オーフェンが「ありがとう」と言ったことに若干の衝撃を受けつつ素描的なものを。コンスタンスとメッチェン
置換ミスにおののきながら感想ゴー。てか、わたしは一番最初に目についたんだが、世間的にはそうでもなかったっぽい?
ここ二日は、というか正確には11月25日から顔からにやにやが取れない。だがそれもひと区切りらしいのでちょっと落ち着こうと思う。むしろ落ち着け自分。いろいろと。
でも昨日の更新を読んでアレな状態になっちゃったのも事実、今日の更新を読んでやっぱりアレな心境に達しちゃったのも事実。つまりですね、10年前には「いい味した脇役の兄ちゃん」だったのが後日談で再会してみれば(作中経過時間は2年だが)ものすごくいい男になってたんですよもうどうすれば。やっぱり労苦は人間を磨くということなのだろうか。まあ屈託を抱えつつもバランス取れているあたりが魅力である。というわけで、もっと悩め~もっと不幸になれ~。
むしろ最大級に悩んでいるのは主人公の方だ。オーフェンは大陸の命運を背負ったうえに、なんでも解決できる万能の力まで持ってしまった。キエサルヒマ中が動乱に陥っている今の事態だけではない。これまで自分が行ってきたことすべてを「なかったこと」にできる。歴史の書き換え、死者の復活さえも。
だから悩む。オーフェンは超人ではないから。それなりに後悔の多い道のりを歩んできた、ひとりの生真面目な青年に万能の力は重過ぎるものでしかない。
そういえば、常に目が青くなっているわけではないのね。だから魔王化したのではなく、力が憑いているという方が正確なのか。中途半端な状態で誘惑に駆られ、それが「扉」からずーっと続いているんだからとっとと返上したくもならあな。
にしても、サルアは教師ぶりが板についているなあ。説教に照れを感じなくなってきたんだろうなあ。もうこのまま最強村でメッチェンとふたり、学校の先生でもやっちゃえばいいんじゃないかなあ。むしろ子どもができないぶん(たぶん)孤児院でも作っちゃえばいいんじゃないかなあ。メッチェンの体を治せるかもしれないと知っても本人には言わないで押し留めるのがいいなあ。とにかく「お前が好きだああああっ!」と叫びながらドロップキックぶちかましたくなるくらい好きだなあ。
ポメラへの思いはなお抑えがたく、実物を見てみるべと電器屋へふらふら寄り道をした。
「すみません、ポメラはありますか」
「それでしたら入荷は年明けになります」
なにー。
キーボードの打ち心地とか実際はどれくらいの重さなのか、とか買いはしないまでもいろいろ見てみたかったのになあ。
来たついでに売り場をぼーっと眺めていたら、ネットブックという安価なPCがずらりと並べられている。基本価格も5万を切るという驚きの値段だが、イーモバイルの契約との抱き合わせで購入すると最大100円にまで値下げするという。さすがに「?!」となった。それだけ安いと逆にちと怖い。
とはいえ、ちまいPCを見ていると、これはこれで面白そうだと思えてくる。あーだこーだと、実際に買う気はなくとも脳内でひとしきり遊んでみたりして。
たまには贅沢でもするかー、とハーゲンダッツカフェに入ってパフェを食べ、「冬にアイスは食べるものじゃない」と痛感した記憶を胸に秘めて感想を書く。てか胸焼けが……。
文頭、「変なホルモンが出てくるんだよ!」がオーフェンの台詞だと思った人間はかなりいるに違いない。きっとリンパ腺で精霊ルヒタニ様と交信するためのホルモンであろう。
さて魔王様による歴史講義は終わっちゃったわけだが、最大の謎スウェーデンボリーについては分からずじまいである。でもまあ、一度に全部種明かしをする必要はない。ボリーさんについてはラストあたりでもってくるのかな。
とりあえず分かったことをいくつか。
まず、世界の成り立ちは最終拝謁でオーリオウルが語った通り。ただ「在る」だけで変化の要素をなにひとつ持たない塊、世界があるとき砕けた。それはあらゆる変化と未来の可能性そのもの、神の誕生でもあった。
そして、いつしか世界に生まれたドラゴン六種族はゆるやかに繁栄を続け、今からさかのぼること千年前、世界を解析することを始めた。だがその結果、神々が肉を持って現出。恐怖したドラゴン種族たちはキエサルヒマに逃れ、アイルマンカー結界を張ってひきこもった。
と、まあここまでは本編で語られたこととほぼ矛盾しない。むしろ理屈面で強化した感じがする(アイルマンカー結界がなぜ女神を呼び寄せるのか、とかね)。
