬られたはずのカルボが茫然と身を起こしていた。しかし先ほどとは別人のようで自分が何者かも分からない様子。おそらくバルサが斬ったのは、血肉を持った体ではなく妄念や心の類だったのだ。それを伝えようと、先生と馬方がバルサを追おうとする…というところで今回の話は終わっている。

 業と虎、というモチーフから中島敦の「山月記」を思い起こさせるが、この話は「山月記」のように切り離せない業ではなく、業を斬る刃が中心になっている。しかもそれは単純に不殺の誓いによる清い刃によってもたらされたものではない。虎と化すほどの業によってバルサはカルボの業を斬り得たのだ。このときのバルサが、これまで画面に描かれていた、力強くてものわかりの良い、ハードボイルド小説の主人公さながらの人間ではないことは、先生に向かって叫んだときの口調からも分かる。
 もうひとつ重要なのは、バルサは自分の槍がカルボの命を絶たなかったことを知らない、ということだ。もしかしたら次回で知ることになるかもしれないが、この時点でバルサが業にまみれて虎と化した状態だというのはなかなか暗示的なものがある。
 私はこんな話を見たかったのだ。チャグムが土とともにある生活に慣れ親しんでいったり、原作では薄っぺらい帝やサグムがどれだけチャグムを慈しんでいたかを描くことも重要だ。しかし、そうした「丁寧に原作をアニメ化した」よりも一段飛び越えた描写を見ることができて、とても嬉しい。

 (7月11日追記)この話の感想を探そうと、ネットを軽く検索してみたら、おもしろい指摘があった。カルボはバルサに一度敗れて以降、得物をヨゴ刀からバルサと同じ短槍にしたと言っていたが、なんと服装や髪型もバルサと同じにしていたというのだ。なるほど、つまりこの話の中で虎の皮を被り、本当に虎になろうとしていたのはカルボの方だったのだな。

ノーモア冷房

 7月に入り、うだるような暑さが続いている。おかげさまで当地も場合によっては沖縄より気温が高い。これもヒートアイランド様様だ。…もう亜熱帯でよくないか?
 そのうえ昼間も長袖、寝巻きも長袖という生活が暑さに拍車をかけている。肩こりがひどいので冷やしたくないのだ。毎晩暑さで体力を削られているが、これは単純に気温のせいなのか、それとも長袖を着ているからなのだろうか。
 睡眠不足が続いていることを考えると、冷房を入れたほうがいいのだろうけど、そちらをあまり頼りたくはない。もともと冷房にしろ暖房にしろ、エアコンというやつは苦手だったところへ、昨年は冷房で体を壊してさらに苦手意識が強くなってしまった。が、しかし暑いことには変わりはないわけで。むぅ、これではにっちもさっちもいかぬ。
 しかたがないので熱いお茶を飲んでやりすごすのであった。

音楽はわからないけども

 某さんとマクロスFの話になったので、調べてみたらやはり今堀恒雄も劇伴に参加しているようだ。マクロスFは菅野よう子が担当しているからおそらく参加しているだろうと思ったけど(しかしこの二名の接点は、やはりカウボーイビバップからなんだろうか)。サントラ購入に少し心が動く。<その前に今堀本人のCDまだ買ってないやろ
 アニメ方面ではGUNGRAVE以来手がけてないが、来年公開予定だというTRIGUNの劇場版はもちろん今堀が担当するんだよね?ね?!
 しかし劇伴とそうでないときは雰囲気が結構違うんだよな。と、いうか本業のときの音楽はさっぱりわからん。ティポグラフィカ時代のアルバムも一枚持っているが、本当にこれはわからない。変すぎて(笑)。どっちにしろ音がかっこいいので好きなんだが、TRIGUNを通じて知っているのでなければ心惹かれていたか?というと首をひねる。それくらい、私には音楽にたいする感性がさっぱりないのである。
 でも劇伴とは区別つけてる、というか劇伴では物語性のある(シーンにつけやすい)曲にしているのは仕事に徹しているからなんだろうな。確か、アニメ版GUNGRAVEのムックのインタビューでもそのようなことを言っていた。
 なんにしろ次の仕事が楽しみである。

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