いまだ不明なのは、巨人種族=人間種族が神々と呼応して現出したのならば、それは千年前に起こったことであって、キエサルヒマに登場する三百年前まではいったいどこでどうしていたのか、ということ。いまのところ、結界の穴を通って外界からやってきたとされているが、「教主が機能停止すれば、人間種族が外界で生き延びていなかった証明になる」というオーフェンの推測からそれすらも怪しくなってきた。
また、ドラゴン種族の内でも特に天人種族のイスターシバは人間種族に可能性を見出し(た、と思いたい)混血を行ったが、「人間種族の始祖魔術士」をわざわざ仕立て上げた理由は?彼女らが、誰かにたいして何事を隠そうとしたらしいことはわかっても、具体的なことは不明だ。
人間種族は人造生命なんじゃないかとも思えるが、天人たちは生命の創造には成功しなかったとあるからなあ。そういえば天人も混血のためには遺伝情報を限界までいじる必要があったんだっけか。
つまり人間種族に関しては、変化を克服する能力が異常に際立っている、ということしかわかっていないんだよな。ああもう歯がゆいことこのうえなし。
人間種族の文明はすべて天人たちに授けられてきたものに由来するのだから、それが虚偽だった、ということが判明すれば貴族も魔術士もドラゴン信仰者も皆「えええー!」だわな。特にキムラック教徒なんて、教義そのものが根本からひっくりかえってしまう。「それは俺たちがやってきちまったことも、堪え忍んできたことも、全部無意味だったって話だぞ」というサルアの台詞が萌える重い。
時間つぶしのつもりが待ち受けていたのは信仰の危機、しかも「それを次に起こりえる事態に備えて利用しろ」だもんな。胸の内に収めることすら許さねえとはオーフェンさん、まさに魔王の名に相応しい所業です。いいぞもっとやれ。
そういえばコンスタンスは結構のんきにかまえてるのかなと思ってたがそうでもなかった様子。そうかー苦手にしてるのかー……。てか、サルアとコンスタンスのやりとりがまっったく想像できん。
11月掲載分読み直してみたら難民に対して複雑な思いを見せていたし、そもそも元派遣警察官なんだから死の教師なんて仲良くするような相手じゃなかったんだった(笑)。だがしかしコギーさん、あなたがパシリにしてたオーフェンも一応大陸最強の暗殺技能者と呼ばれた男なんですぜ。
なんかもー11月掲載分からこっち、脳みそフルスロットルで隙間埋め妄想がずんどこ涌いて出てくるですよほんと。
いそいそとモツ鍋を開いたら、「ひと区切りです。ところで」と雑談が始まっていて「ちょっと待てぇ!」と叫んだ夢を見た日の感想。
魔王様の歴史講義はひょっとして今日で終了……?でも「次はやたら長い」という話だったからなあ。
そして順調にサルアが胃を痛めてそうでうひょー。利用されてしまえー。
どーでもいいんですが、私こんなに幸せでいいんでしょうか。毎日毎日うひょーとか言ってるのに違和感を感じます。なんかそのうちすごく嫌なことが起こりそうな気がしてなりません。
今の章では長らく不明だった世界や魔術についての謎がある程度明かされる(はずだ)が、個人的には死の教師たちが「何を、どれだけ知っていたか」もわかって嬉しかったりする。いや、何度か言っているように、サルアとメッチェンがなんで反逆したのか、その理由をぐだぐだ考えてるもんで、ヒントの一端になるのよさ。
今日の更新とかかわると思うんで「背約者(下)」からオーリオウルの台詞引用。
「かつて……世界は、ただそれであった。世界は世界であるだけで、それ以上でもそれ以下でもなく、世界の存在する物のためになにを用意する必要もなかった。その頃、世界に住んでいたのは不死の巨人だけだったからだ。(中略)だが、その地に変化が起こる。虚無が満たされてしまったのだ。虚無をくまなく満たしたもの……それが……神々だった」
「神々は力を以ってすべての巨人を殺したが……ただひとつ、世界最大の巨人たる、一匹の蛇を殺すことだけはできなかった。(中略)神々はそれを殺せないと知ると、仕方なく、その蛇がとぐろを巻く内側に世界を作った。(中略)世界はもはや虚ろではなく、蛇の中庭と呼ばれるようになった。そして、巨人の遺骸で出来た大地を、巨人の大陸と読んだ」
「我が神に弓引け背約者(下)」
つまりオーフェン世界の時間は循環構造になっている、ということなんだろうか。
停滞(不死の巨人)→可能性=神々と世界の誕生(巨人の死)→ドラゴン種族による世界解析=可能性の逆行→神々と巨人の現出→巨人の成長による変化の克服→神々の無意味化=停滞
これを繰り返していると。ゆえにボリーさんの存在は予告できたことだった?
同質にして正逆の――東部編で頻出したこの単語がまた出てきた。やっぱりここらへんの話は東部編でオーフェンとコルゴンとをからめてやるつもりだったんじゃないのかなあ、とかいろいろ考え中。
つーかお前さん覚悟して聞いたというより本気で時間つぶしのつもりやったんかい(笑)!
これ聞き終わったあとどうするのかなー。ごろごろごろ。
モツ鍋更新を控え、そわそわをおさえきれずに「よよよよよし、歯みがきでもするか」と数分PCを離れて戻ってきたら家族が居座っていた。今日ばかりは、というかこの時間帯は「あー使ってていいよー」と言える気持ちじゃないんだが……。スマヌ家族。
今日のポイントは居心地の悪さを呑みこんでいるサルアだね。などとアホな(だってこれから先、毎日「うひょー」とか叫べることはもうないだろうからアホにもなるさ)ことはさておき。
巨人種族はやはり始祖魔術士を必要としておらず、神々と呼応して現出する存在だった、スウェーデンボリーはそれを知ってい「た」。えーとボリーさん=人間種族≠巨人種族?どどどどどどういう話なんだこれ。
でも巨人、つまり現人類の使う魔術は設定同様天人由来ということでいいっぽいな。
じりじりじりじりじりー。
ひさびさに福本系の話題を出してみる。
福本漫画を読みとくキーワードのひとつとして「仲間」を設定しているのだけれど、そういう意味で現在「零」でかれらが挑んでいるザ・アンカーを興味深いものとして読んでいた。
これまで零が挑んできたギャンブルにおいて、零はすべて自身の能力だけで勝ちをおさめてきた。しかしザ・アンカーは違う。三人一組で挑戦するこのゲームは全員がクイズに答えなければならず、しかも生死を握る「アンカー問題」はランダムで出現するため零ひとりの力で勝つことは非常に困難だ。機転が利き、知識の豊富な(それこそ小太郎が呆れるほどに)零であっても、ユウキと末崎の協力なしには勝ち抜けないのだ。
とはいえ、ギャンブルの内容がクイズということもあってユウキと末崎の対処能力は圧倒的に零に劣る。そのうえ頭上では常に巨大な錨が振り子のように行き来し、冷静さはたやすく奪い去られてしまう。ついでに、根性のひん曲がった小太郎がミスをするたびしつこく嫌味を言ってくれたりもするというおまけつき。
そういう状況下で、鬼才・福本伸行が提示した「仲間とは何か」という問いに対する回答は意外にも(?)しごく真っ当なものだった。
いわく「仲間とは、隣にいるだけで心強いもの」いや本当に正面きってぶつけてきたなー……、というのが正直な感想。実を言うとすこしばかり拍子抜けしたのだが、それは私がひねくれすぎた物の見方をしていたからだろう。
福本伸行という漫画家は作品世界にとても真摯だ。「零」も徹頭徹尾少年漫画として描こうと決めているのだな、と一連のエピソードを読んでいてあらためて考えた。
要約するとふくもとせんせーだいすきー、ってことです。